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「カーター政権下の79年には米国の中央銀行である米連邦準備制度理事会(FRB)議長に就任」・・・ ちょうどこの時、ニューヨークにあるビジネススクールでバンキングとファイナンスをダブルメジャーで学んでいたので、金融政策の目標を金利から資金の量に置き換えることで「産業界や労働組合などからの反発」を躱しながら金利を20%以上にまで上げて行った果敢な「金融引き締め策」を、学生の立場で眺めることができました。当時の米国は高いインフレ率と不況が同居するスタグフレーション状態で、いまにして思えば、あの果敢な動きがなければアメリカはのちの中南米のような混乱状態に陥っていたかもしれません。この金利引き上げでアメリカが救われた反面、当時は将来を嘱望されていた中南米諸国が次々と破綻に追い込まれていきました。いろんな意味で確かに「闘う人」でした。
折しも米国のビジネススクールではオプションとかスワップとかいう後の「投機的な業務」、そして「金融界のモラル」崩壊に繋がる技法が新しい講座として広がり始めていました。次の局面でボルカー氏はそれらが生み出す過剰なリスクを相手に戦った。一つの時代を静かに果敢に戦い続けて生きた人であったと感じます。
長年金融を専門にしてきた山脇編集委員による、ポール・ボルカーの「評伝」。かつて直接インタビューした、数少ない日本人記者の一人でもあります。近年で思い出されるのはやはり「ボルカー・ルール」。モラルによる歯止めを常に考えていた人だった、というのが記事を読んでの印象です。
経済的な私心を全く感じない人だった。金融政策の「聖者」と呼べる、真に尊敬出来る人だった。「金融ビジネスの行き過ぎ」が、どのような弊害を持ち、どうアンフェアなのかをよく知っていた人だった。