水沼貴史が見たVAR担当の過酷さ。「相当なストレス」がかかる理由。
コメント
注目のコメント
スポーツはその時々で時間を止めることがありますが、
サッカーのVARは特に試合が止まる間隔、感覚が大きい
と思います。
テニスやバレーボールのチャレンジは
選手や監督の自主性によるものであり、
作戦的でもあります。
ラグビーは元々試合がよく止まるスポーツなので、
サッカーほどの感覚はありません。
あくまで、個人の感想ですが。世の中の期待は、AIによる正確無比で公平なジャッジで、究極は人間が介在しない形。もしくは人間がやるから仕方ない、ミスも含めてスポーツという形。両極ですが、大きな流れは前者でしょう。
VARについては、未だに肯定も否定も出来ない複雑な思いがある。
選手目線で見た時は誤審を1つでも無くすためにも必要だとも思うし、レフェリーを守るという意味でもやっぱり必要なのかなとは思っているが、やはり気になるのは”レフェリーへのリスペクト“の部分。
VARというシステム自体がどういうものかはだいぶ理解されているようなので選手やチーム側がビデオの確認を求めるような野暮な事はないとは思うが、いわゆる“怪しい場面”があった時、内面の問題としてその審判団へのリスペクトの意識が必要以上に低くなってしまうのではないかとちょっと心配になる…。
昔からどんな競技でも言われている『審判の判定は絶対』という部分が無くならないことを願う。
自分自身も小学生や中学生の試合だが審判の経験はあるが、小中学生の選手にとってもその試合は“大事な試合”であってカテゴリーに関係なく審判はそれなりのプレッシャーの中やらなければならない。
選手側がそこを理解し最大限のリスペクトをする事が1番大切な事だと思う。
そこさえ失うことがなければどんなシステムが導入されても大丈夫だと。
そうあって欲しい。。。