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哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで

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  • エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表

    今Twitter等で話題の「谷村ノート」。110ページもあるが、一通り読んで、谷村先生の気持ちが良く分かるとともに、一方で的外れと思うこともあった。

    確かに一部の哲学者、それも科学の領域に抵触するような、時間や空間、実在、無限、量子力学、生命、意識、宇宙、または科学そのものをテーマにした哲学者の言説は、控えめにいって論理的にも科学的にも間違っていることが多い。

    また、確かに過去には疑問だったが、現代科学では既に解明されていることを、未だに未解明の哲学の問題として扱っているという場合もあった。谷村先生の仰ることや憤り、衝撃は最もだとは思う。

    科学を専門としない哲学者が、細分化された現代科学の成果を正しく理解できていないことは、仕方がないとも言える。しかし、厄介なのは、哲学者は他分野に関することを論じる作法として職業倫理的にも間違っていることが多いという問題がある。物理学の根底を否定するようなことをサラっと前提として議論されていてはたまったものではない。

    確かに物理学は万能ではない。例えば、明日が必ずやってくることを証明することは物理にはできない。自然科学は経験則なので、それ以上のことは言えないから。しかし、そのことを持って、今の物理の有効性が否定されるわけではない。

    谷村ノートと、ガブリエルの「新実在論」、メイヤスーの「思弁的実在論」、それから茂木健一郎氏の講演や著作を読んでいて(何度ズッコケて頭を擦りむいたことか)、わかったことは、主観的な主張を、肩書きによる権威と、科学用語や論理的に見える表現を遣って客観性を装い、そしてそれを楽しむ人がいるというエンタメが商業的に成立してしまっているということだ。

    自分の専門外のテーマを扱うならば、専門家との対話によるアプローチをとってほしい。言いたいことがありすぎて書ききれない。誰か私の話を聞いてくれ!!!


    追記
    これまであまりに相手にしてこなさ過ぎた為に、こうなっちゃったと思うと、科学界にも責任があるようにも思ったり


  • バッテリー スペシャリスト

    谷村ノートを読み始めた段階ですが、物理学者と哲学者(よりによって分析哲学)の間の対話不成立の原因を分析してくれているものと期待してます。

    が、第一章 特殊相対性理論の対称性の美しいローレンツ変換の式が登場したところから、何か胸騒ぎがしました。そして一般相対性理論へと続く数式の天下り感のする提示の仕方に、現代の物理学が到達したとする物理学者の視点を示す意味。

    そして第二章の問いの共有化の不成立、クオリアや現象の定義のズレへと続く。

    もう少し読まないと語ってはいけないが、日本語の哲学にまつわる問題を先取りしているように思える。その問題とは、日本語に存在するという「哲学用語」。あまり真面目な議論にみえないが、以下の対談のポイントは、この点に尽きる。

    中沢新一・内田樹『日本の文脈』復習編2〈 おばさん待望論again〉
    http://blog.livedoor.jp/henry_mania/archives/1549454.html

    (一部抜粋)
    哲学がわかるかわからないかの差は哲学用語の意味を知っているかどうかじゃなくて、ふだん使っているふつうの言葉の意味をどこまで深く理解しているか、どこまでの多義性に堪えられるかで決まってくる。だから、アカデミックな哲学書を「土着の言語」に翻訳する必要なんかないし、それを職業にしている人もいない。
     でも、日本語の場合、哲学の話を哲学の用語だけで書いていたら、ふつうの生活者にはまず意味不明ですよね。一回これをどこかで生活言語に置き換えて、「平たく言えば……」という言い換えをしないといけない。抽象性の高い概念は、一度土着語に翻訳してみないと呑み込んでもらえない。だから、アカデミックな言語を語る学者と、生活言語を語る生活者のあいだに、そのあいだを取り持つ「ブリッジ」の役を果たす「二重言語話者」が必要になる。
    (抜粋終わり)

    また共通言語の問題だけでなく、思考のアプローチの違いも有りそう。純粋数学に対する言語の厳密さを求めたフレーゲに始まる分析哲学と、数式によるモデルを帰納的にアップデートし続ける物理学という、ある意味ライバル関係にも捉えうる立場の違いは無いか。

    読み進めると、相違に対する一方からの批判が建設的に行われるのかもしれないが、ノートの構成を観た印象では半信半疑。字数オーバーのため別の機会に読後コメントを書きますかね。


  • 本記事が分野間の対立を煽るものに見えたとしたら、申し訳なく思います。

    対話の必要がない場合はそのままで大丈夫です。またnote末尾に書いたとおり、谷村先生が臨まれた対話は、ご当人にとっては完結したものと理解しています。

    …両分野の没交渉を寂しく思う身として、お互いが価値を知る/伝える/共創する好機ではと思った次第です。


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