【阪神】矢野、伝えた「俺はガッツポーズをやめない」の真意

2019/12/27
「常識」や「枠組み」にとらわれない。阪神タイガースで今年から指揮を執る矢野燿大監督も指導者としてのあり方を模索してきた。ガッツポーズ奨励、ベンチで笑顔を見せる野球。阪神タイガースが目指す新たなチーム像に迫る。

楽しんでも勝てることを証明する

ベンチの光景が変わった。今年のプロ野球阪神タイガースの試合をテレビ観戦して、首をひねったファンも多かったかもしれない。たったヒット1本で矢野燿大監督が腕を突き上げる。
ダッグアウトで戦況を見守る選手たちもガッツポーズ。オープン戦から積極的に始めたしぐさだった。
開幕前日、3月28日の京セラドーム大阪。矢野は選手とのミーティングでこう話したという。
「オープン戦から、みんなガッツポーズをやってきた。すごくいいと思う。シーズンに入って、いろいろ言われるかもしれないけど、プロ野球でも『楽しんでも勝てる』のを証明していこう」
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今季から指揮を執る指揮官の口から何度も出たフレーズは「楽しむ」だった。意地やプライドがぶつかり合い、力なき者は淘汰される厳しい世界になじまない言葉だ。プロの真剣勝負とは異質の響きを持った価値観に映る。

「楽しむ」とは程遠い司令塔

無理はない。旗振り役の矢野自身、現役時代は真逆の考え方だった。中日ドラゴンズから阪神にトレードで97年オフに移籍。03、05年は正捕手として、リーグ優勝に導いた。
試合中は常に落ち着き、特に敗戦後にロッカーへ引き揚げるときは報道陣を近寄せない殺気を放っていた。
理由があった。
「もしな、俺が記者とぺらぺらしゃべってて、それを打たれた投手が見ていたらどう思う?」
司令塔なのだ。負けた責任を痛打された選手とともに背負う。バッテリーとしての矜持がある。
愚直、冷静、生真面目──。過酷な戦いの場に身を置き「楽しむ」なんてフレーズともっとも縁遠い野球人だと周囲からは映っていた。矢野自身も認めている。
矢野は現役時代、北京五輪にも出場。球界を代表する捕手として活躍した 。Getty Images/Harry How
「野球が仕事になった瞬間、周りから見たら、好きなことを仕事にしていていいなと言われるのは客観的に見てもそう。幸せな仕事をさせてもらっているなというのはあるんだけど、でも、それを楽しむことができなかった。また、その言葉も嫌いだったのよ。他の選手が言うのを聞いても『何が楽しむや』って。仕事って苦しいことに耐えてこそ結果も出るし、対価としてお金や年俸が出ると思っていた」
努力すれば報われる。厳しく、つらい猛練習を乗り越えてこそ、栄光をつかめる。いわゆる「スポ根」は漫画でも人気を博したジャンルだったし、同時代を生きた誰もが抱く昭和的なスポーツ観だった。

パフォーマンスを高めるために

だが、矢野は自らを育んだ「物差し」を自ら手放した。現役引退後、野球評論家として多くの人と会ううちに、価値観が変わっていった。
あるとき、騎手の武豊と話す機会があった。「ジョッキーって楽しいですか」と聞けば、こう返ってきた。
「めっちゃ楽しいです。だから、全然、仕事に関係ないときでも馬のことを考えてしまいます」
示唆に富んだひと言だった。
「俺らの原点ってそこなのよ。俺らが子どものころ、野球をやっているとき、まさにそう。ハマっていることって楽しい。夢中になっているから時間も気になれへんし、何時間やっても疲れへんし、もっとうまくなりたいと思う。そういうふうに仕事をしたはるのよ、ずば抜けている人は。仕事って思ってなくて、楽しいことをただやっているだけ。やらされていない。だから、しんどくない。だから、楽しめているのよ。それが、ある意味、究極なんやなと」
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今年、監督の矢野が率先してガッツポーズするのは、こういう背景がある。突き上げるこぶしは「楽しむ野球」の象徴なのだ。
だからこそ、瀬戸際の戦いで「楽しむ」ことの本当の意味をとことん追求する。矢野が例に挙げるのは1死満塁で打席を迎えた打者の心の持ちようだ。
「併殺打を打ったらどうしようっていう自分がいる。でも、ここで打ったら俺がヒーローになれるっていう楽しみを取った方が、いい結果が出る。なにか物事を選択するとき、しんどい状況を楽しんでやろうとした方がいい」
矢野は読書家だ。世の中の摂理を学び、選手に伝えようとしている。
脳科学の視点から「恐怖って脳が体を緊張させてしまう。でも、楽しむってなったとき、筋肉は緩む。いいパフォーマンスが出やすい」と説明した。
勝ちたいから意気込む。成功したいから必死になる。トップアスリートの胸中が痛いほど分かるからこそ、ふっと肩の力を抜いてやる。指導者として、そんな手綱さばきも見せる。

