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4技能を学ぶというのは必要な方向性だと思います。私は高校の頃、英語の模試偏差値が80ありましたが、実際に仕事で使えなくてとても苦労しました。同僚が外国人ばかりということもあり、話すことが非常に重要だったためです。読み書きは出来ても、聞く、話すの訓練が少なかったことが大きな要因と考えています。
米国で働いています。「読み」「書き」は、ほぼ問題ありません。

「聞く」ことは80点くらい、「話す」ことは70点くらい(主に発音の課題)です。(注:すべて自己採点)

TOEICのヒアリングは、1問ぼっとしていて聞き損ねた問題を間違えて満点を逃しました、選択問題は、かなりまちがえて、結果的には900点ちょっとでした。

さて、そこから何がわかるでしょう?

1.TOEICのヒアリングは、ニュース解説者と同じくらい分かりやすいが、実際には、そんな分かりやすい英語を話す人は、ほとんどいない

2.TOEICだと「文法的な正確さ」を求められるが、実際には、我々の日常の日本語会話と同様、ニュアンスが分かれば十分程度

3.日常のコミュニケーションの多くは「聞く」と「話す」なので、「読む」「書く」よりも、「聞く」と「話す」ことが重要

4.日本人の発音は、米人には分かりづらい場合が多い、インド訛り、中国訛りもあるが、日本人の発音は、特に分かりづらい。

「何のために英語を学習するのか?」という目的を明確化すべきですよね。

論文を書いたり、読んだりするだけなら、「読み」「書き」ですが、コミュニケーションを重視するなら「聞く」「話す」に軸足を移すべきです。
英語ではないが、ドイツ語の学校に現地で行っていたときの話:
私「ABCDすら知らないのに何故文章を暗記させるのですか? 先ずは文法を教えて下さい」
先生「あんね、赤ちゃんがは生まれてから、だんだんと言葉を話し出すよね。赤ん坊は文法書読んでるの?」
(会話は、本来は禁止されていた英語)

3ヶ月後に先生から言われたこと:
「普通日本人は、テストの成績はバツグンに良くて。でも会話が出来ないんだよね。 でもキミはいい加減な文法だけど、とりあえずコミュニケーションとってるわな」

いわゆる、サバイバル系での語学習得の話でした。
単語は、必要に迫られれば使って覚える。
語学はコミュニケーション手段。会話できなきゃ、意味ないじゃん。
いっそ国策として官民挙げて優秀な自動同時翻訳システムを開発した方が手っ取り早いのでは。
英語はあくまでインプットとアウトプットのツールですので、4技能は必要。あったほうが可能性が広がるのはたしか。それは、自分が何かやりたいこと、目指したいものがあって、それを実現する場が海外だったり、外国人とのやりとりを要する場だったりしたときに「英語ができない」だけを理由にあきらめることになるのはもったいないよね、という理由です。
ただこのところの議論は大学入試での4技能試験を課すことについての議論に焦点が当たりすぎの感あり。4技能試験を課すなら、思考力、論理力、教養含めてのグローバルコミュニケーションの力をどう教育の中で身につけていくかの視点が必須だと思うのですが、どうもその根本のところの議論が、影が薄い気がしてなりません。
それでも、構文中心の英語学習のお陰で、英語論文の主旨を「正確」に理解することができるようになった。

話す英語は「正確」である必要はないので、構文学習は攻略法としては劣るのだろう。

試験の主体が営利企業となると、試験は単なるビジネスだから、利権の目的となるのは避けられない。

つまり、民営化は、競争環境が確保できていないと、ビジネスの公平性、衡平性、客観性を実現しない。

残念ながら、今の日本では、官がやっても、政府独占で競争環境がかえって阻害される。結局、五十歩百歩のような気がする。
国際資格でも特に「話す」の試験はないと思います。

英語としては、「読む」「聞く」「書く」の3点で十分だと思います。

この3点ができれば、普通は「話す」は英語としてはできます。

できない場合は、英語の問題ではなく、自分自身で考える力・表現力の不足であり、日本語でもいいので、自分の考えを言える訓練をすることが大切です。

英語も大切ですが、まずは自分の考え・価値観をしっかり表現できるようになることが国際社会では大切です!

STAY GOLD!!
英語教育で「聞く」「話す」ができていないことや日本語の読解力が落ちていることにも共通して影響している原因は、この国の教育システムで自らの想いや考えを「表現」する訓練が欠如しているからだと思っています。

英語に関して言えば、聞けなくても話せなくても生活できますし、ネットのおかげで読めるだけでもある程度は世界の広がりを得られます。日本語に関しては、文中の言葉から引用して要約する訓練が積み重ねられているので、キーワードの組み合わせで表現したつもりになっています。読んだつもりはできますが、書く、聞く、話すは中途半端ではできません。

私は公平な試験などあり得ないと思っているので、公平性の問題で英語試験の活用が延期となったことは残念に思っています。大学にとって英語試験の外部化は大学で提供される教育の特色に応じた学生の選抜にリソースを集中できるチャンスになると思っていましたが、今回の一件で見かけの公平性の世界に戻ることが残念です。
頭の中を複数言語に切り換えられるひとと、ひとつの言語で考え、外国語に変換するひととがいると思います。多くのひとは変換パターンだと思いますが、日本語と英語は離れた言語なので、いちいち変換してるとコミュニケーションに苦労するんですよね。

だから、話すにはちょっとしたコツがいると思っているのですが、それを教えてくれるひとが、あまりいないと思います。発音もそう。

気になるのは誤りへの態度ですね。ちょっとぐらい違ってても言葉が出てこないと、会話になりません。逆に会話なら、相手に言葉の意味を確認しながら進めることもできます。

日本のある高校で、外国人の先生と英語で話していたことがあります。それを見ていた日本人の英語の先生にあとでずいぶんダメ出しされました。生徒は、その先生が英語で話をしてるのを見たことがないと言ってましたけど。