台湾一周自転車旅「環島」 兄の恩人の老夫婦を、18年後に訪ねたら (5)関山〜花蓮
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2年前の10月、ベルリンに住む兄から突然メールが届いた。
「来月台湾に行くらしいね。もしできたら、東海岸の鳳林で老夫婦の家に寄ってみてくれないかな?」
詳しい事情はわからなかったが、大学時代の旅行中にお世話になった方だと言う。ぼくは自転車で台湾を一周する計画を立てていたので、「わかった」と返事をした。その1ヶ月後、まるで映画のようなエピソードを聞かされた。
『1999年8月に台湾旅行をした時、台北から留学生の友人が住む西海岸の高雄へ向かおうとしたところ、間違えて東海岸行きの列車に乗ってしまった。これはまずいと思い、車内で「日本語ができる方はいませんか?」と聞いて回ったところ、「あなた日本人?」と孫を連れたおばあさんが声をかけてくれた。もう夕方に近かったので、その日は鳳林の家に泊めてもらえることになった。家に着くとおじいさんが迎えてくれた。夕飯はお孫さんと屋台へ食べに行った。翌朝、老夫婦が駅まで見送りにきてくれた。その翌月台湾で大きな地震があり電話したら、おばあさんが出て、「こちらは大丈夫」と話したのが最後だ。――』
ぼくは老夫婦の顔も知らないが、情景はありありと浮かんできた。その交流から18年後に、弟のぼくがその家族を訪ねるなんて、なんだかテレビ番組の企画みたいだ。どんな手がかりでもいいから、兄に生きた情報を届けたい。不思議な使命感が湧いてきた。
しかし、兄から得たわずかなヒントは、そのおじいさんの名刺の画像のみ。名前と住所と電話番号が書かれていて、試しに電話をかけてみたが、自動音声が流れてきた。中国語だから意味はわからないものの、「この番号は現在ご利用になれません」と言っていそうな雰囲気だった。
あとは、その住所を直接訪ねるしかない。もしもその老夫婦の家族に会えたら、それだけで奇跡と言えるだろう。近所の方に「ああ、確かに昔住んでたよ」という言葉をもらえるだけでも、大健闘というところではないか。鳳林の駅を降りて、そんな思いで家に向かった。
静かだが、家の入り口に靴が並んでいたから、どうやら人は住んでいそうだった。意を決して引き戸を開け、「ごめんくださーい!」と叫ぶと、奥からおじいさんがやってきた。ぼくは兄から送られた名刺の画像を見せた。
「この方を探しているのですが……」
「……はい。間違いなく、私です」と、おじいさんは日本語で語った。
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