楽しむ野球を体現する「使命」

2軍監督だった昨季、コントロールに苦しむ藤浪晋太郎に「ある意味、楽しんでやれよ。四球も出すけど、1個出したらアカンと思うんじゃなく、1個出したら、次の打者を抑えればいい。大げさに言うと何個、四球を出してもゼロで行ければいい」と話しかけている。
矢野ならではのアドバイスだろう。
「楽しんで勝つ野球」を率先する理由は他にもある。プロ野球のチームだから優勝し、日本一を目指すのは当たり前だ。だが、矢野阪神はもっと違う次元の、いわば「使命」を共有していた。
シーズン中、指揮官が繰り返し、選手に求めてきたことがある。「野球って、つらいとかしんどいイメージがある。俺らが楽しんで野球している姿を子どもたちに見せていこう」
暗くて厳しく苦しいイメージがつきまとい、子どもたちの野球離れが指摘されている。中体連によれば、軟式野球に親しむ男子中学生は2010年度の29万人が2019年度には16万人に激減した。
高校球児も、高野連の調査によれば今年は14万3000人台に減り、1999年と同等に落ち込む。世間の注目を集めるプロ野球だからこそ、できることがある。矢野は幅広い視点で、勝利だけにとどまらず、選手とともに粋なメッセージを発する。

連敗しても曲げない「信念」

今シーズンは最終盤の6連勝で3位(69勝68敗6分け)に滑り込んだが、好不調の波が激しい1年間だった。
5月は15勝9敗1分けで2位まで浮上したが、6月はセ・パ交流戦で6連敗(引き分け1戦挟む)を喫するなど苦戦。一進一退の戦いが続いていた。
負けが重なれば、周囲の雑音も騒がしくなる。阪神のガッツポーズに批判的な意見を示す野球評論家も少なくなかった。
それでも、矢野は信念を曲げない。
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リーグ戦再開初戦の6月29日中日戦。ナゴヤドームでの試合前、選手たちに「俺はガッツポーズをやめない。俺たちの楽しみ野球を続けていこう」と伝えていた。
指揮官自らが推し進めた野球だ。シーズン終盤までベンチも明るさを失わず、戦っていった。
阪神タイガースは伝統的に「お祭り騒ぎしづらい」ムードがある。関西に住む人たちの生活に浸透するモンスターコンテンツで、メディアも一挙手一投足にスポットライトを当てる。
たびたび「阪神の選手はおとなしい」と声が上がるのは、大口をたたかず、下手を打たず、無難にやれば揚げ足を取られない、おおげさな報道も避けられる、といった「空気感」とは無縁ではないだろう。
だが、今年の明るいベンチは、そんな〝気詰まり〟を感じさせない変化だった。なによりも、昨季最下位で客足が遠のいていた甲子園にファンが戻り、今年の主催試合での観客数309万1335人はセ・リーグ制覇した巨人を上回り、12球団最多の動員だった。

「楽しい」と「楽」は違う

矢野がたびたび言うことがある。
「楽しいと『楽』とは違う」
だから、試合中は厳しい一面も出す。4月18日のヤクルト戦で3回の好機にルーキー木浪聖也が代打を送られた。
伏線がある。1回の打席でワンバウンドのフォークを空振り三振。だが振り逃げの意思を示さず、一塁に走らなかったのだ。
「俺、やることやらん選手とか、あきらめるような選手を使いたくないから」
前向きなミスはとがめないが、戦う者が持つべき姿勢を問う。だからこそ、一方では選手の「自主性」に委ねるのだ。
やらされる練習ではなく選手個々に任せる。高知・安芸での秋季キャンプを控えた今年の10月下旬もこう話していた。
「俺は、自主性というのが中心にないといけないと思っている。結局、やらされている練習では、余計しんどくなるだけで身にもつかない。だからこそ自発的な気持ちが大事。自分は何をこのキャンプでするのか、自分がどんなキャンプを送れたらレギュラーに近づけて、試合に出られる確率がどんどん増えていくか。考えて決めて、キャンプに臨むのと、ただ単にキャンプに来てというのは、明らかに違う」
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今年、すべてが理想通りにいったわけではなかった。チーム102失策は12球団ワーストだ。
実は、自主性を尊重した結果、2月の沖縄・宜野座春季キャンプで朝の早出特守に励む選手が例年に比べて減った。練習量がすべてではないが、守備は反復がモノをいう。
矢野が「一番エラーした。それはやるべき部分。ただ『エラーしないように』というプレーは一番、面白くないし、一番、成長がない」と指摘したように、新たな課題も見えた。
今後も自主性を継続しつつ、練習の質量を色濃く変えていく。

「猛虎復活」へ、挑戦は終わらない

阪神は2005年にリーグ優勝後、14年間も頂点から遠ざかる。近年はFA補強に頼らない、生え抜きの選手育成を重視する強化方針だった。
慢性的な長打力不足を解消するため、外国人選手の獲得に注力するが、チーム成績は助っ人の成績に左右される状況が続いている。今季も「投高打低」の戦いぶりだった。
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チーム防御率3・46は12球団トップで、先発も救援も層が厚い。
対照的に538得点はリーグワースト。94本塁打も同5位にとどまり、貧打が苦戦の要因になっている。開幕4番に抜てきした大山悠輔や高山俊ら若手野手の台頭を待つなか、当面はフロント主導の助っ人補強などでしのぐシーズンが続きそうだ。
矢野は柔軟なスタンスで、いまの気質を尊重しながら若手選手に接してきた。勝つため、成功するための探究心は強く、自己啓発やリーダー論などの書物からヒントを探る。
「成功している人って、消極的な人がいない。松下幸之助さんも丁稚奉公にも出て、貧しくて勉強もできないってところから、でもみんなが幸せに暮らせるように電化製品を作りたいとかね」
野球とは無縁な先人に学んだ哲学を、ナインに伝えている。少なくとも、歴代の阪神監督では珍しいタイプだ。
常識にとらわれず、型にはまらず、新しいスタイルのチームをつくろうと模索する。球団史を変えるチャレンジは2年目に入る。(敬称略)
(執筆:酒井俊作、編集:山田雄一朗、デザイン:松嶋こよみ、写真:Getty Images)