【提言】ラットレースの働き方を回避する、たった一つの方法
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この記事読んで思い出した。
どうやら、組織というものには組織の論理があるようで、夢や希望を持った若者の多くが、一度(ひとたび)組織に入ると、やがて感覚が麻痺していき組織の論理に組み込まれていくらしい。なぜなら、そうしないと自分を守れないからだって。自己防衛本能が働き、組織の論理に従うようになるらしい。
これは、ある組織の上層部を引退した人から聞いた話。その人は、今はやりたいことをやっているって。幸せだって。
組織の論理に麻痺したまま人の上に立った人間は、夢を持った若者を「現実を知らん」やら、「青臭い」やら自己実現に失敗した自分を守るために何かしら理由をつけて否定するらしい。
否定された若者は、組織に組み込まれるか、辞めるか。それとも、闘うか。
闘い続けても、組織の論理には勝てない。闘いつづければ、疲弊もするし、人によっては、人間関係もこわすし。闘い続ける動機も薄れていく。
やりたい事をやらず、何となく空気を読んで生きてる人がいれば、僕はこう言いたい。あなたは、他人の人生を生きてますよって。
若者の熱さは、たとえ未熟であろうともそれが人として自然で正しい姿勢。
麻痺してしまい、「世の中そんなもんや」と納得してる人。たとえそんな人が大多数であろうとも。実は、大多数のほうが間違っている。腐っている。おかしさに気づけなくなってしまった。と、僕は考える。考え続けてる。
死ぬ時、人は何を思うのか。多くの人は、組織の論理に従い過ぎて生きた人生に、何かしらの圧倒的な「府に落ちなさ」を感じるだろう。
それは、あまりにも虚しく悲しい。
自分のやりたい事がある。好きな事がある、それをやりたい。そんな気持ちは人生を力強くひっぱり、時には支えてくれる。これは、間違いない。
注目のコメント
共感。 「苦労や葛藤しながらも成果を上げて、自分たちの信念を表現していく。」 信念は企業理念やブランドプロミスという形で言葉化される。 それに共感できるか? 企業文化がその理念を体現しているかも見てみよう。
企業価値は「社会に求められるか」であり単なる株価ではないと思う。仕事をいくら頑張っても、「ある部分」が欠けていると永遠に満たされることはなく、終わりのないラットレースに飲み込まれていく・・。塩田さんの指摘にはドキリとさせられます。
アカツキ本社や、横浜の「アソビル」に行ったことがありますが、アカツキの理念が伝わってくるような場所でした。
「自分を正義にして、敵を設定することで、周囲の支持を得る。これは資本主義の本質で、僕もその世界にいるわけですが、そろそろ別の世界を見たくないか、と問いたいんです」