新着Pick
309Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
熊本の百姓身分出身の北里は、日本政府内の地位としては、津和野藩の典医の家で江戸育ちの森鴎外よりは、だいぶん下でした、しかし、世界的な医学者としての評価は、北里の方が森よりもはるかに上です。森もやはりドイツに留学してコッホの研究所にいましたが、4か月だけでした。帰国後に陸軍のポストが用意されていた森は、ドイツで研究の業績を挙げるなど不要なことでした。
 現代の世界的トップ水準の研究者の資質として求められるのは、
1.自らが世界的なトップ水準の研究成果を発表し続けている
2.教え子を他の世界のトップ水準の研究者に博士課程学生やポスト・ドクター研究者として紹介して所属させ、研究者として成長できるようにする
ことです。北里柴三郎は、日本人としては初めてそれができるようになった人でしょう。
 世界的なトップ水準研究者であるためには、世界中に広がるトップ水準研究者のコミュニティに参加している必要があります。このコミュニティの中で、大学院生や若手の研究者が循環することで、次の世代のトップ水準研究者が育成されていきます。
 日本において、世界のトップ水準の研究が増えないのは、このようなトップ水準コミュニティに属する研究者と、そのネットワークを通して成長する若い世代が増えていないことの結果という面もあります。
 日本においては、政府からの予算を確保するうえでも、優秀な学生は自分の研究室に確保して、就職するまで外に出さないようにする、というのが合理的です(ホンダ的な現地一貫生産)。しかし、現代の研究の世界では、世界中にサプライチェーンが広がって効率を追求しているように、世界各地を回って修業し、ネットワークを広げることでトップ・コミュニティ入りする、というのが一般的です。
 なぜ北里が熊本の庄屋の家から国際的なトップ水準研究者になれたのかは、多くの人の世話があってのことですが、最初はやはり細川家が熊本に熊本医学校をつくり、オランダ人医師マンスフェルトを招聘したことでしょう。北里や、北里のドイツ留学を斡旋した緒方も熊本医学校の出身です。
 北里も、後輩を世界の研究者コミュニティに送り出すことに尽力し、無数の推薦状を書くだけではなく、借金漬けの野口英世に仕事を世話をしたりして、教え子たちが一人でも多く世界の研究者コミュニティに入れるように世話を続けました。
医療者として正しい方向への熱意と誠意。
こういう話は励みになる。
今も昔もいろいろな軋轢はあるのだ。
誰になんと言われても、自分がよいと思うことに対して貪欲に突き進むことでしか、非凡な成果は得られないのですね。
周囲を気にしがちになりますが、それでは功績は残せないのだと思います。
自分を信じて邁進するしかないということかと思います。
〉非凡な意志と努力をもって、自分の道を切り開いた
北里大学北里研究所病院は、スポーツ外来で定評があって、選手時代に大怪我をした時にお世話になりました。
大学病院にありがちな冷たさがなく、気持ちよくリハビリした思い出があります。
その北里研究所病院が生まれる経緯に福沢諭吉の存在があったというお話。
「このような逸材を無為に過ごさせては国家的損失に当たるとして、私財を投じて「伝染病研究所」を設立。北里を迎え入れたのである。
この研究所は後に、北里自身が設立した「北里研究所」へと引き継がれることになる。いうまでもなく、現在の北里大学と同付属病院の母体である」
北里柴三郎が大学在学中に書いた講演原稿に「人が養生法を知らないと身体を健康に保てず、健康でないと生活を満たせるわけがない」というくだりがあります。あまりにも当たり前のことなのですが、実は健康は空気のようなものだと思っている。

この健康。体の健康だけでなく、心の健康、お金の健康、などにもいえることです。特にお金が健康(健全な金融感覚)でないと、生活が不安定になり、心の健康も失われていく。

北里柴三郎の心の健康は「公衆の衛生を通じて天下国家に貢献するという志」によって維持、増進されていた。
第1回ノーベル生理学・医学賞は結局のところ「ジフテリアに対する血清療法」で北里柴三郎氏と共同研究していたドイツの医学者エミール・アドルフ・フォン・ベーリング氏が授賞したことからすると、天の時が味方してさえいればと惜しまれる。

しかしながら、授賞を逃してもなおその功績が色褪せることなく語り継がれるのは、偉人と呼ばれるに相応しいことの一つの証明になっているのかもしれない。
そもそも学問は既存の概念に対して問いを立てるところから始まる。権威に対して批評批判をすると排除されてしまうような空気では、創造的な研究ができるはずもない。北里柴三郎の研究者としての優秀さが際立つエピソード。

>引用
『北里はコッホのところで研究をしていただけでなく、新しい発見や知見を積極的に医学雑誌等に投稿していた。その活動の中で、オランダの細菌学者ペーケルハーリングが主張していた脚気菌の存在について批判したところ、日本の細菌学者、緒方正規が発表した脚気菌の論文も同様に批判するよう勧められた。緒方は、北里にとって熊本医学校(現・熊本大医学部)の同窓であり、東京医学校(現・東京大医学部)の先輩。そして、内務省勤務後は細菌学の師ともなった人であった。そのため北里はちゅうちょしたが、学問上の真理のために批判したところ、師に弓ひく者として日本で糾弾されることになってしまった。この事件は、のちのちまで尾を引き、日本の大学と北里との対立の一因となった。』

『北里の伝染病研究所からは、優秀な弟子が輩出した。知名度の高さであれば野口英世が筆頭であるが、その他にも蛇毒の研究で有名な北島多一をはじめとする錚々(そうそう)たる研究者が名を連ねている。北里の研究所と東大医学部は何かと比較され、因縁のある関係として報じられることが多かった。後年研究所の所属を巡って国会で議論になった際、ある議員は「東大医学部の教授には、世界的な大発見をした人はほとんどいないといえるが、伝染病研究所からは大事業が次々と生まれた」という趣旨の発言をしている。』
“北里の伝染病研究所からは、優秀な弟子が輩出した。”

その中でも志賀潔博士が一番手ではないでしょうか。赤痢菌を発見し、学名 shigella は博士の名前に因んでいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B3%80%E6%BD%94
素晴らしい
この連載について
忙しい現代人こそ、読書が必要だ――。 近年、教養を身につけることの重要性が叫ばれているが、意欲はあっても、読む時間を十分に取れないビジネスパーソンが多いだろう。NewsPicks編集部は、本の要約サイト「フライヤー」とコラボし、毎週土曜日に、話題のビジネス本の要約をお届けする。1冊約10分程度で本の中身を理解できるもので、まさに現代のビジネスパーソンにぴったりの内容。週末のひとときで新たな知識を手に入れてほしい。