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内容に直接関係しないコメントで恐縮ですが、学部時代、私がどうにも法律の授業に関心を持てなかったのは、講義の多くが原典の解釈論に割かれていた点にあります。

起草から100年以上も経っているのに、なんで今になって民法起草時の穂積陳重の考えについて、解釈合戦を続けなければならないのか、社会情勢や人々の生活実態は変わるのだから、その時々に応じて、柔軟に新しい法律を作っていけばいいじゃないかと思ってしまう私に、延々と続く解釈論は退屈極まりないものでした。
法律が実社会にどのような影響を与えるのかを考える法社会学の授業などには関心を持ったものの、基礎講義での解釈論にすっかり辟易してしまい、法律そのものが嫌いになり、大学に対しても空理空論のくだらない場所だと感じるようになってしまいました。
逆に、社会経験を積んだ今であれば、法律知識の大事さを痛感します。

アダムスミスの原典解釈も、今だからこそ興味深く感じるのですが、もしもこれが1年生1学期の授業だと、経済そのものへの関心を失ってしまいそうです。
物事には順序というものがあるものですね。
経済学は重商主義から始まった、といえます。重商主義は、17世紀からヨーロッパの君主国が、貿易や国力を強化しようとした一群の政策です。その結果集まった富と、富を用いた社会の変化は、それまで常識をはるかに凌駕する規模でした。国家と社会の変化について考えるためには、「富」について深く考察しなければならない、と現実に向かい合う学者たちは強いられました。
 1990年代までは、近代のヨーロッパの強大化を実現したのは産業革命、その背景にあったのは蒸気機関などの技術革新ととらえられがちでした。しかし、歴史学者のブリュアが「軍事財政国家論」(1989)を提唱するにおよんで、16世紀から始まるヨーロッパ諸国の軍事力の強化、そのための官僚制の強化、それを支える財政、つまり税金を集めるシステムこそがヨーロッパを強大ならしめたと考えられるようになりました。この軍事力の強化の背景には、宗教改革に続く30年戦争、大航海時代に続くスペインへの銀の大流入がありました。ヨーロッパでは、宗教的情熱とより強大な軍事力の渇望、富を爆増させる方法の発明が、たまたま16世紀に同時に起こりました。
 道徳哲学の教授であったアダム・スミスは、(南米からの銀に基礎を置く)貨幣の氾濫という重商主義の時代に、輸出と輸入が急拡大していくことを危惧しました。政府が輸出奨励のために輸出産業の企業に補助金を出すことに反対しました。輸出奨励の背景には、政府が軍事財政のために貨幣を蓄積しようとしたということがあります。スミスは、貿易黒字と外貨の蓄積は国民の生活の向上自体には役に立たないということで、反対しました。
 スミスは、政府による補助金と、輸出拡大による政府の強大化に反対したため、後の新古典派、自由主義の先祖に位置づけられますが、思想の基礎は、むしろ貨幣経済への警戒と後の労働価値説に近い考え方です。スミスは、彼以前の経済思想、つまり中世キリスト教にあった富の蓄積への忌避の延長線上にいたともいえます。自由貿易にしても、英国が絶対的に優位に立てることが前提で支持されています。
 スミスを踏まえながら、各国の比較優位にある産業を生かした国際分業を主張し、国際的な自由貿易体制を主張したのが、スミスより50歳若いリカードです。
アダムスミスが生きたのは国家が他国と争って植民地を開いて富を囲い込んだ重商主義の時代。それはまた、自ら農業や家内工業で作ったモノを人々が貨幣を媒介にして交換する“穏やかな”市場の時代だったはず。
その後産業革命が進んで巨大な工場ができ、規模の経済、範囲の経済が働きだして資本が資本を呼んで富める者がますます富み、自ら作ったモノやサービスを交換していた人々は分業の工場に働きに出て労働そのものを商品として売る分業の“労働者”になりました。アダムスミスが資本と労働が分かれて競うそのような市場を知っていたはずはなく、個々人が自ら作った“商品”を交換する時代の市場を前提に、国家が重商主義を進めるより、他者への共感性を持つ独立した個人がそれぞれ自己の利益を追求して競う方が良いと説いたということか・・・ 自由な競争だけに任せれば、規模と範囲の利益を持つ資本はますます肥大化します。資本がデータに置き換わる時代になれば尚更です。「誤解だらけの古典経済学」、どこに向かって行くのか今後の展開が楽しみです (^^)
私は古典読むのけっこう好きです。知的遊びの側面もありますが、読むたびに自分の中でも異なる解釈論に自分の知見が広くなったのかなと、なんとなく嬉しくなります。

