ビットコインは終わらない──慶大・坂井教授が考える"お金の未来"
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慶應大、坂井教授の投稿。ビットコインはリーマンショックの最中に産まれた。ビットコインへの信認は法定通貨への不信認ともいえる。法定通貨は時の権力者の短期的な人気取りのために恣意的に増やされる。それを止めるための中央銀行の独立性も多くの国で形骸化している。日本はその最たる例(苦笑) それと比べると予め流通量が決まっているビットコインの方がよほど信頼できる。
ビットコインは人間が作って成功した、初の分散システム。あと、これは思想的な理由。私は政府(や中央銀行)が恣意的に通貨の流通量を増やすことを、好んでいません。個人の財産を保護させるために政府を雇っているのに、なぜ政府がその価値を勝手に薄めるのか。私はリバタリアンではありませんが、こういう考えはリバタリアン的かもしれません。でも日本人はもうちょっとリバタリアン的になってもよいというか、個人を政府の上に置いてものを考えたほうがよいと思いますすみません、「ビットコインは終わらないが、私は終わっている。」というところで笑ってしまいましたw
さすが坂井先生、大変気づきの多いインタビューです。
-フェイスブック社が信用できない、中国政府が通貨の覇権を握るのは脅威だという意見については、「じゃあビットコインでいいじゃん」というのが私の答えです。ビットコインの価値って、低く見積もられすぎだと思いますよ。
-これまで経済学はお金を「交換の媒介(medium of exchange) 」として扱ってきましたが、それでは説明しきれない「お金」が登場している。「交換の媒介」はこれからも要りますし、存在し続けます。ただ、「準お金」のようなものも登場していて、明らかにお金の概念の境界が融けていっている。なるほど。
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歴史の教科書には宋銭とか私鋳銭とか載っていますよね。
ビットコインの仕組みはよく「管理者がいない」と評されますが、その表現は不正確で、正しくは「不特定多数で管理する」です
私は政府(や中央銀行)が恣意的に通貨の流通量を増やすことを、好んでいません。個人の財産を保護させるために政府を雇っているのに、なぜ政府がその価値を勝手に薄めるのか。私はリバタリアン(自由至上主義者)ではありませんが、こういう考えはリバタリアン的かもしれません。
そこで得たトークンは「いいね」と「お金」の間にある、「準お金」のようなものです。
過去、「株式会社」や「国民国家」といった概念の発明は世界を変えてきました。それと同列の変化がこれから発生しうるのだと考えています。