マッキンゼーを「勢い」で退職。異色の転身を遂げた華道家

2019/11/4
華道とビジネスとの関連性に目をつけ、企業でのワークショップを中心に活動する異色の華道家・山崎繭加(やまざき・まゆか)氏。彼女が「異色」と言われるのは、その活動内容を指してのことだけではない。

マッキンゼーでの勤務を経て、東京大学先端科学技術研究センターへ。その後、ジョージタウン大学国際関係大学院に留学し、帰国してからはハーバード・ビジネス・スクール(HBS)日本リサーチ・センターに勤めた。そして、華道家に――。

それまでの華々しいキャリアを捨て、アーティスティックな世界へ身を投じたようにも見える山崎氏。しかし、彼女は言う。「本質的な部分は変わっていない」と。

まさにカラフルなキャリアを持つ山崎氏に、これまでの歩みと、異業種に転身する上で大切なものについて伺った。

「勢い」だけでマッキンゼーを退職することに

──山崎さんのキャリアはマッキンゼー・アンド・カンパニーからスタートしています。
山崎繭加さん(以下、山崎) はい。大学を卒業して、経営コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社しました。
マッキンゼーは主に企業に対して「問題解決」をしていると知り、その考え方やスキルはどこにでも適用できるのでは、と思ったんです。
入社してからはとにかく忙しかった。でもとても楽しくて、いまだに当時のことを思い出します。なんのために仕事をするのか、そもそも働くとはどういうことかを教えてくれた会社でした。
そんな会社を辞めるきっかけになったのは、2001年の9.11同時多発テロでした。22時くらいだったのですが、会社のテレビで世界貿易センターが燃えて倒れるニュースを目撃したんです。
なにが起きているのかまったく理解できなかったし、理解できていないという自分にショックを受けましたね。
──それがきっかけとなり、退職することに?
山崎 もっと世界のことを知りたい、勉強したいと思うようになったんです。
それでアメリカの大学院で国際関係について学ぼうと思ったのですが、マッキンゼーにいると忙しすぎて留学の準備ができなくて。
そんな私に東京大学先端科学技術研究センターの教授が「うちで学びながら留学準備してみない?」と声をかけてくださったんです。
それから1週間後にはマッキンゼーを退職していました。
──すごい勢いですね!
山崎 むしろ、勢いしかなかった、というか(笑)。
当時は、大学が民間の人を任期採用して数年のプロジェクトを遂行するという取り組みが始まったばかりの頃で、私みたいな人間が重宝されて。大学側からすると、私の仕事の仕方や物事の動かし方が新鮮だったようです。
そんな経験を踏まえて、ジョージタウン大学国際関係大学院に留学しました。そのまま国際問題の研究者になろうと思っていたんです。でも……。
──でも……?
山崎 いかに自分が頭でっかちだったかを思い知る出来事があって。自分の心や魂の叫びを無視していたことに気づいたんです。
それで、自分が本当は何をしたいのかわからなくなって、そのまま無職の日々を過ごしました。

