【Bリーグ】負債2億超から復活した「社長兼選手」の半生

2020/1/14
27シーズン目の49歳。日本のバスケ界を牽引する折茂武彦は今なお現役選手としてプレーを続け、また選手兼社長としてもチームを支える。彼が見てきた「アスリート」「日本バスケ」そして「ビジネス」とは。今シーズン限りでの引退を決めたレジェンドによる新連載。
波乱万丈のバスケットボール人生
私がバスケットボールを仕事として始めたとき、「今の姿」は想像ですら描けませんでした。あれから27年。私も、バスケット界もいろいろなことがありました。
本連載では、最終年と決めた私の現役生活の集大成として、そこで知ったいろいろな人の思いや、大きく変わった「考え方」について記してみたいと思います。第一回の今回は、私自身について少し振り返らせてください。
折茂武彦(おりも・たけひこ)Bリーグ1部(B1)に属する、レバンガ北海道の選手兼代表取締役社長。ポジションはシューティングガード。1993年にトヨタ自動車(現アルバルク東京)でキャリアをスタートさせ、2007年にレラカムイ北海道へ移籍、その後経営難によりチーム消滅。2011年にレバンガ北海道を創設し、選手兼代表を務め、昨シーズンはレギュラーシーズン全60試合中59試合に出場して1試合平均6.4得点を記録。2019−20シーズンでの引退を表明している。190センチ77キロ。
一筋縄ではいかない──。まさに、そんなバスケットボール人生でした。
トヨタ自動車入団、全日本(日本代表)入り、プロ契約、移籍、チーム消滅、自ら社長に……。
その中で、ある瞬間を境に意識が大きく変わった。
人が私を見れば、トヨタ自動車時代(1993ー2007年)までは順風満帆。お金も、選手としての立場も申し分ない。そう言うだろうと思います。
私自身の感覚としても、アスリート人生としての不満を覚えたことはありませんでした。
転機は、北海道のチームへの移籍です。
“プロの選手”としてのあるべき姿に戸惑いを覚えたこと。
そして何よりチームが消滅してしまったこと……。
北海道にチームを残したい一心で新たにクラブを立ち上げ、右も左もわからない経営に挑みましたが、そこで落ちるところまで落ちました。
億を超える負債を抱え、心身ともに追い込まれ、まともに眠れなくなる日々。その傍らで選手としてプレーも続けた。普通のアスリートではあり得ない経験です。
先日、発表させていただいた通り、シーズン終了後の5月に50歳を迎える今季をもって、現役生活に別れを告げることになりました。
おかげさまで、会社は3期連続の黒字を達成し、経営的にも安定。チームとしても、これからもっともっと強くなるために、変革の時期を迎えています。
「タイミングは、ここなのかな」
そんな想いで、決断を下しました。
ラストシーズンは、通算27度目のシーズンになります。
思い返せば、「必要とされること」が全ての原動力でした。
「尖って」いた若手時代
僕を最初に「必要としてくれた」のは、トヨタ自動車でした。
大学時代はインカレで優勝し、MVPも獲っていたので、卒業するときにはいろいろなチームからオファーをいただきました。
そんな中からトヨタ自動車を選んだのは、何より“弱小”だったから。試合に出られると思ったのです。
入社が決まったとき、親から「トヨタにバスケ部なんてあるの? そんなところに行って大丈夫なの?」と心配されました。それほど弱く、知名度もなかったんです。
大学時代から、僕の目標は全日本でした。そこを目指すためには、試合に出られなければ候補にすらなりません。強いチームに行くと、ベンチを温める可能性がある。でもトヨタ自動車なら──。
トヨタ自動車には、社員として入社しました。当時の日本リーグは完全な企業スポーツ。バスケットボールを利用して企業に就職するようなイメージです。
でも、働きながらバスケットをする。それがどうもしっくりこない。そこで僕はあることを実行に移しました。
バスケットだけで勝負する──。
「契約選手」になったのです。プロ選手のような存在です。
1年契約で、いつクビになるか分からない状態。その分、給料を大きく上げてもらいました。チームも強くなり、日本一にもなった。僕自身も日本代表の中心選手となり、3000万円を超える年俸をもらうまでになりました。当時のバスケットボール選手としては破格の数字です。
もちろん、生活を良くしたいという思いもありましたが、一方でバスケットボールの価値を上げたいという思いが強くありました。
野球やサッカーの選手たちが、すごいお金をもらっている。それが面白くなかったんです。
だから、その頃はいい車に乗り、後輩たちと街に繰り出して、これでもかというほどお金を使って飲んでいました。野球選手がやるようなことを、バスケの選手でもできるんだぞ、と示したかったんです。20代の後半から30代の頭くらいの頃です。
今思えば、当時は相当尖っていました。何せ、結果さえ出せば全てOKと思っていましたから。
