【野村克也】「データは試合の前までに用意するもの」の真意

2020/2/13
 野村克也氏は、野球界にもっとも大きな影響を与えてきた名選手であり名将、名解説者であった。
 その範囲は、同じユニフォームを着たものにとどまらない。
 元メジャーリーガーの上原浩治氏が「何冊も本を読み、勉強をさせてもらった」と語るように、著書や対話をとおして成長の糧とした選手がいれば、偶然の出会いによって人生を変えられたものもいる。
 井端弘和氏(現・侍ジャパン戦略コーチ)は名遊撃手として知られるが、その適性を見出したのは野村氏だった。ピッチャーをしていた中学生時代の井端氏の試合を一目見るなり、強豪・堀越高校を紹介し、さらには「(ピッチャーではなく)ショートになった方がいい」と勧めたのだ。
 こうした慧眼と実績、またはストーリーは多くのところで語られているが、もう一つ野村氏が取り組んできた「データ」の活用の仕方は、野球界にとっては「革命的」で、そして我々にとっては「実戦的」なものであったと思う。

野村野球=データ野球ではない

 代名詞のように言われた「ID野球」(インポート・データ)は、「データ重視」と捉えられがちだった。しかし、その実は別のところにあり、手段の一つが「データ」だったに過ぎない。
 あるベースボールアナリストが「ID野球は全然、データに合っていない」と揶揄したと聞いたことがあるが、その通りである。大切なことは「勝利」や「成長」を目指す中で「データ」をどう活用するかであって、「データ」に忠実であるかどうかを、野村氏は気にしていなかったはずだ。
 実際、著書『野村ノート』にはこんな一文がある。
「よく「野村野球=データ野球」という人がいるが、私は決してそう思っていない。データとは観察のもととなるもので、試合の前までに用意するものだ」
 では、野村氏は「試合の前」までにどうデータを活用してきたのか。
 野村氏が主に監督そして解説者をとおして実践したことで、野球界にとって「革命的」だった視点には3つのステップがあったように思う。
1.すでにあるものを「見える」ものにし
2.それを「言語化」して
3.実践をさせる
 この過程において、データはそれぞれ違った意味を持って用いられていた。

1.「見えるものにする」こととデータ

 現場が感じていたことを見えるものにした。
 野村氏は、ここにおいて先駆的な役割を果たしていた。
 例えば、バッターを分類すること。当たり前のことだが、バッターにはそれぞれ特徴がある。ピッチャーは対戦経験などを元に、それらの特徴を「なんとなく」頭に入れながら対峙していた。
 野村氏はこの「なんとなく」をA型からD型の4つの類型に分けた。
A型:直球を待ちながら変化球にも対応しようとする打者
B型:内角か外角か、打つコースを決める打者
C型:ライト、レフトなど打つ方向を決める打者
D型:球種にヤマを張る打者
 他にも、キャッチャーの配球における組み立て方を「打者中心」「投手中心」「状況中心」に3分類したり、「凡打ゾーン」や「空振りゾーン」を図解するなど、現場レベルで「なんとなく」感じられ、実践されていた(「セオリー」や「常識」と言えるものもあった)ものを体系化して「見える」ようにしたのが野村氏だった。
(余談になるが、こうした分類においてもう一人先駆的な存在と言えるのが、三原脩氏で、氏の記した『三原メモ』(1964年)は野球ファン必読の名著だ)
 さて、この「見えるものにする」過程において、野村氏は「データ」を分析の材料として用いている。
 名捕手としての自身の体験、解説者時代に徹底的に観察して得た「データ」、そしてスコアラーにも「ほしい情報」を明確にし、求めた。
 例えば、野村氏がスコアラーに求めたものに「9×9=81」マスのゾーンがある。左右の打者別に、このゾーンにおける得意コース、苦手コースを分析させ「傾向」としてまとめていた。

2.「言語化する」こととデータ

「見えた」ものを野村氏は徹底的に言語化した。座学によるミーティングや虎の巻とも言われた「野村ノート」などは有名だが、重視していたのは、「メモを取らせること」だった。
「私のミーティングもただボーっと聞いているだけでは意味がないため、私は各選手にノートを持たせ、私の言うことの一言一句をメモさせるようにした。ミーティングをしながら、私がホワイトボードに要点を書いていく。選手たちはそれをメモする。
 ホワイトボードが文字でいっぱいになると、スタッフがホワイトボードをひっくり返し、何も書いていない裏面を表にする。私がそこに再び文字を書いているうちにスタッフは裏面の文字を消す、といった具合で約1時間のミーティングでは「メモを取る」ということを徹底した」(『野村メモ』)
 阪神時代は、このメモする時間を省くため、事前に用意したプリントを配ったが、野村氏はこれを「失敗だった」と振り返っている。すでにプリントがあることで、選手たちはミーティングが終わる時間ばかりを気にしていた。
「言語化」する作業は、野村氏から発信する一方的なものではなく、メモを取らせることで、選手やチームに共通言語として定着をさせるという点で、画期的だったと思う。
 このとき「データ」は説得材料として使われている。
 野村氏は自著でそれを幾度となく指摘しているが、例えば『巨人軍論』にはこうある。
「(ヤクルトの監督時代)巨人には勝てないと思っている選手たちに「こうすれば勝てる」と説得するためにもっとも効果的なのはやはり数字、データである」

