【松田公太】ビジネスの常識を変えるたったひとつの方法とは

2020/2/19
業界の常識を変える企業やサービスの台頭により、多くの業界のビジネスがディスラプトされてきた。たとえば、「特定の一社の保険を扱う」という保険代理店の常識を変え、日本で初めて複数の保険会社の商品を扱う「来店型保険ショップ=保険クリニック」を開設したアイリックコーポレーションもその好例。これにより、ユーザーにとって情報の透明性が高く、自分で保険を選べる仕組みが実現されたのだ。
このように「ビジネスの常識」を変えるアイデアは、どんなきっかけで生まれるのか。アイデアをアイデアのまま終わらせない「実現力」の源泉には何があるのか。松田公太氏と、アイリックコーポレーション代表勝本竜二氏という2人のディスラプターが意見をかわす。

「保険商品の比較はできない」という当たり前を変える挑戦

松田 私はかつて「保険はセールスで一方的にすすめられるものだ」と思っていました。社会人になって銀行に就職したのが1990年でしたが、昼休み、食堂にいわゆる「保険レディ」がセールスに来る。当時は若かったし、上司から「入っておけよ」と言われるままに契約した記憶があります。
 でも冷静に考えたら、たとえば車であれば、趣味に合わなければ人に何を言われても買わないし、買うタイミングも自分で決めますよね。
勝本 おっしゃるとおりです。今でも保険を「売りつけられるもの」感じている方もいると思いますが、それを変えたいというのが私のスタート地点です。
 もともと保険業界では、「A生命保険会社」の保険代理店は、「A生命保険」を売る以外にありませんでした。旧保険業法は60年もの長きにわたり変わらなかった制度ですが、1996年に改正され、ひとつの法人保険代理店が複数の保険会社の商品を取り扱えるようになりました。
 ならば、保険会社側の押しつけではない、さまざまな保険商品の情報を比較できるサービスを作りたい。自分に合った保険を選びたい方は大勢いるはずだから、一人ひとりのお客様に営業に行くのでなく、お客様に情報発信する拠点を用意しようと決めたんです。
 「保険クリニック」をオープンさせたのは1999年でした。
松田 勝本さんは、それから20年で日本の保険を「あるべき姿」にされた功労者です。でも当時は、そんな業態は他になかったわけで、当然反対の声があったのではないですか。
勝本 社内でも業界でも反対だらけでした。複数の保険会社を比較できるようになれば、これまでにない競争が起こるわけで、保険会社からは「黒船」とも呼ばれました(苦笑)。
松田 銀行や保険会社などの金融系は護送船団方式で既得権益化していた。そんな業界で大変革を起こそうというのだから、「今後うちの商品は、あなたのところには提供しない」と言う保険会社もありそうですね。
勝本 ある程度の販売量を持っていれば、「それはそれ」(笑)。それに、法律が変わった時点では、保険会社はそこまで脅威を感じていなかったようです。誰もやっていないことだから、できるわけがないと思われていたのかもしれませんね。
日本初の保険ショップである「保険クリニック」は、台湾初の保険ショップのオープンにも協力している。
 「保険業法上どうなの」と言われることはありましたが、私たちがコンプライアンスを遵守していれば、それ以上の口出しはできません。加えて、いい商品を売っている保険会社さんからすれば、自分たちの情報が良い形で発信されるので、ウェルカムだったようです。
 保険会社、つまりは保険の製造メーカーと販売会社が同じ「製販一体」という文化は、資本主義ではまれな体制です。
 これを製販分離体制にする挑戦に不安がなかったと言うと嘘になりますが、業界を変えることがお客様の利益になると信じていたからこそ、途中で諦めることなくやり抜けたのだと思います。

