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「ケインズ=政府の介入」となったのは、1986年にノーベル経済学賞を受賞した公共選択論のJ.M.ブキャナンの影響もかなりある。
ブキャナンは、共著『赤字の民主主義』(邦訳書は日経BP社刊)
https://shop.nikkeibp.co.jp/front/commodity/0000/P50530/
で、ケインズ経済学全盛の1970年代に、不況時の財政赤字を好況時の財政黒字で相殺するというケインズの処方箋を痛烈に批判して、経済学界の内外で有名になった。ケインズは政府の介入以外にも様々な論究があるが、ケインズ政策=赤字財政と印象付けたのは、ブキャナンのケインズ批判によるところが大きい。公共選択論も専攻する私も、この本に影響を受けた。
記事中の「理論の世界でモデルを作り上げることで経済学者たちは勝負しなければならないのですが、それは現実とかけ離れているからです。」に激しく同意します。
「彼のブレイクスルーを真の意味で捉え直す時が来ているのではないでしょうか。」に共感。
今の時代だからこそ、ケインズに注目するのも面白い。
需要と供給は価格で調整されて、作ったものは必ず売れる。労働という“商品”も同じで、賃金という価格が需要と供給の間を取り持って非自発的な失業は生まれないというのがケインズ以前の経済学の常識でした。ところが賃金には下方硬直性があって、需要が不足すると非自発的な失業が起きて世の中が不安定になるというのがケインズ先生の問題認識だったはず。
そういう状況に陥った場合には、政府が財政政策や金融政策で需要を生み出して、非自発的失業を解消して社会を安定させることに意味があるのです。ケインズは、どんな場合にも政府が介入して需要を生み出すべきと言っていたわけではありません。非自発的失業があるなら政府が借金してでも需要を作るべき、ただし、十分雇用が満たされている時に政府が貯蓄するならば、というのがケインズの考えた世界です、たぶん。
各国の経済には、労働力、資本設備、技術という生産要素が規定する本質的な成長力が備わっています。ケインズは、これらが一定の状況で需要不足、つまり非自発的な失業が生じたら政府が介入すべしと主張しているのです。ケインズ的な政府の介入は、この3つの要素を増加させることには繋がりません。非自発的失業が無い状態でこの3つの要素を改善するのはケインズ的な政府の介入ではありません。ケインズもそれは認めていたはずです。
ところが、これらの生産要素の成長力を高める構造改革は、既得権益を持つ人々から嫌われる政治的なコストを伴います。それを嫌う政府や政治家は、構造改革の痛みを避けて、金融緩和や財政支出の拡大といったケインズ的な政策に頼り勝ち。ある意味、ケインズの理論を“悪用”しているのです。ケインズ先生、草葉の陰で嘆いていらっしゃるんじゃないのかな (^^;
新連載「誤解だらけの経済学古典」第2回は「ジョン・メイナード・ケインズ」(1883-1946)。ケインズ理論の「3つの誤解」を、青山学院大学の中村隆之教授が解説します。
ケインズの『一般理論』は本人も言うように経済学者に向けて書かれたものであって私のような素人には超難解だけど、当時の経済理論の「前提」を疑ってそもそも論が展開されているため今読み返しても本当に考えさせられる。

最近その前提が大きく変わっているように思うけど、革新的な経済理論というのは体系化されていないように思う。その一つの原因は経済学者がテックに強くないことのような気がする。経済理論の裏で長年暗黙に当たり前とされてきた多くの「前提」をテックが直接的間接的に書き換えているのに、テックの影響力が理論に反映されていない。私の時代は宇沢弘文先生の影響でこれでもかと数学をひねくり回してモデル化したが、その後も経済学界隈にはMathに詳しい人口は多くてもSTEMはほとんどいないのではないかと思う。経営ではなく経済学にこそテックの動向と思想の理解で根本から理論を再構築するという勇気ある挑戦が必要なんじゃないだろうか。

巨大な大企業というのはその本質は独自のルールとそれぞれの利害で運用される国家みたいなところがあるので、経営学以上に経済学の各思想とアプローチが有効だと考えています。

「気がする」とか「思う」とか、あまりにサイエンスからはなれてすみませんが、そう「感じる」んです。
マネーゲームで儲けるのではなく、実業によって利益を出すことが大切。というのがケインズさんの主張。その通りですね。

マネーゲームの行き過ぎは金融危機を招いてしまいます。最終的にみんなを不幸にする。
「振り子は常に行き過ぎる」について、日本の場合はさらに厄介なことに振り遅れて、世界に先駆けてデフレに陥る局面となってもなお、延々と新自由主義に基づいた政策が適正という論が主流であったことが、国内経済全体の長期的な停滞を招くことになってしまったと総括することができると思う。振り子の糸が切れる前にそろそろ逆方向に行き過ぎたほうがましな状態が生まれるのではないだろうか。
ケインズの、お金を「持つ」という発想が、すべての経済学をひっくり返した。

お金を「使う」という選択肢だけでなく、不確実な状況では「持つ」を判断する人も当然いる。その時、経済活動は止まる。だから政府が、不確実な中でも世の中を豊かにする企業活動を促してあげる必要がある、というのがケインズの考え方。

至極まっとう。

よく、カンフル剤的なインフラ投資を正当化される際、ケインズが悪者にされるが、ケインズも文句があるだろう。

(抜粋)
・「マネーを持つ」ことは当たり前に思えるかもしれませんが、実はそれまでの経済学からは出てこない発想です。需要(買おうとすること)と供給(売ろうとすること)が均衡するという経済学の前提のもとでは、マネーは交換の手段であって、使うものでしかないからです。
・ケインズ自身は、基本的に自由競争は大事だという考えです。お役所が手取り足取り規制すべきだとは考えていませんでした。むしろ、政府は市場の創意工夫を阻害しないやり方を追求しなければならないと繰り返しています。
面白い。経済学の元々の学説は、案外、勘違いされているものも少なくないのですよね。マルクスの「資本論」も然り。中学3年から高校生ぐらいで、経済学の基本は履修した方が良いなと感じているところです。

ケインズからは脱線しますが、中3の公民の教科書をみたら、昔に比べると、需給と価格決定メカニズムなど、ミクロ経済学の基礎的なことは書いてあり、教科書準拠のワークブックも記述問題で結構考えさせる問題があります。

経済学というと、公務員試験のころを思い出しますが、経済学部以外の学生は苦手意識を持つことが多い。未だに母校の後輩から試験について質問を受けることがあり、もっと最近の合格者に聞いた方がいいという前提ながら、経済学は今後も一生役に立つし、経済を知らない公務員はあり得ない、試験では実は点数をとりやすい、ということで、一層頑張るように話しています。

本記事を読めば、知的な刺激から経済学に取り組みたくなるのではないでしょうか。

ケインズの似顔絵は小鈴さん?味があっていいですね。
この連載について
いま私たちが当たり前のように考える「経済ってこういうもの」という枠組みの大本には、先人たちが積み重ねてきた思想がある。時代を経て「古典」として位置づけられる書物を改めてひもとく。アダム・スミス、マルクス、ケインズ……。名前は知っていても、著書を読み通したことはないという人は多いだろう。世の中の解釈は誤解だらけのようだ。