ファンを大切にするどころか、野次を浴びてお客さんに中指を立てたこともありました。恥ずかしい話です。
また、勝つことが全てだったので、負けたらもう大変。暴言は吐くは、準優勝のメダルを投げ捨てたこともあり、本当に最悪でした。
でも、それはある意味自分の信念でもあったんです。
求めるのはあくまで結果と数字。それが自分を「必要としてくれた人」たちへの絶対的な答えだったので、態度が悪いことを問題だとは思っていなかったんです。
そんな自分を変えたのが北海道でした。
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衝撃だった食事「500円玉」1枚
トヨタ自動車で14年間プレーした後、当時日本で唯一のプロチームだった「レラカムイ北海道」に移籍した、2007年のことでした。
挑戦の決め手になったのは、トヨタ自動車での出場時間が減っていたこと、そしてやはり“本当のプロ”になりたかったことでした。
念願のプロになれた……はずなのに、数年間はイライラの連続でした。
トヨタ自動車では、合宿は海外、移動はビジネスクラス、食事はビュッフェが当たり前。でも、レラカムイは練習は廃校、移動はバス、食事はまさかの「500円玉1枚」。その差に愕然としたものです。
そして何より苦痛だったのが、バスケ以外のことを要求されること。
「このイベントに行ってくれ」「この取材を受けてくれ」「このテレビに出てくれ」……。いろいろなことをやらされて、バスケ以外のやることの多さに不満がつのる日々でした。
元来、自分の時間を取られるってことがすごく嫌いな性格。「俺はバスケットをしにきたのに、なんでこんなことをしなきゃいけないんだ」と、文句ばかり言っていた。
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そんな心境に変化が起こり始めたのが、移籍して2~3年がたったときでした。
心を動かしたのは、常に満員の会場でした。どんなに負けが続いても、いつもほぼ満杯で、熱い声援を送ってくれるんです。
さらに、街を歩けば、小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまで、みんなが声を掛けてくれる。「北海道に来てくれて本当にありがとう」って。
本当に必要とされる──。
それは、こういうことなのかって気づき始めたんです。
そんな中で起きてしまったのが、レラカムイ北海道のリーグ除名処分でした。2011年のことです。
原因は経営の悪化によるもの。東日本大震災も重なり、新たな引き受け手も見つかりませんでした。
「このままではチームがなくなってしまう……」
僕は新しい会社を立ち上げ、「レバンガ北海道」をつくりました。選手を続けながら、クラブの経営者になることを決めたのです。
ですが、僕はバスケットボールしかやってこなかった人間です。経営なんて出来るわけがなかったんです。名刺すら渡したことがなかったですから。
初めの3カ月くらいの記憶は完全に飛んでいます。それだけ追い詰められていたんです。食事も食べられなくなって、人生で初めて眠れなくなりました。
苦しいとき支えになった「想い」
もっとも困難だったのは、やはり資金繰りです。無知だから、最初にいい選手を獲得して、人件費に多くの資金を投入してしまったんです。
完全に行き詰りました。前のチームが潰れたとき、選手の一番のストレスになったのが給料の未払い。僕も当事者だったので、当然それを知っていた。
選手たちに給料だけは払いたい。でも資金がない。どうするか? 
トヨタ自動車時代から貯め続けた自分のお金をつぎ込むしかありませんでした。
最終的に借金は2億4000万円まで膨れ上がりました。もうわけがわからない状態です。
それでも、匙を投げる気にはなれませんでした。
支えになったのは、北海道への「想い」でした。
これだけ僕らを必要としてくれる人たちは、他にはいない──。踏ん張ろうと思いました。必要としてくれたことが、何より嬉しかったから。
最終的に僕たちを助けてくれたのは「人」です。
僕自身、どんなに苦しくても「お金のために仕事をしよう」とは微塵も思いませんでした。そんな姿勢に賛同してくれる人たちが現れたのです。
今では、協賛してくださる企業は250社を超えています。
2016年にBリーグ参入が決まったとき、僕は生まれて初めて人前で涙を流しました。
支えてくれた人たちの想いがよぎったのです。
これから、より詳しく僕のバスケットボール人生について話していきたいと思います。
トヨタ自動車で起こした改革も、経営者として味わった想像を絶する苦悩も、必要とされる喜びも、語り尽くせていないことが山ほどあります。
僕自身のことを語りたいわけではありません。
いろいろなことがありすぎたバスケットマン──。そんな男の半生を通して、「人」と「想い」について感じていただきたいと思います。
(構成:岡野嘉允、写真:レバンガ北海道、GettyImage、デザイン:松嶋こよみ)