戦後の日本文化を作った「カッコいい」の正体

2019/12/25
日常的に使われる「カッコいい」という言葉。世界的に広まっている「かわいい」に比べると、あまり研究対象にならなかった概念だが、その意味について深く考えたことはあるだろうか。

「カッコいい」という概念について、「日本の戦後や文化を動かしてきたもの」と語るのは、映画『マチネの終わりに』の原作者であり、『「カッコいい」とは何か』の著者・平野啓一郎氏だ。

個人のアイデンティティ形成に深く影響している「カッコいい」の正体について、平野氏とNewsPicks Studios CEOの佐々木紀彦が探る。
(本コンテンツはNewsPicks ACADEMIAとのコラボ企画です)

誰にも語られてこなかった「カッコいい」の概念

佐々木 平野さんの著書に『「カッコいい」とは何か』がありますが、「カッコいい」をテーマに掘り下げて書かれた書籍は、日本史上初だと思います。
平野 「かわいい」について書かれた本はあっても「カッコいい」について書かれた本は存在しませんでした。
20世紀後半の文化、ロックやヒップホップなどの音楽やダンス、デザインなどは「カッコいい」という言葉なしに語れませんし、その価値観は大きな影響力を持っていたはずです。
平野 啓一郎/小説家
1975年愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。40万部のベストセラーとなる。以後、一作ごとに変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』『ある男』等、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』『「カッコいい」とは何か』等がある。2019年11月に映画化された『マチネの終わりに』は、現在、累計58万部超のロングセラーとなっている。
たとえば、ライブチケットを手に入れるために多くの人が争奪戦をするのは、そのアーティストや音楽が「カッコいい」から。
カッコ良さは動員力と消費力を誘発するので、テレビCMなどの広告にも「カッコいい」ビジュアルやコピーを求められてきました。
でも、「カッコいい」という言葉は日本の文化を語る上で欠かせないのに、なんとなくチャラチャラした言葉のような軽い侮蔑感があって、今まで真剣な議論にならなかった。
だから、21世紀を考える上でもこの言葉を概念的に整理したいと思いました。
佐々木 「カッコいい」という言葉が使われるようになったのは1960年代からでしたよね?
平野 そうです。文学者は言葉に敏感なので、「カッコいい」という言葉がはやりだした頃に、野坂昭如や三島由紀夫などのいろんな証言が残っているんです。
「業界人の内輪の用語が電波に乗ってはやった言葉だ」と言ったり「若者たちの流行語で10年後にはなくなっている言葉だ」と言ったり。
結果、生まれては消えていく言葉がたくさんあるなかで、「カッコいい」は定着しました。

「格好がいい」から「カッコいい」へ

佐々木 「カッコいい」という言葉の起源は何だったのでしょうか。
佐々木紀彦/NewsPicks Studio CEO
1979年福岡県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、スタンフォード大学大学院で修士号取得(国際政治経済専攻)。東洋経済新報社で自動車、IT業界などを担当。2012年、「東洋経済オンライン」編集長に就任。2014年「NewsPicks」初代編集長に就任
平野 諸説ありますが、音楽関係者から始まった説が濃厚だと考えています。
もともと「カッコいい」の起源は「恰好」でした。
「この議論をする上では格好の事例だね」というように、ある物とある物がピッタリ合致している状態を表していて、その程度の表現として「格好がいい」という言い方が江戸時代に登場しました。
明治時代には、欧米から輸入された新しい文化、たとえば着物を着ていた日本人に洋服をどれだけ着こなせるのかといったことが気になり始め、「格好がいい」という言葉もますます使われるようになりました。
大正時代になると、日本のミュージシャンたちが洋楽隊を結成し、船でアメリカに渡る乗客のために一緒に乗り込んでジャズを演奏するようになったんですね。
そこで彼らは本場でジャズを聴く機会を得て、楽譜を持ち帰り、自分たちの演奏は「格好がいい」のかを意識するようになっていった。ダンスホールのブームがそれを後押ししています。
そして戦後、今まで聞いたことがなかったジャズやロックに触れたとき、体が「しびれて」思わず「なんだこれは」と声が漏れるような体験をした。
そして、それを表現する言葉として「カッコいい」が用いられるようになりました。
その背景にあったのは、それまでの天皇中心の国家から民主主義と資本主義、個人主義に変わっていく中で、自分は何のために生きているのか、どう生きていけばいいのかという戸惑いでした。
戦争で生きるか死ぬかという極度の緊張感の中で生死を感じていた人たちが、戦後の平和な世界で生きている手応えをどうつかめばいいのかわからなくなった。
そのときに、ロックなどの新しい音楽に興奮して、生きる実感を得たのだと思います。
実は「しびれる」という言葉も同じタイミングではやり始めていて、「これが求めていたものだ」としびれる体験から、憧れる・お手本になる存在を見いだせた。
これが「カッコいい」の始まりだと考えています。
佐々木 最近では、男性だけでなく女性にも広まっていますよね。
平野 1990年代までは、女性に対して「カッコいい」という言葉は使いませんでした。
それが、男女雇用機会均等法ができて女性が社会進出するようになると、雑誌社が「女性の通勤の服」を掲載するようになり、女性にとっての「カッコいい」とは何かの模索が始まりました。
同時期に、音楽領域では小室ファミリーをはじめとするダンスミュージックが増え、メディアでも女性に対して「カッコいい」という言葉が盛んに使われるようになったのです。

