• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

誤解だらけのアダム・スミス。「見えざる手」の本当の意味

NewsPicks編集部
1793
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン
0 / 1000
シェアする

選択しているユーザー

  • NewsPicks ジャーナリスト


注目のコメント

  • badge
    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    経済学は重商主義から始まった、といえます。重商主義は、17世紀からヨーロッパの君主国が、貿易や国力を強化しようとした一群の政策です。その結果集まった富と、富を用いた社会の変化は、それまで常識をはるかに凌駕する規模でした。国家と社会の変化について考えるためには、「富」について深く考察しなければならない、と現実に向かい合う学者たちは強いられました。
     1990年代までは、近代のヨーロッパの強大化を実現したのは産業革命、その背景にあったのは蒸気機関などの技術革新ととらえられがちでした。しかし、歴史学者のブリュアが「軍事財政国家論」(1989)を提唱するにおよんで、16世紀から始まるヨーロッパ諸国の軍事力の強化、そのための官僚制の強化、それを支える財政、つまり税金を集めるシステムこそがヨーロッパを強大ならしめたと考えられるようになりました。この軍事力の強化の背景には、宗教改革に続く30年戦争、大航海時代に続くスペインへの銀の大流入がありました。ヨーロッパでは、宗教的情熱とより強大な軍事力の渇望、富を爆増させる方法の発明が、たまたま16世紀に同時に起こりました。
     道徳哲学の教授であったアダム・スミスは、(南米からの銀に基礎を置く)貨幣の氾濫という重商主義の時代に、輸出と輸入が急拡大していくことを危惧しました。政府が輸出奨励のために輸出産業の企業に補助金を出すことに反対しました。輸出奨励の背景には、政府が軍事財政のために貨幣を蓄積しようとしたということがあります。スミスは、貿易黒字と外貨の蓄積は国民の生活の向上自体には役に立たないということで、反対しました。
     スミスは、政府による補助金と、輸出拡大による政府の強大化に反対したため、後の新古典派、自由主義の先祖に位置づけられますが、思想の基礎は、むしろ貨幣経済への警戒と後の労働価値説に近い考え方です。スミスは、彼以前の経済思想、つまり中世キリスト教にあった富の蓄積への忌避の延長線上にいたともいえます。自由貿易にしても、英国が絶対的に優位に立てることが前提で支持されています。
     スミスを踏まえながら、各国の比較優位にある産業を生かした国際分業を主張し、国際的な自由貿易体制を主張したのが、スミスより50歳若いリカードです。


  • アニマルスピリッツ 代表パートナー

    内容に直接関係しないコメントで恐縮ですが、学部時代、私がどうにも法律の授業に関心を持てなかったのは、講義の多くが原典の解釈論に割かれていた点にあります。

    起草から100年以上も経っているのに、なんで今になって民法起草時の穂積陳重の考えについて、解釈合戦を続けなければならないのか、社会情勢や人々の生活実態は変わるのだから、その時々に応じて、柔軟に新しい法律を作っていけばいいじゃないかと思ってしまう私に、延々と続く解釈論は退屈極まりないものでした。
    法律が実社会にどのような影響を与えるのかを考える法社会学の授業などには関心を持ったものの、基礎講義での解釈論にすっかり辟易してしまい、法律そのものが嫌いになり、大学に対しても空理空論のくだらない場所だと感じるようになってしまいました。
    逆に、社会経験を積んだ今であれば、法律知識の大事さを痛感します。

    アダムスミスの原典解釈も、今だからこそ興味深く感じるのですが、もしもこれが1年生1学期の授業だと、経済そのものへの関心を失ってしまいそうです。
    物事には順序というものがあるものですね。


  • badge
    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    アダムスミスが生きたのは国家が他国と争って植民地を開いて富を囲い込んだ重商主義の時代。それはまた、自ら農業や家内工業で作ったモノを人々が貨幣を媒介にして交換する“穏やかな”市場の時代だったはず。
    その後産業革命が進んで巨大な工場ができ、規模の経済、範囲の経済が働きだして資本が資本を呼んで富める者がますます富み、自ら作ったモノやサービスを交換していた人々は分業の工場に働きに出て労働そのものを商品として売る分業の“労働者”になりました。アダムスミスが資本と労働が分かれて競うそのような市場を知っていたはずはなく、個々人が自ら作った“商品”を交換する時代の市場を前提に、国家が重商主義を進めるより、他者への共感性を持つ独立した個人がそれぞれ自己の利益を追求して競う方が良いと説いたということか・・・ 自由な競争だけに任せれば、規模と範囲の利益を持つ資本はますます肥大化します。資本がデータに置き換わる時代になれば尚更です。「誤解だらけの古典経済学」、どこに向かって行くのか今後の展開が楽しみです (^^)


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

新しい記事ページ
を表示しています

ご意見・ご要望はこちらまで

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか