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言葉にならない。今の世界で、本当に尊敬すべき人の一人だったのに。ただ、ただ、悲しい。
情報が錯綜しているので、誤報であると思いたい。。。
哲さん。。。
衝撃です。私が尊敬する外交官のひとり、高橋博元アフガン大使が語った中村医師の活躍。アフガンにかけた人生の一端が伝わればと思います。他の記事へのコメントを転載しておきます。
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中村医師のアフガンでの活動について触れたNewsPicksのオリジナル記事があります。砂漠の緑化に日本の伝統的な経験が応用されています。在アフガン日本大使(当時)で、国際的にもアフガン通と認識されて、中村医師との親交もある高橋氏に対するインタビュー。

「日本の伝統技術でアフガンの砂漠を緑に」
https://newspicks.com/news/1503468
容態は安定しているという速報を見ていたので、驚きました。

医業に留まらず、異国アフガニスタンのために尽力と多大な貢献をされてきた方だと聞いています。私自身もNPO活動として異国での支援を始めており、お手本となるような方だと勝手ながら思っていました。

ご冥福をお祈りします。
食べるという、生きていくうえで絶対に必要な部分を支えるために、井戸を掘り、川から水を引くことから始めて農業を蘇らせる。想像を絶するくらい、途方もない作業です。そんな地味な活動を30年以上もアフガニスタンで続けてこられた中村さん。「長い目で見て、相手のためになる支援のあり方とは何か」を考えさせてくれる存在でした。

3年前の朝日新聞でのインタビューで中村さんは、
「私たちが活動しているアフガン東部は、旧ソ連が侵攻したアフガン戦争や、国民の1割にあたる200万人が死んだとされる内戦のころより悪い。この30年で最悪。かつて点だった危険地帯が面に広がった」と話していました。しかし、アフガンの人たちのことを誰よりも深く考えていた中村さんがなぜ撃たれなければならなかったのか、ただただ「なぜ」という言葉しか浮かびません。
中村哲さんとは米国同時多発テロ直後の2001年10月13日、衆議院の「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会」で参考人としてご一緒した。

どういう形であれ、軍事組織をアフガニスタンに出せば暴力の連鎖を生むと反対する中村さん、暴力の連鎖を断ち切るためには高速道路の中央分離帯のような考え方で一定の強制力を備えた軍事組織を投入することが必要で、それによる安全地帯を作ることが第一、その次に中村さんたちの井戸掘りがくるという私。

かみ合うはずのない2人だったが、中村さんの穏やかさには感銘を受けた。自民党議員からヤジられ、席に戻る途中で躓いて水をこぼしたのが気の毒だった。合掌。
彼の訃報は悲しくてならないけれど、タリバンが「犯行への関与を否定する声明」を出すという普通なかなか起きない事態が、現地社会が中村さんやペシャワール会のことをどれだけ信頼していたのかを物語っている。同じ日本人として、本当に誇らしい。

たまたまではあるけれど、僕は昨年9月に中村哲さんの講演を聴き、その後、個別にもお話する機会を頂いたことがある。追悼の意も込めて、その時に印象に残った中村さんの言葉を、ここに書いてみたいと思う。
 
「僕はとにかく逃げ足が遅い。だから逃げ遅れて、いまもこうしてアフガンで活動をしているのだと思う」
 
「医師として1人1人を救うことは大いなる喜びだった。でも、灌漑事業で数千人を一気に助けられるのは存外の喜び。これ以上の幸せはない」
 
「実はアフガンでの活動に集中していて、自分の実の子どもが亡くなる瞬間に立ち会えなかった経験がある。でもその時も、自分のやっている事業によってアフガンの子どもたちの命が数千人救えているという実感があったので、それでいいと思えた」

「これからの時代、誰か泣いている人がいたら、『どうして泣いているの?』と駆け寄ることができる気立ての良い子どもを育てていくべき」
 
「誰かに裏切られたと思っても、すべてを憎まないことが大切。その部分だけではなく、良い面もあると信じて、クヨクヨしないということが何よりも大切」
 
「ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない『素直な心』を持とう」
 
「無理やりやってもダメ。悲壮感は十分な原動力にはならない。好きなことや、やめられないようなことを思い切ってやろう」
  
とにもかくにも、自分よりもアフガンの人々を愛することのできる人だった。こんな人はなかなか存在しないと、改めて思う。彼の遺志を少しでも良い形で引き継ぎたいと心底思う。
なんとも悲しく、やるせなく、言葉が出ない。
ご冥福をお祈りします。
そして、世界が少しでも豊かに幸せになるよう、できる支援を続けていくことを誓います。
同郷で、高校の先輩でもあり、大学生の頃から講演に足を運び、記者になってからは何度も取材に応じていただきました。

「誰も行かないから、我々が行く。誰もやらないから、我々がやる」。どこまでも筋が通った憧れの人でした。

2008年に同じペシャワール会の伊藤和也さんが殺害された際にも取材をしました。こう話していました。

「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」

その通りの人生でした。でも、生きていてほしかった。
ショック過ぎます。生きることの意味を考えさせてくれた方です。アフガニスタンのために貢献してきた方がこのような方で亡くなられるのは、本当に残念です。

ただ、これでアフガニスタンへの支援が途切れることのないよう、政府含めNPOの活動を支援し続けてほしいです。