【柔道・大野将平】圧倒的王者は「粗野なれど卑にあらず」

2020/1/1
“圧倒的”から“絶対的”へ。オリンピックイヤーの幕開けを飾るのに相応しいアスリートの登場である。リオ五輪の金メダリストにして日本柔道界のエース、大野将平だ。半年後に控えた東京大会での連覇を堂々宣言する男の胸中。
大野将平(おおの・しょうへい)。1992年2月3日、山口県生まれ。旭化成所属。兄の影響で柔道を始め、中学で上京し、東京・世田谷にある私塾「講道学舎」に入門(2015年に閉塾)。世田谷学園高校2年時にインターハイ優勝。天理大学4年時に世界柔道選手権初優勝。2015年の世界柔道選手権を連覇し、翌年のリオ五輪で金メダルを獲得した。2019年8月の世界柔道選手権ではオール一本勝ちで2015年以来3度目の優勝を果たした。東京五輪金メダルの最有力候補。(C)旭化成株式会社

思春期に叩き込まれた根本的なもの

──2013年の世界柔道選手権初制覇以降、ずっと柔道界のトップを走り続けていますが、これまで大事にしてきたものとはなんでしょうか。
大野将平(以下、大野) 柔道の私塾「講道学舎」。そこで教わってきたことが僕の財産ですね。山口に12年間住んで上京し、中学1年から親元を離れて寮生活を送りましたが、あの6年間はキツいとかしんどいのレベルじゃない。地獄のようなところでした。
──逃げ出したいと思うことは。
大野 もう何度もありました(苦笑)。でも、そこで助けてくれた人がいて、東京のお父さんみたいな存在です。
──そのとき、どんな言葉をかけられましたか。
大野 その方に言われたのは、柔道で強くなることを通じて人間力が成長していないと、やっぱり寂しいよね、強いだけじゃつまらんぞ、と。柔道を現役でやれる時期は人生のうちの本当に微々たるもの。それこそ柔道が終わってからの人生のほうが長い。
 柔道だけしかできない人間にはなるな、と。柔道の父・嘉納治五郎先生が柔道を作った目的として挙げているものでもありますが、原点回帰というか、そこを重視してずっとやっています。
──大野さんが考える人間力の定義とはなんでしょうか。
大野 人としての美学でしょうか。『粗野なれど卑にあらず』というのも恩師の教えにあるんですが、荒削りだけれども卑しくはないよ、と。
 この言葉はいまでも覚えていますね。人間には荒い部分があって完璧な人間はいないし、100パーセント分かり合うことは難しいけど、こいつは悪いやつじゃないなと。そういう人間でありたいなと思っています。
──講道学舎の6年間は、大野さんにとっての原点。
大野 間違いないですね。本当の人間力というものを叩き込まれました。理不尽のなかの我慢とか、本当の人としての強さとはなにかとか。根本的なものを思春期に叩き込まれたので、本当に追い込まれたときの意地みたいなものを持って戦っています。
──追い込まれたときの意地?
大野 ええ。柔道が置かれている立場は、オリンピックのときしか注目されず、なおかつそこで金メダルを取らないと批判される。それを僕も味わっていますから。
 言い方は悪いですが、他の競技はメダルを取って喜べたりしますが、柔道の場合は、これまでたくさんの世界チャンピオンがいました。先人たちと比べられるわけではないですが、やっぱり金メダルじゃないといけないと思うんです。
 ハードルの高さも選手にとってやりがいに感じる。オリンピックが東京に戻ってきたなかで連覇を目指せるわけですから、それが自分のモチベーションになっています。
──金メダルへの期待。それがプレッシャーに感じることはありませんか。
大野 プレッシャーや緊張は、考え方次第で、ネガティブに感じる選手も多いんじゃないかなと思いますね。自分はそれがないと力を発揮できないと思っているタイプなので、全然苦じゃない。
 むしろプレッシャーがかかるからこそ最大限の力を発揮できると思っています。競泳の北島康介さんも対談したときにおっしゃっていて、やはりそれを力に変える選手が超一流なのかなと感じていますね。

