AIは愛をハックできるのか?──ユヴァル・ノア・ハラリ、フェイフェイ・リー公開インタヴュー(前篇)
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注目のコメント
【テクノロジーとリベラルアーツは両輪ではなく、テクノロジーはエンジンでありリベラルアーツはハンドルだと思う】
まずは、引用から。
「アルゴリズムのほうが自分よりもずっと優れているというだけで、生活のなかの個人的な決断をアルゴリズムにどんどんアウトソースするときがくる。
わたしたちの前には、まったく異質でありながら、ある意味で互いに絡み合ったふたつのディストピアがあります。
ひとつは、監視資本主義のディストピアです。そこに「ビッグブラザー」のような独裁者はいないものの、あなたのことをアルゴリズムが決める場面がどんどん増えていく。
何を食べるかや、何を買うかといった決定だけではありません。どこで働くか、どこで学ぶか、誰とデートするか、誰と結婚するか、誰に投票するかといった決断もです。」
引用終わり。
本投稿のタイトルについてですが、テクノロジーとリベラルアーツを両輪とすると、その二つの意味が同質になってしまいます。
エンジンのない車は動きません。
ハンドルがない車は動きますが、方向を変えることができません。
テクノロジーはエンジンであり、推進力を左右すると思いますが、リベラルアーツはハンドルであり、テクノロジーの方向性を決めるものだと思います。
エンジンが動かないけどハンドルは動く車は観賞する、あるいは座席に座って空間を体験するなどして浸る、楽しむことはできるかもしれません。
エンジンが動いていてハンドルが動かない車は怖くて乗る人はいないでしょう。
ここでいう車を人、サービス、社会に置き換えて考えることで、リベラルアーツなきテクノロジーのリスクを深く感じます。
にもかかわらず、そのような人、サービスが増えていることが大きな課題であると感じますので、テクノロジーとリベラルアーツを合わせて普及することに、尽力します。