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インスタ映え、現実を見つめる投稿、どっちもありのままではない自分。表現は変わっても本質が変わってない。
そこまで疲弊しても投稿をやめないインスタホリックの流れは、これからも続くのかなぁ。
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「憧れをかき立てるような写真は数年前は効果があった。しかし、ユーザーがいま心から望んでいるのは、舞台裏の率直でありのまま『のように見える』投稿だ」
広告が収入源である以上、エンゲージメント重視の広告モデルである以上、何をやっても真実にはたどりつきにくい。共感を得てポチッとしてもらうのが究極の目的ですから、そのためのトレンドに乗って「真実をフェイク」して共感を得てポチッとしてもらう。今はそのトレンドが「完璧」から「現実っぽさ」になっているだけですね…

でもやっぱり何かの矜持がないと全てが結局フェイクになってしまう。だから人間はそれを考えてなんとかしているわけで、例えば報道の世界では、ジャーナリズムといった考え方が学問として学ばれるまでになる。ネットメディアはまだ黎明期。これからそうした「フェイク追求」でない側面をどう担保するかを探っていくのだろう。
その「ありのまま」を、いかにおしゃれにそれっぽく発信できるか。
バランス感覚が問われることになりそう。
なるほど、と納得の記事です。確かに最近のインスタグラムの投稿は文章の長いものが多いです。インスタグラムが流行し始めた数年前、フェイスブックの担当者から「フェイスブックの投稿には文章を求められる。文章を書くのが面倒に感じる若者の受け皿になれれば」という話を聞きました。そのインスタグラムが成熟し、ある意味で老化してきたということでしょうか。ツイッターも始まった頃は「荒れない」と言われましたが、今は荒れ放題です。SNSも進化し変質し老化もします。フェイスブックも日本では「年寄りのメディア」になりました。私のタイムラインには入院や闘病の報告や娘の結婚、孫の誕生といった投稿が並びます。さてインスタグラムはどこへ行くのか。

ここをテイクノートします。
「憧れをかき立てるような写真は数年前は効果があった。しかし、ユーザーがいま心から望んでいるのは、舞台裏の率直でありのまま『のように見える』投稿だ」(「のように見える」ところが重要だ)。
麻薬と違って、SNSはある意味「疲れ」られるという点で良いのかもしれませんね。中毒に陥った挙句、そのまま足を洗うことができるから。

特にインフルエンサーと呼ばれるような人たちは、もともと自意識が強いから、SNSでの偶像化が加速しすぎると、アイデンティティ喪失に陥る人も多そうだ。

一方でこういうSNS疲れって、特定の一つのSNSに依存するからなりやすいのかもしれませんね。

Twitter, Instagram, Facebook, そしてNP(笑)と複数チャンネルで人格使い分ければ(Twitter、Instagramは複数アカ)、避けられることなのかもしれませんね。
Twitterは「Look at this」でインスタは「Look at me」というのがしっくりきていた。これをいう時の「me」は「こんな素敵な私」だったけれど、それが「明暗いろいろある私」への兆しがあるという。それでも「私」には変わりない。それはある種の私小説ではないか? うーん、私小説そんなに沢山読みたくないなぁ。余計にうんざりしそうだ。
書き出しがこの記事だけでなく全てに流行に対する皮肉に満ちている。そして、リアルを映し出すインスタグラマーの流行もまたいつかより戻しがくる。

結局何を自分にとって有益なものとしてインフルエンスされるかは、インフルエンスされる側の基準をきっちりもっていればいいだけ。

“ニュートンによる「運動の第3法則」が教えるように、「すべての作用に対して常に等しい反作用が存在する」のだとすれば、Instagram上にある完璧な演出が施されたすべての写真にも、そこに写されてはいないさまざまな問題や苦悩が潜んでいるはずだ。”
非日常ばかりを発信するのはプロでもない限り続かないのだと思います。
またアナ雪ではないですが、ありのままの魅力が見直される昨今、自然な流れだとも思います。
いよいよインスタも飽きられ始めているのか。デジタルの世界は本当に流れが早い。
「憧れ」でインフルエンサーになれた時代が終わり「共感」が重要になったということですね。