仕事も介護も「大丈夫」は「大丈夫ではない」サイン “負け戦”を戦い抜くために必要なこと
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介護はある日突然「他人事」ではなくなることがあります。私もそうでしたが、「出来ないことを知る」、「出来ないということで罪悪感をもたない」などは、一番重要なことなのはずなのに、ホント難しいですよね。
すべきこと、してあげたいこと、すべきではないこと。。。すべてがジレンマで、介護の悩みはつきないもの(涙) 子供がまだ小さいので、自分の人生が母の介護で奪われないように注意しようと思う毎日です。子供のためにもやっぱり「出来ないこと」は見失ってはいけないと感じます。介護家族にとっては自身の現状を客観視する上でもわかりやすく、支援者側は、介護家族のアセスメントにおける着眼点に気付ける記事と思います。
親子の関係性なんて、他人はもちろん、当人たちも客観視したり言語化出来る人は多くない。それが日常として言葉にせずとも流れてきているものだからです。
介護生活は、そうした家族関係の客観視や言語化のプロセスとも言えるでしょう。友人や職場の人たちでも良いですが、相談支援のプロがそばにいると、整理されていくと思います。。そうすると、本当に求める個別の介護生活や、親に対してどこまでの負担を許容してでも介護をしたいのかなどが少し見えてくると思います。
漠然と記事中にある“介護的洗脳“に浸かると後悔や負担だけが増していきますね。"介護的洗脳"
ある種『理性的な思考』の帰結のように思います。
理性的な思考が強い人は、
自身の理性的思考こそが世の中の全てであるように認識しがちです。
ただ、それは思考の癖なので、やめるやめないではなく、それを認知しなければなりません。
かくいう介護職員も同じです。
セクハラされても、体力を削られても、『大丈夫』と言ってしまう。
職場はこの世界の全てではありません。
そんな介護職員を1人でも多く救いたい。