前提は異なります。しかし、普遍的に変わらないこと、原始的なヒトの心情を知りたい。その真理を探すみたいなところに、先人たちが頭を捻ったロマンを感じます。

実社会に応用きかせることは、正直机上の空論になってしまうことが多いと思いますけれど、それとは少し距離を置き、面白い読み物だと思って、眠れない夜の楽しみとしております。
勉強になりました。

経済産業省の方と話していて、いつも想っていたのは、競争させることが良いという観念です。
競争させても、技術よりも価格の過当競争が進み、社会を良くすることにならないのではないか、
それよりもある程度技術に焦点を当て、それを育成しつつ市場を育成するべきではないかと思っていました。
その一方、経済産業省は単に技術が分からないから放置しているのだろうと思っていました。

その疑問が氷解しました。
経済産業省はEmulation(競い合い)を意図していることは正しいものの、結果として、企業をすり減らすことに気付いていない、もしくは気付いているものの、技術の予測ができないから、何もできなくて放置しているのだろうと思います。

これによって、日本が技術的に出遅れたものは数多いです。
経済産業省は経営だけでなく、もっと技術ドリブンで物を考えた方が良いと思います。
いまモバイルPayで起きている競争は、Competition(競争)なのか、Emulation(競い合い)なのか。M&Aによって、プレイヤーの能力が高まっていれば、Emulationということに。

やはり、原著で読むことが大切ですね。微妙なニュアンスの違いと、著者が本当に意図するものがわかります。
最近のポスト資本主義の議論の中で、アダム・スミスの主張は誤って解釈されてきたことが共通認識になりつつあると聞きます。

私たち一般人にもわかりやすいのが国富論の「神の見えざる手」。個人が自己利益を追求していくと神の見えざる手が働き社会が全体最適に向かう、という解釈が一般的であり、その面ばかりが注目されますが、スミスは同時に「道徳感情論」を著しており、人間は生まれながらにして他者への共感を元に行動する存在だと説いています。つまり利己心と共感が両輪で初めて豊かになる、ということ。

最近のステークホルダー資本主義やSDGsの流れの中で、他社や社会への共感に注目が集まってきましたが、スミスは当初からそう主張していたんですよね。

以上はNHKの特番シリーズ「欲望の資本主義」に詳しいですが、NPでもこういった経済学の解説シリーズがあるのは嬉しいです。今後も楽しみにしています。
経済学の授業で同じことを先生がおっしゃっていたのを思い出しました。

「アダム・スミスは“神の”見えざる手とは言っていない」
「彼は経済学の父である前に道徳哲学者であった」
「『道徳感情論』では他者への“共感”が大事だと説いた」
「彼の論は現代社会の為政者に上手いこと使われてしまっている」と。

偉大な先人の言葉は原著に立ち戻って初めてその意図に触れることが出来るかもしれません。しかし、すべての原著に立ち戻ることは私たちには出来ません。本の要約など便利なので私も使ってますし。
でも、それが時の為政者に上手く使われることは歴史が証明しています。
記事の最後、「不生産的労働者」は私の介護という仕事そのものですが、それに価値がないわけではないというメッセージを頂けたことは嬉しいです。資本主義経済的な価値にはない価値を持っているはずです。

古典の一部を切りとって流布された言葉によって競争に疲れた私たち。しかし、改めて古典に立ち戻ると、実はかつて偉人が思い描いた本当の理想を目にするのかもしれませんね。すでにコミュニティやシェアエコ、GDPとは異なる価値尺度などにも関心が寄せられつつあるのはその一端かもしれません。
言葉の一人歩きというのは往々にしてあるものですが、「見えざる手」もそのひとつだったのですね~。

農、工、商という順序になっているところが、江戸時代の「士農工商」と同じで興味深いです。

生産を重視する時代だったのですね~。
新連載「誤解だらけの経済学古典」がスタート。第1回は「アダム・スミス」(1723-1790)。有名なフレーズ「見えざる手」を、多くの人は「経済は自由な市場の競争に委ねればうまくいく=神の見えざる手」と誤解している。それが「競争力がなければ負けて淘汰される」「負けて淘汰されることは自己責任だ」と見放す昨今の風潮につながっている。

しかし、アダム・スミスの競争観はそんな冷たいものではなく、競争を2つの言葉で使い分けていた。

「見えざる手」の真意は何だったのか? 古典経済学を今の経済や社会問題に照らしながら、ひもといていく。
この連載について
いま私たちが当たり前のように考える「経済ってこういうもの」という枠組みの大本には、先人たちが積み重ねてきた思想がある。時代を経て「古典」として位置づけられる書物を改めてひもとく。アダム・スミス、マルクス、ケインズ……。名前は知っていても、著書を読み通したことはないという人は多いだろう。世の中の解釈は誤解だらけのようだ。
この連載の記事一覧