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議論はもちろんあるでしょうが、

> チソンさんは自身のブログで、「ほんの短時間だったが、とても幸せな瞬間だった」と語った。

本人がそう言っているなら、よかったんじゃないかな。
VRで会っている間は幸福感を感じても、その後現実に直面したとき何とも言えない絶望感が襲ってくるのではないかと危惧します。

夢の中で故人と会って、目が覚めたら「亡くなっている」という事実に直面したときと同じです。
7歳の娘を亡くしたお母さんが、VRの技術を通して娘に再会する話。VRの可能性の大きさ!すごく感動的^^
このVRが行われた時点で、亡くなった人に再会することがすでに「選択肢」として存在しているので、もし倫理的問題を問われたとしても「どうしても会いたい」と言う人はきっと出てくるでしょうね。

積極的に「ほしい」と思っていなくても、「手に入る」と分かってしまうとつい手を伸ばしたくなる、そんな心理をついた複雑な問題だなと感じます。。
かなり難しい問題ですね。もちろんその瞬間としては感動的でしょうが、リアルであるほど依存しちゃう人も出そう。「会いたかった」とか、なにを喋らせるのかとかも、倫理観的にも難しいし、悪用もできてしまう。一方で、美空ひばりのホログラムならよいのかとか悩ましいところ
悲しいことですが、過去は変えられません。

神は人間に「時とともに忘れる(時が癒やす)」能力を与えました。

ですから、悲しい過去を乗り越えることが、未来につながると思います。

技術的に、これが可能なことや、これを欲する人たちが少なくないことは分かりますが、個人的には、このアプリケーションには否定的です。

これを使った多くの人たちが過去に囚われてしまい、未来に目を向けられないことになりますし、その人たちの感情は、対象とするモデルを操作することで、なんとでも操作できるからです。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
いよいよテクノロジーは倫理の問題にぶつかってしまいそうです。「技術的には可能だが、やっていいのか?」
あらゆる分野に広がりますよね
これは死に対する冒瀆だという反対意見もある。虚構に依存してしまうリスクもあるかもしれない。テクノロジーが何でも可能にするのは本当に幸せなのかという疑問もあるだろう。いろいろ考えはあるだろうが、これに限らず、未来とは現実と虚構、可能と不可能の区別や境目がなくなっていくものだと思う。そもそも現実だ虚構だと言うが、現実を見ようともしないで自分の信じたい虚構を正しいものとして生きている人が多い。
外野は黙るべき。

本人が希望し、喜んでるのなら何よりです。本質的には故人の写真や映像を見るのと同じことです。

ただし、仮にVR上の故人がAIとして意思決定権限を持つ、などまでいくと、問題として大きくなると思います(例 故人の性格を入れたAIが、「遺産は末っ子に50%を与える」と指示するなど)
死者への冒涜と言ったら、それまで。
しかし、世界は生きている人間の主観に他ならない。