困難があっても他者と衝突しても「面白がる」
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北野唯我さんとの対談、最終回です。
今回は、仕事をする上で生じる困難の中で、そのことにどのように向き合っていくか、ということを軸にお話が展開しています。
冒頭に、べてるの家の「ほめほめ幻聴」についての当事者研究のご紹介をしながら、良い苦労をどのようにしていくか、ということ、そして、どういう声に応答するか、という多声性のお話など、色々と考えてきたことを北野さんにうまく引き出していただきました。
後半は、あまりメディアでは語ってこなかったですが、キャリアについての考え方なども述べています。
今、職場での慢性的な問題を考えるための対話の方法を研究開発しているところなのですが、表に出てくる問題の解決ももちろん大切な一方で、その背後に見えにくい適応課題にどうやって孤立せずに向き合う関係を作っていくか、ということは、非常に大切だなと、フィージビリティ・スタディを重ねながら実感しています。
僕は本当に、べてるの家からすごく色々なことを学びました。べてるには「人生の苦労を取り戻す」という言葉があるのですが、この言葉は本当にすごい言葉だといつも思います。
ある意味でとても厳しい言葉だとも思うのです。なぜならば、我々は良い苦労ができていない、ということを意味するからです。良い苦労ってどういうことなのかなと、いつも考えます。余談ですが、先日も、あるスタートアップの創業者の方との対談をしたのですが、そこでも良い苦労こそ大切だという話になったりしました。
良い苦労とは、多分、誰かに作られた枠組みで問題解決をでき/できないという苦労ではなく、その外側にある苦労に向き合うことなのだと思います。なぜ自分はその枠組で苦労していたのだろう、ということに向き合っていくというか。
これこそ、適応課題なのだとも思うのです。
人生での向き合うべき苦労に「自分自身で、共に」向き合うという、こと、これは、まさに協働することの目指すべきものだと思うのです。
このことをどうやって企業社会や様々な組織の中で実践していくことに寄与できるか、これからも研究を重ねて、発信をしていきたいと思っています。
北野さん、日経ビジネスの大竹さん、ライターの宮本さん、ありがとうございました。他者の文脈と例外の確認は、聞く力として独我論に陥らないためにも面倒臭く思いますが大事ですね。
他者を顧客に置き替えれば、どんなに困難であっても面白がれるはずですし。現在は職場の他者のみならず顧客の声に向き合う姿勢が問われている気がします。顧客は多様で気まぐれですが、同じ人間だし一緒に面白がれる関係を構築することが最強のビジネスモデルなんだと思います。初回に書かれていた「批判することも大切だが、我々はそこで止まっていいのだろうか」の問いかけを意識し、今関わっている方々との関係性を振り返りながら、最後まで楽しく読ませていただきました。
(世代で一括りにしてはいけないのですが)昔より今の社会の方が排他的な感じに違和感を感じていましたが、物事に関する情報・知識・咀嚼・思考法が昔と今は違くて、実は昔の人の方が他者に対する受容度は高い方が多い。それがなぜかを考えていたのですが、シリーズを読む中で自分なりの理解ができました。
世の中が不便な時は、否応なく他者と協力せざるを得なかった環境があります。それは地縁だったり職場だったり様々ですが、『自分に合った』ではなく『自分の置かれた状況に合った』共同体に入らざるを得ない。そうすると、否が応でも様々な価値観と折り合いをつけざるを得ないから、当時の方々は複数の新聞を読み多角的視野を身につけようとしたり、他者との会話を通じて対話や距離感の取り方を学んでいました。
対して今の社会は、便利さ故に自分に合った意見や都合の良い情報を取捨選択できますし、気の合う仲間を見つける/つながることが可能になりました。それは『自分で環境を選べる』良さはありますが、思考は偏りがちになります。そして、自分と似た価値観の人ばかりと付き合うと、その偏りを絶対視してしまい、違う価値観を批判/揶揄/排除(無関心)するリスクは強まる。
それが今であり、それに対して宇田川先生の書かれた『ナラティブアプローチ』の重要性は意味が大きいと感じています。
そして、北野さんの合いの手/話の繋ぎ方は、前向きに広がる良さがあり、いつも勉強になります。
ありがとうございました。