【新】僕が平成を「失敗したプロジェクト」と総括する理由

2020/3/6
まるで預言者のように、新しい時代のムーブメントを紹介する連載「The Prophet」。今回登場するのは、評論家でPLANETS代表の宇野常寛氏だ。
ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『母性のディストピア』など、日本のサブカル批評、社会批評の記念碑的な著書をこれまで世に発信し、現在では批評誌〈PLANETS〉の編集長を務めるなど、旺盛な文筆活動で知られる宇野氏。
今年1月にはNewsPicks Bookから新著『遅いインターネット』を刊行。SNSが隆盛を極める現代のインターネットを「速すぎる」と断じ、それがポピュリズムをはじめとするさまざまな弊害を引き起こしていると指摘した。そしてこの状況を乗り越える具体策として、「遅いインターネット」を提唱する。
第1回では、「遅いインターネット」の前提として、宇野氏がいまの社会や政治の状況をどう見ているかを尋ねた。彼一流の、率直かつ深淵な現状認識が語られる。
宇野常寛/評論家・PLANETS代表
1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『日本文化の論点』『母性のディストピア』など多数。2020年2月、NewsPicks Book(幻冬舎)から『遅いインターネット』を刊行。立教大学社会学部兼任講師。

政治の空転が経済に波及した30年

──宇野さんは新著『遅いインターネット』の冒頭で、今の社会情勢に対する問題意識をつづっています。そこでは、平成の30年を「失敗したプロジェクト」と総括していますが、その真意についてお聞かせください。
宇野 平成とは政治と経済、2つの改革に失敗した時代だというのが僕の位置づけです。
要するに戦後政治とは、一種の疑似民主主義だったわけですよね? 55年体制とは言ってみれば事実上の自民党一党独裁と、ガス抜き担当、今風の言葉でいえば「ビジネス左翼」である社会党が、共犯関係のもとに成り立っていた。
この対立を装った共犯関係というか、戦後民主主義という建前と事実上の挙国一致体制という本音で、この国は戦後の焼け野原から、高度経済成長期を経て、世界2位の経済大国にのし上がった。
もちろんこの躍進は、背景にはサンフランシスコ体制下の安定と、冷戦ボーナスがあってはじめて成り立っていたことは自明で、冷戦後の日本がこれまで通りのやり方でこの成長と安定を維持することは難しいことも自明だったはずです。
平成の政治改革というのは、こうした背景のもとに55年体制的な疑似民主主義を、政権交代が可能な、当時の小沢一郎の言葉を別の文脈で当てはめると「普通の国」にする運動でもあったはずです。
具体的には1993年の細川護熙内閣の成立による55年体制の終焉(しゅうえん)からの動きですよね。当時の基準で言うところの中道右派的な二大政党制への移行が、この国の民主主義の成熟だと考えられていた。
55年体制を崩壊させた細川護熙内閣(写真:ロイター/アフロ)
そしてこの「改革」は失敗に終わってしまった。気がつけば、事実上の自民党の一党独裁にガス抜き的な野党が「対立を装った共犯関係」を結ぶという55年体制的な構造が、それもかなり劣化したかたちで再生してしまっている。
これが何がまずかったかというと、この政治領域の空転が結果的に経済領域に波及していることです。
要するに、この国は重工業から情報産業への転換に失敗して、さらに言えば情報化によって進化するはずの既存産業の育成にも失敗して二流国に転落しているわけなのですが、僕はここでもっと政治的なトップダウンの介入、あるいは介入させないというトップダウンの改革が必要だったことは明らかだと思います。
気がつけば、もう2020年代なのにこの国は数十年前のライフスタイルとワークスタイルが幅を利かせているつまらない国になっている。いまだにメンバーシップに対して給料が払われ続けていて、「飲み会」で取引先や社内の別派閥の悪口を言う時間を仕事だと思っている。
一応、ホワイトカラーということになっているそれなりの教育を受けたはずの人が21世紀になっても自分で情報を選択できずにテレビの地上波を毎日見ている。コロナウイルスの問題がクローズアップされた途端に、デマに踊らされてトイレットペーパーを買いあさる。
新型コロナウイルス流行時の関東地方のドラッグストア(写真:アフロ)
日本はグローバリゼーション社会と情報社会という2つの巨大な波に完全に乗り遅れ、周回遅れの国になってしまった。これこそが、平成という「失敗したプロジェクト」の本質だと思います。

TVポピュリズムはなぜ行き詰まったか

──政治改革に失敗した原因は何だと考えていますか。