最近、社会学者がスウェーデン、ドイツ、イタリア、米国のワーキングマザーの生活を比較した"Making Motherhood Work: How Women Manage Careers and Caregiving"という本を読んだのですが、スウェーデンは何がすごいってやはり男女ともに労働時間が短いことです。上野千鶴子さんがおっしゃっている「アウトソーシング」は確かにそうなのですが、日本の長時間労働を前提にしたら外注するにも限度がある。そこをやはり変えないといけない。東ドイツはパートタイムでも仕事上のペナルティがない(少ない)、というところは学ぶべき点と思いました。イタリアは育児は祖父母頼み、米国は運次第の自己責任というかんじで、どこの国も課題はありますがやはりそういった様々な国と比べても日本は圧倒的に進んでいないということで、もはやここまで遅れていたら他国から失敗も学べるはずなんだけどなと思います。
私は、なんでも「形から入る」というのは大切だと思っています。
ランナーが高いNIKEの厚底シューズを履きたがるのも履くと自分も速く走れるような気がしてモチベーションが上がり、たくさん練習するようになって、結果的にタイムが上がるという理屈です。高いゴルフクラブを欲しいのも同じでしょう。
形から入ることで、後から魂が入ってくるものです。
〉論理的に答えられないから質問をシャットアウトするために使う
これで日本は30年を失いました。「失われた」のではなく「失った」のだと思ってます。
多様性の時代になんで「女性は全員こうなるべきだ」とか統一性・標準性にしようとするのかもわからない。
意識って流れるようなものなので、良い方にも悪い方にも行きますよね。
フワッとしたものじゃなくて、体験する、ということにコアがあるんじゃないかなぁとも思います。
ただ、女性の敵は女性というのをネットで見たりするけど、女性の社会進出にあたり、進出することによって環境良くしていこうという向きに対しても、男性の権利の喪失という感もあって反対する人がいたりする。それが男性ばかりではなく、男性社会で生きている女性も反対していたりして、闇を感じる。
これは最終的に女性の地位を危ぶんでいると思う。男女機会平等の本質は異性排斥とは真逆の「異性へのリスペクト」にあるためです