僕は「大舞台では負けない」

──大舞台に強くなるために、どういう心構えや準備をしていますか。
大野 環境じゃないですかね。生きてきた環境でしかない。自分のマインド、心の部分だと思うので。根拠なき自信じゃないですけど、大舞台で負けることがないと。はたから見たら生意気に、謙虚さがないように見えますけど、「大舞台では負けない」と自分に言い聞かせているようなものです。自分を自分で洗脳するみたいな。
──4年前のリオ大会で金メダリストになりました。金メダルは最強の証でもありますが、大野さんにとって、金メダル、オリンピックとはなんでしょう。
大野 中高大と講道学舎、天理大学という道を歩んできて、周りに世界チャンピオンがたくさんいました。講道学舎では古賀稔彦、吉田秀彦、瀧本誠という金メダリストが僕らが中学生の頃にいましたし、世界チャンピオンで言えば棟田康幸、泉浩が先輩にいて、天理大学では、篠原信一、野村忠宏、穴井隆将と名だたる選手の指導を受け、アドバイスをいただいた。
 当たり前にチャンピオンと一緒にいられる環境だったので、自然と勝たなきゃいけないなと。ほかの子どもたちがオリンピック・チャンピオンになりたいと言っているのとは違って、明確になるんだと。そういった選手に出会うことでそう思うようになっていました。
──2019年の柔道世界選手権ではオール1本で優勝しました。王者として臨む東京大会も、やはり、代名詞である1本への思いは強いのでしょうか。
大野 こだわっていないというか、色気とか欲は捨てましたね。勝てばいい。世界チャンピオンに3回なって、オリンピック・チャンピオンにもなっています。もう研究し尽くされていて、相手もどうにかして倒そうとしてくるので、思い通りにいかない試合しかない。色気を出して1本取ってやろうって足元をすくわれることを身をもって学んだ試合もあった。
 オール1本で勝ったらカッコいいですが、超攻撃的に戦ってどんなにいい試合しても負けてしまえば、なにも残りませんし、なにも評価されません。投げ技もダイナミックで美しい部分だと思いますが、いざ勝負事になると欲は抑えなきゃいけない。欲を捨てて、油断もスキも作らない。相手がどんな汚いことをしてきても動じない。ひと言でいうと我慢ですね。
──追う立場から追われる立場になって、メンタル面での変化はありますか。
大野 追われ続けて7年くらいなのでもう分からないですけどね(笑)。追われて当たり前だと思っています。「チャンピオンになってしんどいです」と、今年(2019年)世界チャンピオンになった後輩の丸山城志郎が言っていました。
 しんどさを彼はいま味わっていますが、それを超えたワンステージ先の強さが待っている。違うステージで戦えているというのはモチベーションになっています。それを経験することでさらにまた強くなれる。それをプレッシャーとは言わない。それをプレッシャーと思った時点で負けだと思っています。
──挑戦はプレッシャーとは思わないと。
大野 ええ。どんどん新しい自分に挑戦していくだけの話なので、全然苦じゃないです。今年も世界チャンピオンになってまたステージが上がった。
 やっぱり自分を証明し続けていくしかないですから。日々やっていることが本当に意味のあることなのか。それは勝たないと分からないですよね。どれだけいい稽古をしていても、負けてしまえば無駄という世界でやっている。
 そのくらいシビアに自分を追い込むべきだと思いますね。
──これからも大野将平という柔道を追求していく、ということでしょうか。
大野 もう誰かの真似をすることができない立場じゃないですか。いまの自分は井上康生監督と近いシチュエーションだと思っています。井上監督も現役時代にオリンピックの連覇を目指してアテネを取れなかった。
 でも結局、俺の肩書きはシドニーオリンピックの金メダリストだよねって言っていた。2個目、3個目への挑戦が失敗しても失敗じゃない、マイナスじゃないんだよと言いたかったんだと思うんですね。だからその言葉をいただいて、東京で連覇を目指すうえで気持ち的には楽になりました。
──ライバルは自分自身?
大野 自分しかいないです。もちろん、他の階級全員がライバルですし、柔道家全員ライバル、もっと言えば同じアスリートもライバルです。どっちが頑張れるか、注目を集められるか。でもそんなことを気にしている場合じゃないですし、気にする必要もない。僕は僕のことに集中するですから。
──ちなみに最近、アスリートが口にするゾーンを経験されたことはありますか。
大野 ないですね。ゾーンなんて分からないです。稽古でも試合でも、いつも集中していますから。なにをゾーンというのか分からないですけど、毎試合最善を尽くしています。ゾーンに入ったから奇跡的に勝ったというのは好きじゃない。
 勝つべくして勝っている自信があるので、あまりそういう感覚はないですね。(ゾーンに)入っていると言ったらカッコいいですけど、勝てばいいかなと。
──毎回、試合に臨むために行なっているルーティンはありますか。
大野 ルーティンもないですね。心の安定剤のようなものですよね? あるとそれに縛られるじゃないですか。10個くらいある選手もいますけど、1個逃したらダメじゃないですか。ありのままにやっていますね。実際、それ(ルーティン)が勝負の勝ち負けに直接つながると思えない。
 作る気もないし、作れない(笑)。そんなことにエネルギーを使うくらいなら、ほかのことに力を使いますね。
──つねに自然体の姿勢で戦っているのでしょうか。
大野 そうですね。日々、人間って考え方も変わるし、体調も変わるじゃないですか。そのなかでも自分を知って、最低の状況のなかでも柔道で勝っていく。
──極論ですが、試合当日39度の熱が出たとしてもノルマは勝つことだと?
大野 試合は待ってくれないですからね。そのためにあらゆる引き出しを揃えておかなきゃいけない。そのための日々の稽古、鍛錬だと思うし、いろいろなことを想定してやっています。想定外のことを想定内にしなければいけないですから。
──井上康生監督が大野さんのことを「本物に近づいてきた」と言っていましたが、大野さんの求める「本物」とはなんでしょう?
大野 僕自身が現役選手のなかで一番本物に近いという自信があります。井上監督こそ本物だと思います。本当にすごい選手と自分を比べるわけじゃないですけど、そういう柔道界のシンボルというよりかは、井上監督はあらゆるスポーツ競技のなかの頂点にいたと思うので、どんなアスリートからも「柔道の大野は強い」と思われたいですよね。
 そういった境地までいきたい。例えば、ボクシングの井上尚弥くんなんて、誰が見ても強いじゃないですか。それが本物なんじゃないでしょうか。
──誰もが認める強さを持つ、圧倒的な王者を目指すということですか。
大野 いや、僕は前回の4年間で“圧倒的”は終わったので、これから“絶対的”になると言っています。勝負に絶対はないですけど、“絶対”に近い状態になりたい。
 「大野なら絶対」と思われるような選手になる。これが東京オリンピックまでのひとつのテーマ、仕事だなと思っています。
(取材、構成:小須田泰二、デザイン:松嶋こよみ、写真:浅尾心祐)