2010年代とは何だったのか? 日本からではわからない世界の激変
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現代ビジネスに『2010s』書評を書きました。自分なりの2010年代論になっています。
「2010年代は“スマート”と“ソーシャル”の意味が上書きされた時代だった」と言うことができる。
かつての“スマート”は「賢い」ということを意味する言葉だった。「頭の回転が速く、抜け目がない」ことを表す形容詞だった。「オシャレな」という意味もあった。
しかしスマートフォンの普及、スマートスピーカーの登場、「スマートホーム」や「スマートシティ」といったコンセプトへの拡張は、“スマート”という言葉の意味を更新してしまった。
今の時代の“スマート”とは、「常時接続し、ネットワークを通じて情報交換することで相互に作用する」ということを意味する。反対語は“スタンドアローン”だ。たとえば「スマートスピーカー」と「スピーカー」を対比させれば、そのことがはっきりする。
情報技術は、人を「常時接続し、ネットワークを通じて情報交換することで相互に作用する生き物」に変えた。その意味において、人々は格段に“スマート”になった。
また、かつての“ソーシャル”は社会福祉と密接に結びついた意味を持つ言葉だった。「ソーシャルワーカー」の“ソーシャル”だった。映画『ジョーカー』でも、主人公のアーサーが財政難によって福祉のサポートを打ち切られるシーンでこの言葉が出てくる。
しかし、2010年代の“ソーシャル”は「SNS」や「ソーシャルメディア」の“ソーシャル”だ。すなわち自己顕示欲や個人の影響力と密接に結びついた意味が、そこに加わった。注目を集めることが利益につながる「アテンション・エコノミー」という言葉があるとおり、新しい意味の”ソーシャル”は、露骨に資本主義の領域の言葉となった。その意味において、人々は格段に“ソーシャル”になった。"実は、2010年代は、社会そのものが「ポップ・カルチャーの映し鏡」になった時代だった。
ソーシャルメディアを駆使してファンダムを作り上げ、そのことによって影響力を獲得した個人が、現実社会を左右する。もしくは人々の共感や不満それ自体がハッシュタグを通して束ねられることで大きなうねりとなって現実に作用する。
音楽や映画、ポップ・カルチャーの分野では当たり前に起こっている力学が、政治や経済の分野も大きく揺り動かすようになった10年だった。
『2010s』は、そういうことにまで思いを至らすことのできる一冊である。"