【島田太郎】東芝だから、逆にプラットフォーマーになれる

2020/1/21
東芝再生の請負人はこう宣言する。
「GAFAの次に来るプラットフォーマーは東芝」だ、と。
2018年10月、ドイツの総合電機の雄、シーメンスから東芝へ、その男、島田太郎氏は移籍した。シーメンスで要職に就いていたにもかかわらず、経営再建の道半ばにある東芝を選んだ。
東芝は2010年代後半、不正会計問題や米国の原発事業の巨額損失によって、経営危機に陥った。生き残るため、家電や半導体、医療機器など、あらゆる事業を売りに売った。
だが、島田氏に言わせれば、これが「持たざる経営」という強みに転じた。
もはや自社の製品にこだわる必要はない。グーグルやアップル、アマゾンといったGAFAより、東芝の方がしがらみのないから、新しい挑戦ができる。
第2回目は、そんな東芝執行役常務の島田氏を直撃。島田氏は、デジタル技術によるビジネス変革を意味するデジタルトランスフォーメーション(DX)の旗振り役を担う。
東芝がプラットフォーマーになれる理由は何か。さらに、日本人が理解しているようで理解してないプラットフォームとは何か、迫った。

社長になっちゃった

──日本企業で飛行機の設計者として、キャリアのスタートを切ったそうですね。
今でも覚えております。
日曜日の朝、パッと目覚めたときは9時。「ああよかった、今日が日曜日で。10時に会社に行けば間に合う」と(笑)。本当に土日なく働いてました。でも、仕事に不満はありませんでしたね。
当時は1990年はじめで、日本の企業が輝かしかった時代。東芝なんて本当にすごい会社です。「もう無敵の会社!入ったら一生安泰!」みたいなイメージはありましたね。
ですが、1990年代後半にもなると日本経済は停滞し、まずい状況になってきたんです。「自分は天才じゃない。すでにあるものを組み合わせて設計しているだけ。だから、これから伸びる業界に移ろう」と決めました。
これからはソフトウエアの時代だと思って、アメリカ系の設計ソフトウエア会社に転職しました。そこは3年くらいで社長交代を繰り返す会社でして...いろいろあって、私がその会社の社長になっちゃったんです。