常識破りの出店が日本の喫茶店文化をアップデートした

松田 飲食は保険とまったく逆で、規制から最も自由な業界のひとつです。ミシュランガイドにおいて、東京は世界最多の星を獲得していますが、日本の外食レベルの高さを実感していた私は、「ミシュランが日本でも」という話を聞いたときから今の状況を予想していました。
 衛生や消防以外は規制がほとんどありませんから、切磋琢磨しますし、新規参入のハードルが低いからこそ、新陳代謝も激しい。いろいろなアイデアを持った人がどんどんやってくるので、既存店も生き残るために必死です。
 戦って負けたら市場から退出。倒産しそうになっても、銀行のように行政が助けてくれることもありません。
勝本 もともと競争が激しい業界とはいえ、松田さんのチャレンジ精神は抜きん出ています。「テイクアウトのみ」「カウンターだけ」のコーヒーショップは、以前の日本では想像できなかったと思います。
松田 逆境から生まれたんですよ。アメリカでタリーズに出会ってその味に感動し、「スペシャルティコーヒーを日本で最初に紹介して、新しい文化を広めよう」と、清水の舞台から飛び降りるつもりで起業しました。
 ところが、7000万円の融資を受け、1号店が銀座でオープンというとき、ちょうどスターバックスが上陸したんです。
 タリーズは本家アメリカに4店舗だけ。しかも、私から「やりたい」と持ちかけたので、サポートはなし。一方、すでに世界1000店舗のスターバックスですから、あちらばかりが大行列。最初のうちは本当に悲惨でした。
 同じように戦っても勝ち目がないので、2号店は坪単価が安いながらも、外資系企業が集まりはじめていた神谷町へ。その割に飲食店が少なかったこともポイントでした。
 狙いは的中し、コーヒー文化に親しんだ欧米の方々が列を作ってくれました。ところがみんなテイクアウトで、2階席はガラガラなんですよ。だったら、お金もないことだし、3号店は客席がないカウンターだけの店を作ってみようと。すると、5坪で一日1000杯売り上げたんです。
勝本 すさまじいですね。売上もさることながら、出店戦略を次々修正していくのもなかなかできない決断です。
松田 逆境だからこそ、アイデア勝負、しかも負けたくなければ「挑戦するしかない」んですよ。その後も、「まさかコーヒーショップができるとは」という場所に積極的に出店しました。
 たとえば車のショールーム。いつもガラガラだったのが、タリーズを併設したことで、一日400〜500人が来るようになりました。
 ちょっと休める程度のテーブルをショールームの中に置いたので、コーヒー片手に車を眺めるうちに、だんだん車が欲しくなる人も出てくる。販売台数もアップし、ディーラーにも喜んでいただけました。
 それから病院です。私たちが若い頃は、病院ってものすごく暗い雰囲気でしたよね。
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勝本 健康な人でも、気分が滅入ってしまうような感じでしたね。
松田 私は若い頃に母と弟を亡くしましたから、それを嫌というほど体感しました。弟は外出ができなかったのに、院内にあるのは必要最低限のものしか置いていない売店や、喫茶店と定食屋の中間のような古びた食堂くらい。外の世界と隔絶された場所でした。
勝本 今ではチェーンのコーヒーショップやコンビニがあるのが普通になりましたよね。病院の非日常な空間の中で、いつもどおりの場所があるとホッとします。
松田 そうなんです。当時は「病院にそぐわないのでは」という反対もありましたが、2004年、東大病院に最初の「病院内タリーズ」を出店したところ、大盛況でした。
 私が嬉しかったのは、通院している人、入院している人、お見舞いの人だけでなく、医師や看護師、そして教授まで、みんな平等に並んでお待ちいただいているのを見たときです。
 弟の入院中、大学病院で絶対的な権力を持つ教授たちの姿を見てきました。だけど、タリーズにおいては誰もが平等なんだと感慨深かったですね。
 勝本さんと話していて改めて考えたのですが、アイデアを実現する原動力は、結局のところ「自分の圧倒的な確信」だったりするのかもしれません。