格差社会が生んだ「カッコいい」ことへの抵抗

佐々木 企業やビジネスパーソンにとっても「カッコいい」ことは重要だと思います。やはりAppleもティム・クックもカッコいいですから。
平野 「カッコいい」は憧れとなり、人を巻き込む力があるから倫理性が重要です。
環境問題や格差問題、あらゆる社会問題があるなかで企業は倫理的に正しくないと「カッコいい」イメージを維持するのは難しい。
情報社会ですから、どれだけ良い商品だとアピールしても、過酷な労働状況で作られていることがわかればマイナスイメージはすぐに広がります。
最近は、持続可能な社会を目指す“サステナブル”な企業が「カッコいい」存在として選ばれるようになっています。
ただ、日本は社会的に「カッコいい」とは何かの議論が成熟していません。
その根底にある課題が格差社会だと考えています。
かつて小泉政権が「貯蓄より投資」を推進していましたが、バブル崩壊の後遺症によって投資しようにもどこに投資すべきかもわからず、経済誌で「勝ち組企業」「負け組企業」の特集が組まれるようになりました。
佐々木 僕も書いていました(笑)。
平野 それがいつのまにか人間にも拡張されて、勝ち負けが貧富の差にも適用されるようになった。
勝ち組は努力しているから褒められて、負け組は努力が足りないから淘汰されていくという世界観です。
さらに2010年代になると、日本の財政問題に意識的になり、無駄遣いされているお金は山ほどあるのに、貧しい人や病気の人の社会保障費や医療費の負担が社会の迷惑だと批判するように。
一方で、お金持ちのお金の使い方に対するバッシングも激しいですよね。
ハリウッド俳優が環境問題に関わると善意に捉えられても、日本はお金持ちのリーダーが社会のためにお金を使うと「偽善だ」とたたきがちです。
どんな企業や人が「カッコいい」のか、社会的なイメージをみんなで努力して作る必要があると思っています。

「カッコいい」は人を動かす。見た目の印象も左右する

佐々木 SNSの台頭により誰もが情報を発するようになり、「カッコいい」の価値観は変わったと思いますか?
平野 僕が作家デビューをした頃は、広まり始めたばかりのネットでたたかれることもあり(笑)、ネットやSNSに良い印象を持っていませんでした。でも徐々に棲み分けがされて秩序が生まれたと思います。今はまた情報が拡散的でダイナミックですが。
ただ、炎上商法など倫理的に間違っていても目立つものが「カッコいい」と思われたら困る。
フェイクニュースや誹謗中傷、差別はネットを通じて拡散され、リアルの世界にあふれ出すからこそ、間違っていることは「間違っている」と言えるのが「カッコいい」ことだと認識されるべきですね。
「カッコいい」と「カッコ悪い」は常に表裏にあって、人はカッコよくなりたいという意識より、カッコ悪くなりたくないという意識の方が強くあります。
「カッコいい」と「カッコ悪い」は、良くも悪くも人を動かすときのキーワードになるのです。
佐々木 だからこそ倫理的に正しい・正しくないを見極める力がSNSでは特に重要になりますね。思想や内面だけでなく、見た目の印象もカッコ良さに影響すると思うのですが、その点はどうお考えでしょうか?
平野 ルッキズム批判などもありますが、要は評価ポイントのバランスじゃないでしょうか。多様性を認めることが前提ですが、見た目の要素も否定できないでしょう。
たとえば、僕は洋服のサイズは48なんですが、それを着られる体形くらいは維持したいと思っています(笑)。
見た目の維持は健康維持にもつながるので、自分なりに「カッコいい」の価値観、「カッコ悪くない」基準を持って、多少の努力をすることは大事ではないでしょうか。
特に、ビジネスパーソンは不摂生な生活や無理な働き方が続くと、露骨に見た目に表れます。
それは客観的にも「カッコいい」ことではない。個人として何が「カッコいい」のかを考えることは健康にとってもビジネスにおいても大切なことだと思いますよ。

肌悩みは速攻カバーしよう

トークセッション終了後、男性の肌悩みを速攻カバーする資生堂「uno」の男性用BB クリーム「ウーノ フェイスカラークリエイター」と“オールインワン”スキンケアの体験会が行われた。
第一印象は見た目が大きく左右する。
忙しくてクマができた、ニキビ跡やヒゲの青みを隠したいといった悩みがあるビジネスパーソンにとって、それらを瞬時にカバーしてくれるBBクリームは強い味方といえる。
見た目の「カッコいい」は、セルフプロデュースする時代。
ビジネスでパフォーマンスを高めるには、自分に自信を持たせてくれるスキンケア・BBクリームは必須になるかもしれない。
これからも、「カッコいい」は日本文化・社会に影響を与え続ける。
(文:田村朋美、編集:大高志帆、写真:小池大介、デザイン:月森恭助)