グローバルでもブレない「タケダ」の競争戦略論

2019/11/29

製薬会社に「戦略」はあるのか

楠木建氏(以下、楠木) 私は「競争戦略」という領域を仕事にしているので、これまで製薬業界にあまり関心がありませんでした。というのも、製薬業界は業界の構造や、商品の性質からして儲かりやすくできていますよね。
 製薬業界は薬という、一種の“飛び道具”を開発しているので、そもそも競争戦略を立てる必要性がなくても儲かってしまう。ただ「いい薬を作る」ことは戦略ではないと思うんです。
岩﨑真人氏(以下、岩﨑) 確率論だ、ということですね。
楠木 その通りです。素人料簡かもしれませんが、創薬は確率勝負であり、単純に資金力のある製薬会社が勝つという面がある、というのが私の大雑把な理解です。ですので、本日はそんな私の素人な理解を覆すようなお話を聞きたいと思っています(笑)。
岩﨑 まず、製薬業界にも戦略はかなり必要です。1つの薬剤を市場に出すための研究開発費用の総額は1980〜1990年までの10年間と、2000年から2010年までの10年間を比較すると約6倍に。
 さらに、研究開発費は増える傾向にある一方で、新薬の臨床試験以降の成功確率は約半分にまで減っているという現状があります。
 こうした理由から、新薬成功の確率を高めるための戦略が必要です。キーワードは「選択と集中」、そして「オープンイノベーション」です。
 「選択と集中」という部分では、タケダは研究開発において、オンコロジー(がん)、希少疾患、ニューロサイエンス(神経精神疾患)および消化器系疾患の4つの疾患領域に注力しています。さらに、血漿分画製剤およびワクチンの研究開発に関する投資を行っています。
 また、がんと消化器領域の研究については、ボストンに拠点を置き研究をフォーカスしています。これは、創薬において世界で最もイノベーションを生み出している場所に研究拠点を移すという戦略によるものです。
 日本の湘南には、ニューロサイエンスと再生医療の研究拠点を置いていますが、これもタケダとして最も湘南が適していると考えているからです。
楠木 「オープンイノベーション」についてはいかがでしょうか。
岩﨑 これまでのように製薬会社が創薬に向けた研究活動を全て自前で続けるのは、さまざまな要因から限界が来ていると、私たちは考えています。これから必要となるのは、イノベーションを生むことができる多くのパートナーとの連携を加速していくこと。
 タケダは、オープンイノベーション推進の場として、湘南にある自社の研究施設を湘南ヘルスイノベーションパークとして生まれ変わらせ、多様な産業が互いに協業できる体制を作りました。

薬自体はグローバル。国ごとの経済発展で変わる疾患に対応

楠木 グローバルの観点では、タケダはアイルランドの製薬大手シャイアーを約6.2兆円で買収したことで、メガファーマの一員となりました。
 ただ、医療全体を考えると、それぞれの国によって規制はもちろん、医師との関わり方や薬の処方、習慣が違うので、非常にローカルなのではないかと思うんです。
 タケダは日本発のグローバルカンパニーですが、ローカルな医療業界において、どのような存在感を示していきたいとお考えですか。
岩﨑 グローバルとローカルの観点では、楠木先生がおっしゃるように薬にまつわるステークホルダーを考慮するとローカルな面が多い。だけど、薬そのものは確実にグローバル。私たちはどこかの国だけで効く薬を開発しているわけではありません。
 また、経済が発展していくと、その国の疾患構造も変わります。例えば今、アフリカで一番必要な薬は抗生物質ですが、経済が発展すると高血圧やがんの薬が必要になっていくと考えられます。
 新興国は、先進国を追いかける形で必要となる薬も変化していくので、これまで238年の歴史で作ってきたタケダの薬は新興国で支持されることになるはずです。
 同時に、これから先進国に必要な薬を「選択と集中」「オープンイノベーション」によって作っていくことで、タケダの強みを出していきたいですね。

