槇原敬之さんの曲に「罪」はあるのか? 過剰反応とバッシングがダメな理由
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注目のコメント
メディアの騒ぎ方はやり過ぎ感はあります。
そこは確かに「またか」と思います。
ただ、使用する楽曲を変更するのはしょうがないとも思います。
人は連想しますからね。
曲に罪はないとは聞こえはいいですが、言葉を返せば薬物犯罪で逮捕された容疑者の楽曲をまさにその話題を扱う昼の情報番組のテーマとして流し続けることに違和感はないでしょうか?
そんなことしたらその放送局は激しいバッシングを受けるように思いますが。
放送局がマスに情報を流すことで成り立っている以上、その反応を見越した対応をとるのはなんら過剰ではないと思います。
一般論として薬物依存の方に回復と社会復帰の機会が十分に与えられるべきだという点に異論はありません。
ただ、その手段の一つとして人それぞれ色んな感じ方があるのを承知しながらその楽曲を公共の電波で広く提供し続けるというのは正直しっくりきません。
せめて白黒つくまでとか、言葉を選ばずに言うと「ほとぼりが冷めるまで」(その楽曲たちを)そっとしておき、また然るべき時に使い始める、方法論としてはそのあたりが落としどころじゃないかな。
社会復帰についても必ずしもメディアに出る形をとる必要はないと思います。
見る人に再犯性の高い薬物依存とその関連犯罪を想起させるのであれば、社会復帰の際は別の道を選んでいただくのもやむを得ないのでは。
曲に罪が、というピンポイントの話ではなく、提供する人も聴く人もあり、もちろん渦中の槇原氏のこともあってのことですよねと思う次第です。厳しく批判して二度と戻ってこれないような扱いをすることはよくないですね。これは芸能界の人達の犯罪ニュースが起きるたびに言われることだが、日本は続けていますね。ここまで日本人に学習能力がないとは愕然としますが、1番はニュースの取り上げ方が大きく影響すると思うので、先ずメディアのみなさんいい加減学習して下さい。