心の声を無視していることに気づき、無職に

──それまで華々しいキャリアを歩んでいたのに、いきなり無職になってしまった。どんなお気持ちでしたか?
山崎 当時は無職でいる自分があまりにも情けなくてうつうつとしていました。
もう耐えられないというタイミングで声をかけてくださったのが、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS、ハーバード大学経営大学院)日本リサーチ・センターだったんです。
彼らは、「アメリカの大学院を卒業している」「日本のビジネスを理解している」「英語が書ける」「アカデミックな世界に興味がある」「でも学者にはなる気はない」という5つの条件を満たす人を探していた。
それにたまたま当てはまったんです。少しだけ働くつもりでHBSに入ったのですが、思いの外楽しくて、気づいたら10年経っていました。
──まさに山崎さんにぴったりな職場だったというわけですね。そこから「華道家」に転身するという驚きのキャリアをたどるわけですが……。
山崎 いけばなは19歳の頃からずっと趣味として続けていました。でも、それを仕事にしようと思ったことは一度もなくて。既存のいけばなの世界で働くというイメージが持てなかったんです。
2018年10月湯島聖堂でのIKERU展覧会の風景 (写真:玉利康延)
ただ、HBSで経営学者の先生たちと働いているうちに、「感性や主観、心のあり方が個人と組織のパフォーマンスに関係する」といったことが経営学で扱われるようになっていると気づいたんです。
そして自分がこれまでやってきたいけばなは、まさに感性や主観を重んじ、心のあり方を鍛錬するもの。だからいけばなの考え方や精神をビジネスにつなげることができれば、そこに自分の新しいキャリアが築けるんじゃないか、と。
そう思いついたら止まらなくなって、そのまま華道家として独立しました。時代の変化があったから、新しい形でいけばなを世に広めるという仕事のイメージができたということですね。
──華道家としては、具体的にどんな活動をされているのか教えてください。
山崎 いけばなには500年の歴史があるのですが、戦後は主に女性の花嫁修業、お作法として広がりました。いけばなといえば女性がやるものというイメージの方も多いと思います。
でも私には、いけばなとビジネスはつながる、だから若い人も男性も楽しめるはず、という確信がありました。
花をいけるという行為はとても集中しやすく、グーグルで研修にもなった「いま、ここ」のマインドフルネスにも通ずる。
私個人的としては、瞑想よりもいけばなのほうがずっと集中できます。しかも、作品を創る過程で自分の中のクリエイティビティを目覚めさせる側面もある。
活動内容としては、まず個人向けのレッスンをやっています。20代から50代まで、学生、企業勤めの方、コンサルタント、研究者、経営者、デザイナーなど、さまざまな方がいらしています。今では月に50名ぐらいいらしていて、男性も4割程度います。
また、企業や大学に出向いて、チームでいけばなをやるというワークショップを行っています。
企業でのワークショップの様子 (写真:遠山敬之)
──チームでひとつの作品を作るんですか?
山崎 はい。枝をいける人、花をいける人、というように参加者には必ず役割を持ってもらった上で、チームでひとつの作品を作り上げます。
花をいかすだけでなく、チームの人それぞれの感性や個性もいかし合う。
すると、全員が初心者だったとしても、とても美しい作品ができあがるんです。力を合わせて正解のない美しいものを作り上げる。これはチームでプロジェクトを動かしていく過程にも通ずると思っています。
──確かに。実際に参加した方の声は?
山崎 他者をいかすことの大切さや、チームビルディングとしての学びを得たという方が大半ですね。あとは、これから日々の暮らしに花を取り入れてみたい、と言ってくださる方もいます。
2018年10月湯島聖堂でのIKERU展覧会の風景 (写真:玉利康延)

やりたいことの「本質」を見抜く

──もしもHBS時代に、ビジネスと感性の関係について知ることがなかったとしたら、華道家としての独立はあり得なかったですか?
山崎 なかったですね。いけばなというものをビジネスや人材育成につなげることができたのは、マッキンゼーを経て東大、そしてHBSで働いた経験があったからです。
──山崎さんのように勢いとひらめきを持って、やりたい道に突き進むことに憧れる人は多いと思います。一方で「やりたいことがわからない」と悩んでいる人も少なくないのではないかと思うのですが。
山崎 「やりたいことはなんらかの形ですでにやっている」というのが持論です。
私の場合だと、仕事にしようとは思わず、でもいけばなをずっと続けていました。それが、時代のタイミングが合って、たまたま仕事になった。
やりたいことって外に求めてしまいがちですが、本当は自分の内側にあるのではないかと思うんです。
まずは自分がずっと続けていることはなんなのかを知ることが大事じゃないかな、と。
──まずは自分の軌跡を振り返るのが大事、と。
山崎 振り返って確認すると、なにか気づくことがあるかもしれません。
私自身これまでのキャリアを振り返ってみると、どこか「日本」というものを意識していたなと思います。
マッキンゼーでは日本の企業を元気にできたらと思って働いていました。
東大では次世代リーダーの育成に取り組み、HBSでは、日本の魅力をハーバードに届けるのが仕事でした。
そして今も、いけばなの思想や精神は世界に通ずるものがあるという思いで活動しています。いけばなを通じて日本のよさを世界に伝える、日本と世界をつなげることができたらというのが一番の願いです。
つまり、自分が好きで世界に伝えたい「日本」が、たまたまやっていたいけばなの中にあったということなんです。
いけばなは「日本と世界をつなげる」という自分が本当にやりたいことの手段だとも言えるかもしれません。もちろんいけばなが純粋に好き、というのも大きいですが。
──「やりたいことの本質」を見つけることに意味があるんでしょうね。
山崎 たとえば、医者や政治家になりたいと思っても、なるまでのプロセスが合わないこともありますよね。それは仕方ないんです。職業そのものではなく、環境や仕組みが合わない。
そこで夢が叶わないと諦めるのではなく「医者になって本当は何がしたかったのか」を突き詰めると、違う道が見えてくるのではないか、と。
そしてよく言われる「やりたいことを見つけなさい」を気にしないことも大事です。
そんなこと言われても見つからないものは見つからないし、見つけられている人は言われなくても歩きだしています。このアドバイスは意味がないんです。
今まですでにやっていることを振り返ると同時に、「やりたいこと」ではなく、もっと肩の力を抜いて「好奇心」をガイドにしてみる。ちょっと面白そうなものを見つけたら、まずはやってみる。するとその先に本当に大切にしたいことが見えてくるかもしれません。
大丈夫、私だって30年くらいずっと迷子でしたから(笑)。
(取材・文:五十嵐 大、編集:川口あい、写真:森カズシゲ、デザイン:九喜洋介)