世界を驚かす「野茂のフォークボール」は何か

楠木 どこの国も事情や需要に合わせて、ある特定の能力が発達していくので、日本では当たり前のことでも海外だと驚かれることが多々あります。
 これを僕は「野茂のフォークボール」と呼んでいるのですが、最近だと、ラグビーワールドカップで観戦に来た外国人が、日本で売っているコンビニのサンドイッチのクオリティに驚いていました。母国のサンドイッチとは比べものにならないくらいおいしいし、安いと。
 こういう現象は、製薬会社の場合、病院や医療関係者、患者さんとの付き合い方や薬の販売方法などに出るように思うのですが、タケダにおける「野茂のフォークボール」は何でしょうか。
岩﨑 タケダに根付いている「バリュー」だと思います。これは、タケダの精神性を示す「タケダイズム」(誠実・公正・正直・不屈)に基づく、行動の優先順位の考え方です。
 優先順位とは、「患者さん中心(Patient)」「社会との信頼関係の構築(Trust)」「レピュテーションの向上(Reputation)」「事業の発展(Business)」の4つを順番にしたものです。
 当社では、すべての意思決定や考えは、「Patient-Trust-Reputation-Business」の順番で進めています。
楠木 なるほど、患者さんファーストで、ビジネスは最後にあると。とはいえ商売なので、同じようなことを言っていても、実際は優先順位が揺らいでしまう会社も多い。具体的に、タケダが数戦順位の筋を通しているということを示すエピソードはありますか?
岩﨑 例えば、アメリカで販売している抗うつ薬があるのですが、似たような名前で全く違う薬があり、患者さんが混同してしまう可能性がありました。
 通常、ブランドが立ち上がっていたら、ビジネス優先の観点に落とし込むと名前を変更することはありませんが、私たちは患者さんを一番に考えて名前を変えたことがあります。
楠木 浸透していた商品名を変えるのは、ビジネス的に何も良いことはないけれど「Patient First」を考えると変えるべきと判断した。タケダが持つ「バリュー」にのっとり、優先順位に基づいて判断を下した。こうしたことは、他の製薬会社では稀でしょうね。
岩﨑 そうだと思います。それに、会議で何かを決めるときも必ず「Patient-Trust-Reputation-Business」の順番で会話をしますね。 
 特に営業の最前線で薬の情報提供活動を行う場合、「Patient-Trust-Reputation-Business」の優先順位にジレンマを感じることがあります。このため、各営業所で月に1度、それぞれの「ジレンマストーリー」をテーマに、ディスカッションをしています。
 具体的には、チームでジレンマを感じた事例を話して、どういう行動を取るべきだったのかを「Patient-Trust-Reputation-Business」の順番で考え、ディスカッションすることで共有します。一人ひとりが考える力をつけることで、当社の優先順位を体現できるものにしようというのが目的です。
 このジレンマストーリーはマネジメントチームの会議にも応用させていて、患者さん中心の議論ができているかについて、振り返る時間を持つこともあります。

買収したいのはパイプラインではなく、タレント

楠木 「Patient-Trust-Reputation-Business」の優先順位に、他社との違いがあると分かりました。そこは他社とは違う優位性だと思いました。ちなみに旧シャイアーの方も、同じ「タケダイズム」のもとで仕事をされているんですか?
岩﨑 もちろんです。
楠木 クロスボーダーのM&Aの場合、グループ本社は各国に今までのやり方でやってもらって結果を評価するケースがありますが、タケダは“グローバルワン”で思想から全てを統一していくのですね。
 旧シャイアーの方はそれをポジティブに受け止めていますか?
岩﨑 グローバルでみるとM&Aによって去る人もいますが、一方で積極的に残ることを選択した人たちもいます。彼らはポジティブに受け入れていますよ。
楠木 誰かからものすごく愛されるということは、誰かからは嫌われるということ。
 M&Aでみんなを引き留めよう、わかってもらおうとすると、角が丸くなって結局誰からも愛されないといったことになりかねない中で、タケダは「バリュー」を打ち出し、ポジティブに同意した人が残ったということですね。
岩﨑 まさにその通りです。
楠木 徐々に話し合ってわかり合おうとするよりも、最初にタケダイズムとそれを体現する優先順位という“印籠”を出した。これは理想的なPMI(企業の合併・買収成立後の経営統合作業)のプロセスだと思います。
岩﨑 “印籠”を出すようになったのは、過去の苦い経験があったからです。実は、タケダのグローバル化はシャイアーから始まったのではなく、2000年ごろから進めていました。
 最初のクロスボーダーのM&Aは、小さい会社だったこともあり統合はスムーズだったのですが、それでもさまざまな理由で後から辞めていく人はいました。
 その後も複数社を買収し、時間をかけてインテグレーションを進めても、結局、優秀な人は抜けていったんですね。
 だからこそ患者さんに貢献し革新的な医薬品を届けるという、我々の「バリュー」を“印籠”として最初に提示する。そして共感してもらったうえで、さらに理解を深めてもらう。そういった経緯があるので、我々にとってタレントはとても重要です。
 今あるテクノロジーや論文は誰もが見られますが、その先に何を起こすかは、人のイマジネーションやセンスが必要なんです。なぜなら、これまでも、これからも人が相手の仕事ですから。
楠木 たしかにそうですよね。サイエンスは定義からして公共財なので、いずれコモディティ化していきます。そのような状況から独自の価値や、さらに新しいサイエンスを作れるのは、結局タレントでしかない。
 阪神ファンに「今日から巨人ファンになれ」と言ってなれるものではないし、それをインセンティブで解決しようとすると大体失敗します。
 「5000円あげるから巨人ファンになれ」と言えば、その場では「明日から巨人ファンになる」というかもしれませんが、それはウソです。こればかりはインセンティブではどうしようもない。
岩﨑 だからシャイアーには、インセンティブではなく「Patient-Trust-Reputation-Business」のフィロソフィーとタケダイズムを提示しました。
「バリュー」を浸透させるために、リーダーポジションで新たに入社された方を対象とした社内研修も行っています。
グローバル・インダクション・フォーラムと呼ぶこのミーティングには、世界中からキーポジションのタレントを日本に集め、3日間かけてタケダの歴史や「Patient-Trust-Reputation-Business」をどのように体現するかについて、対話型のセッションで学んでもらいます。
楠木 M&Aをしただけではシナジーは生まれませんが、タケダは「バリュー」の思想を前面に打ち出し、タレントにフォーカスされています。すると、もともと旧シャイアーにいた人から「タケダのほうが好きだ」と思ってくれる人が出始めて、ワンチームになりやすいのかもしれないですね。

