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【尾崎容子】最期の瞬間に立ち会えなくても自分を責める必要はない

NewsPicks編集部
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  • PIVOT エグゼクティブ・エディター

    連載「シゴテツ -仕事の哲人-」、訪問診療医・尾崎容子氏の第2回です。家族の死の瞬間を逃すと、悔いを年単位で引きずってしまう。そのため、尾崎さんは「もうそろそろ」という時、ある言葉をかけます。救われる人が多いだろうと思いました。
    ---
    高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測される。介護や看取りはもう他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。

    もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。

    訪問診療医の尾崎容子氏は、人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきた。最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開く。

    「知らないことで不安になる。身体の弱りや死について、きちんと知識を持つことで不安は減ります」と語る尾崎氏の看取りのあり方とは。(全7回)


  • 関西学院大学ジェネラティビティ研究センター客員研究員  米Generativity Lab、Agentic LLCファウンダー

    日本に住んでいないので、身内が亡くなる際に自分が傍に入れない可能性の方が高い状況。弟が亡くなった時にも、私は駆けつけることはできませんでした。

    今は母がひとり日本にいますが、日本にいって会うたびに「もしかしたらこれでお別れかもしれないので、おいしいものを食べましょう」といって、レストランでちょっとした贅沢をします。
    母はアルツハイマーなので、美味しいものを食べても5分後には忘れてしまいますが(汗)

    アメリカの場合は遺言徹底で、死の準備は若くても淡々としている人が多い印象。私も主人とは毎年1回遺言の見直しをしています。最期にあわてるよりも、最期がくると分かっているのだから、生きて元気なうちにどうしたいかをちゃんと家族に伝える、、、、これって大事だなぁと思います。特に弟が35で亡くなってからは、そう思うことが多くなりました。


  • ピンキー 新規事業の何でも屋

    おばあちゃんのことが大好きだったのに、病気になって入院してもあんまり会いに行かなかった。「死」に実感が湧かなかった。何年間があいても笑顔で迎え入れてくれるそれが当たり前だと思っていた。

    急に家族に呼ばれ行った病院で、まるでボクが来るのを待ってくれていたかのように、目の前で逝った。一度もう難しいという状況になっても持ちこたえていたらしい。お世話になったのに大した孝行も出来なかった不肖の孫を待っていてくれたのだと思う。あの瞬間に立ち会えて本当に良かった。

    QoD(Quality of Death)は、死に行く本人ためのものだけではない。残された家族のためのものでもある。避けてしまいがちな「死」に対して、家族がどう対峙するのかは家族で話し合うべきだし、社会がどう一人一人と向き合うのかはもっと公に議論をしてしかるべきだ。死は誰もが避けられないものなのだから。


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