3.「実戦する」こととデータ

 実践の段階における「データ」はもっとも興味深い。
 実は野村氏がもっとも重要視していたのは、「データ」そのものではなく、その裏にある心理状態だった。
 スコアラーに対する要望には、それが如実に現れている。
「彼ら(編集部注:スコアラー)が集めてくるデータというのは、たとえば「上原浩治が完投して百数十球を投げました。うちストレートが何パーセントで変化球が何パーセント、フォークが何パーセントでした」というものが多い。だがそんなものは「テレビ局に持っていけ」と私は言ってやる。
私がほしいのは、状況ごとのバッターの傾向やバッテリーの配球パターンといったデータである。いわば心理面に関するものである」(『巨人軍論』)
 楽天時代に野村氏のもとでプレーをした山崎武司氏がこんなことを言っていた。
「野村さんには頭を使え、と散々言われた。ピッチャーは次にどんな球を投げるのかを考えて打席に臨む。その球が来なかったらごめんなさい、くらい割り切れた」
 果たして、山崎氏は39歳にしてホームラン王、打点王に輝くなど「復活」を遂げる。
 また、広島から戦力外通告を受け、ヤクルトに入団した小早川毅彦氏がその初年の開幕戦で、ジャイアンツの不動のエース・斎藤雅樹から放った「3打席連続ホームラン」の裏には、こんな話がある。
 開幕前、徹底的に斎藤氏のピッチングを分析した野村氏は小早川氏に伝えた。
「おまえは、データを中心に狙い球を絞ったりするのか。どうもバッターボックスでは『来た球を打つ』だけといったようにしか見えない。でもな、技術力には限界があるんだよ。少しデータを中心に配球でも研究したらどうだ」
 そうして斎藤氏の配球パターンと“その意図”をレクチャーした。小早川氏は「監督の言う通りの球が来た」と目を丸くしたという。
 バッターであれば、なぜ相手ピッチャーはそのボールを投げるのか。なぜキャッチャーはこの球を要求するのか。根拠を知ることで優位に立つことができる。
 山崎氏が「(予測と外れても)割り切れる」と言ったのは、データ通りにこなければ仕方がない、という諦念ではなく、「データの裏側にある相手の心理」を知っているからこそ、その配球に納得がいくということだ。
 つまり、凡打をしても相手ピッチャーより優位に立っているという自信の裏付けでもある。

野村克也の哲学「無形の力」

「プロフェッショナルとは、見える能力プラス見えない能力を高いレベルで兼ね備えている者をいう」
『巨人軍論』にある一文だ。
「見える能力」は、野球で言えば技術。ホームランを打つ技術、速い球を投げる技術、そう言った「見える」ものは当然、評価が高いし、そういう選手が集まるチームはわかりやすく強い。巨大戦力と言われるとき、大体はこの「見える能力」の総和で語られる。
 一方で「見えないもの」とは「無形の力」である。
 野村氏は多くの著書を残してきたが、そのほとんどでこの「無形の力」について紙幅を割いている(同名のタイトルの本も出している)。
『弱者の兵法』では「(無形の力とは)分析・観察・洞察・判断・決断・記憶」と記され、『巨人軍論』ではここに「劣等感」など感情をベースにしたものにもそれは及ぶとした。そして、「データ」もこの「無形の力」の一つに位置付けている。
「無形の力をつけよ。技量だけでは勝てない。形に出ない力を身に付けることは極めて重要である。情報収集と活用、観察力、分析力、判断力、決断力、先見力、ひらめき、鋭い洞察等々である」(『野村ノート』)
「見えない力の前には、技術力など目に見える力なんか吹き飛んでしまう。これは長年、私が野球をやってきたなかで得た真理である」(『巨人軍論』)
 野村氏が目指した野球とは、決して「データ」に頼るものではない。「データ」を重視しながら、それはどう活用されるべきで、どうすれば「組織」の「人」の成長に役立つのか。
 究極的に言えば、無形の力を発揮するために、人の心理、心を捉えていくもの──。
 野村氏の足跡には、学ぶものがまだまだたくさんある。
【初告白】則本昂大「僕が楽天と7年契約を結んだ全てのこと」
(執筆:黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:髙橋亘)
参考文献:『巨人軍論』(角川新書)、『野村ノート』(小学館文庫)、『野村メモ』(日本実業出版)、『弱者の兵法』(アスペクト)。いずれも野村克也・著。