グローバル化するプロセスは終了

楠木 日本発のグローバル企業として、本格的にタケダの強みが出てくるのは何年後だとお考えですか?
岩﨑 実は、今もうすでに随分出ていると思っています。シャイアーとはシステム面での統合などまだやるべきことはありますが、優秀で多様なタレントが増えたことで、新しい活動は次々と生まれているんですね。
 ですから、グローバルに統合を行っている当社が、全く違う会社になってしまうのではないかという声も耳にするのですが、中にいる人たちは「バリューが毀損(きそん)されている」という感覚は持っていません。
 むしろ、バリューによって大事な部分をグローバルで共有しているからこそ、強い組織としてそれぞれが活躍できるのです。
 それから、我々はグローバル企業になるためのプロセスは完全に終わっていて、マネジメントの考え方や会社の構造は完全にグローバル企業になっています。
 実際、どの国のどのポジションだから、どこの国の人に任せようといった発想はありません。逆に、1つの国しか知らない人はマネジメントのトップラインに行けないほどです。
楠木 すでにグローバル企業になっている、と。
岩﨑 人材採用においても、昔は入社から定年までずっとタケダで勤め上げる日本的な新卒採用がメインでしたが、今はキャリア組の採用を圧倒的に増やしています。
 日本では一つずつ学んで一つずつポジションを上げていく仕組みを取りがちですが、それでは複数ポジションや他国を経験しないまま、年を重ねてしまう可能性が高い。
 だから、そのサイクルを早くすることで、優秀な日本人をどんどんグローバルポジションに出したいと考えています。

ビンタして抱きしめるのか、抱きしめてビンタするのか

岩﨑 楠木先生に伺いたいのですが、これから製薬会社に求められる戦略は何だと思いますか?
楠木 これまでの創薬はパイプラインと、薬という“飛び道具”での商売が成立してしまう特殊な業界だったと思います。その飛び道具の効果がなくなってきたときに必要となるのは、戦略のストーリーです。
 例えば、「ビンタをして抱きしめる」のと「抱きしめてからビンタをする」のでは、意味が違いますよね。
 一つひとつの違いははっきりしていなくても、それが時間でつながっていくとものすごく大きな違いになるようなストーリーが必要です。
 そこでいうと、タケダの「Patient-Trust-Reputation-Business」は、時間と論理の奥行きがあるストーリーになっている。
 こういうことが最終的には他社との違いと独自の価値を生み出すのだと思います。順列で勝負をするというのが、ストーリーとしての競争戦略ですから。
 どの製薬会社も同じ4つを大事だと言うでしょうが、論理的に優先順位をつけて、全ての意思決定に反映させるのは、時間軸で見るととても大きな違いになるのではないかと思います。
 しかも、それをグローバルで浸透させているのは、将来的なアドバンテージになるでしょう。
 これまであまり関心をもって観察していなかった製薬業界ですが(笑)、今日のお話を聞いてとても関心を持ちました。過去の経験で食わず嫌いになっていたので、これからは製薬業界の競争戦略にも注目したいと思います。
(執筆:田村朋美 撮影:依田純子 デザイン:小鈴キリカ 編集:海達亮弥)