上辺だけでない「顧客目線」が突破力を生み出す

勝本 どんな業界でもそうですが、商品を売れない人は、うまくいかないときに外部要因を理由に挙げがちです。「外貨建て保険の金利が下がったから」とか「台風でお客様が来なかった」とか。
 あらゆる保険の売上が下がっているなら別ですが、実際は誰かがどこかで保険に入っている。だから、本来は「なぜその人は当社で加入しなかったのか」と顧客目線で考えるべきです。
 それと同じで、「業界の常識を壊す」とか「変える」というのも、自分の都合だけ持ち出しても成功はありえない。必要なのは上辺だけでない、徹底した顧客目線です。タリーズが誰も出店していないところで新たなニーズを開拓できたのも、徹底した顧客目線あってこそではないでしょうか。
松田 資本力のあるライバルがいたので、異なる路線で勝負せざるを得なかったという部分もありますが(苦笑)。でも、本当にそうだと思います。
 そして、私の場合は新しいものを作りたい、取り入れたい、世の中に広めたいという気持ちが非常に強いんです。日本と海外の文化を双方向で広めていきたい。
 また、現在、飲食業界の人手不足は深刻な状況にあります。しかも、日本は消費者の目は世界で一番厳しい。生産性を上げるのも簡単ではないし、東京オリンピック以降、飲食店はどんどん潰れていくのではと危惧しています。
勝本 自社だけでなく、業界全体のことを考えて、最初に変化を起こす存在になろうとされているんですね。私も同じ気持ちです。
松田 そこで昨年、ブレックファーストレストラン「Eggs 'n Things」など複数のブランドを束ねた「クージュー」という会社を設立しました。
 個々のブランドの運営はもちろん、ITやAIを駆使して外食産業の生産性を上げ、人員が減ってもオペレーションが可能な仕組みを作っていく狙いです。
 外食産業が大好きでここまでやってきたので、自分たちの現場で実証実験して、いいものができたら世の中に提案・提供して貢献したい。ただ、システム構築には本当にお金がかかります。開発中で、まだ一銭も生み出していませんから、今が一番苦しいところです。
勝本 それも非常に共感できるところです。私たち「保険クリニック」は、自前で開発した情報提供システム「保険IQシステム」込みで成り立つものです。システム開発中は、みんなが一生懸命作った売上を私がどんどん開発につぎ込むことになり、申し訳ない気持ちもありました。
 それでも、過去に売られてきた商品群をデータ化し、各社バラバラのパンフレットではなくひとつのフォームで情報提示できれば、お客様の理解度は格段に上がる。完成形を思い描き、「これで世界が変えられる」と確信していたからこそ、やり遂げられました。
 実際、人間の能力を越えて、保険の比較・分析が自動化されたし、フランチャイズをやろうとしても、どこからでも手が上がってくる。今では逆に、そのシステムがお金を生む金の卵になりました。
 15年前に完成して以来カスタマイズを続けていますが、バージョン1.0ができてから、どこも追随してこないんですよ。
松田 それは意外ですね。ほかに挑戦する企業がいてもおかしくないと思いますが。
勝本 私たちは保険クリニックをはじめた20年前から、加入中の保険がどのような商品なのか分析するコンサルティングを行ってきました。その蓄積が大きいんです。
 最近では、銀行などの金融機関も私たちのシステムを使っているし、生命保険会社へシステムから情報をフィードバックするようにもなりました。おかげで参入障壁は高いようですね。
 先ほど、松田さんは「いいものを世の中に提供していきたい」とおっしゃいましたが、私も保険クリニックの拡大だけでなく、業界全体に保険に関わるソリューションを提供していきたいんです。
 壮大な目標ですが、私たちのシステムを通じて、現在、年間2000万件ほどある生命保険の新規契約すべてに関わっていきたい。そうすることで、これまで以上にお客様、ひいては社会に貢献できる体制ができあがるというイメージです。
松田 本当に壮大ですね。ベンチャー起業家は、まだ世にないものをつくる存在なので、失敗はつきものです。でもビジョンを共有することで、「一緒にやっていこう」と思ってくれる社員が生まれ、それが突破力になる。
業界は違いますが、私たちの挑戦で世界をよりよいものにしていきましょう。
(執筆:唐仁原俊博 編集:大高志帆 撮影:小池彩子 デザイン:岩城ユリエ)