【笠原健治】mixi創業者が語る、「ポストGAFA時代」のSNS

2019/12/29
「国産SNS」の代表格、mixi(ミクシィ)がリリースされたのは2004年。それから15年が経った今、FacebookやInstagram、Twitterなどシリコンバレー発のSNSがグローバルに普及し、今やmixiの影は薄い。
「主役の座を取れず、悔しい思いをした──」
mixiの創業者で同社会長を務める笠原健治氏(44)は語る。
SNSのmixiを続ける一方で、2015年4月にリリースした、家族間だけで子どもの写真を共有するSNS「みてね」が急成長を続けている。
利用者は2017年1月に100万人、2017年10月に200万人、2018年7月には300万人、そして2019年6月には500万人を突破した。
「新たなSNSを手掛けるチャンスも、虎視眈々と狙っている」という笠原氏は、どんなビジョンでSNS事業に取り組んでいるのか。そしてどこに勝算があると考えているのか。
SNSの栄枯盛衰を間近で見てきたIT起業家が、NewsPicks編集部に語った。
笠原健治(かさはら・けんじ)ミクシィ取締役会長・Vantageスタジオ本部長
1975年12月、大阪府箕面市生まれ。東京大学在学中の1999年6月、有限会社イー・マーキュリー(現・ミクシィ)を設立。2004年、mixi開設。2006年2月、ミクシィに商号変更し、代表取締役社長就任。2013年6月、ミクシィの取締役会長に就任。2016年4月、「みてね」を提供するミクシィのVantageスタジオ本部長を兼務。44歳(撮影:佐々木 龍)

Facebookに負けた理由

──mixiが誕生してから、15年が経ちました。改めてSNSの歴史をどう見ていますか。
笠原 SNSが画期的だったのは、やはり友達とのつながりを「可視化」した点だと思います。
SNSが登場する以前も、メールなど見えないところでつながってコミュニケーションをとることはできました。
それが、インターネット上に自分のプロフィールを公開するようになり、人々の近況が流れるフィードを見て長い時間を過ごすようになったのは、大きな変化でした。
これが意味しているのは、「人は自分自身の出来事や、友達の出来事には強く関心を持っている」ということです。
(写真:AP/アフロ)
それをいつでも、誰でも、発信・受信できるようになったというのは、画期的だったと言えます。
mixiとしても、その価値は初期から認識していました。
とはいえ、やはりFacebook、Twitter、あるいは少し形は違えどLINEに、その主役の座を持っていかれたとは思っています。
そこはとても残念ですし、悔しい思いもあります。
ですが、技術革新はまだまだ続いていきます。ユーザーは既存のサービスに慣れていくと、別の付加価値を求めていくでしょう。
今も、mixi自体は続けていますし、いずれ、我々がまたそういった総合型のSNSを手掛けるチャンスもあります。そこは、虎視眈々と狙っていきます。
(撮影:佐々木 龍)
──mixiはなぜ主役の座を奪われてしまったと分析していますか。