【高橋由伸×上原浩治】お互いの引退、そしてプロの矜持

2019/11/7
プレミア12が開幕し、一方でストーブリーグへと突入するプロ野球界。それは「引退」と向き合う時間でもある。今年、プロ野球界から退く決断をした男の一人に日米を股に掛け活躍した投手がいた。

上原浩治。

その上原が発表した新刊『OVER』(JBpressBOOKS)には、盟友・高橋由伸との貴重な対談が収録されている。

1975年4月3日、全く同じ日に生を受けた二人はその後、(上原が浪人をしたため)大学3年生と4年生として日本代表のユニフォームを着て戦った。ハイライトはキューバ戦。高橋が先制ホームランを放つと先発の上原が好投、国際大会で151連勝と無類の強さを誇っていたキューバを撃破した。そして読売ジャイアンツへ。チームメイト、選手と監督とその関係が変わっていった二人が、今年ようやく同じ立場となった。ユニフォームを脱いだ友人である。

二人が吐露した「引き際の美学」を、本書の対談より編集して紹介する。

チームが先か、個人が先か

高橋 僕らの年代の選手はわりとみんな一匹狼だったよね。
上原 マイペースというか、自立しているというか……。だから俺は、今よくある「同じチームがみんなで一緒に自主トレ」とかちょっと考えられないんやけど。昔はそういうのなかったよね。
高橋 よく言えばライバル心が強かった。まぁ、みんな自分勝手だから自分のペースでやりたかったんだろうね(笑)。
上原 それはある。投げたいときに投げたいし、走りたいときに走りたい。まわりに合わすのはイヤ。
高橋 上原の場合、プロ入ってきたときからそうでしょ。「ブルペンに入れ」って言ったって入らないし。
上原 入らなかったな。よくジャイアンツも我慢してくれたと思うわ(笑)。
高橋 とにかく、自分のペースでやりたいんだよね。でも、普段からそういう考え方だから一人でも寂しくないし、不安にもならない。ブルペンに入らなくたって、グラウンドで結果残せばいいんだよ。
 プロは自己責任なんだから。自分の成績を残すことが、自然とチームにとってプラスになるっていう考え方。
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上原 まずは自分のことに必死にならないとね。それがチームの勝ちにつながる。その意識は強かったね、あの頃のジャイアンツは。
高橋 僕らの時代はみんなそういう考え方だったんだけど、今はどうしても「チームのために」と言わないといけない風潮がある。それが可哀想だと思うこともある。「自分のためにやります」と言っても、それは別に「チームのためにやりません」っていう意味じゃないのに。
上原 先発ピッチャーなんて、勝ち投手になれば(試合に勝っているから)チームのためになるわけやからね。週に一回のチャンスに、どれだけ勝ちをつけられるかを考えればいいだけ。
高橋 結局、与えられた仕事をきっちりできるかなんだよね。

現役引退と監督就任その思いとは

高橋 メジャーに行きたいって、ジャイアンツ時代からずっと公言してたよね。
上原 してたね。
高橋 目指すところは人それぞれでいいと思ってた。でも、ポスティングシステムのこととかでぐちゃぐちゃ言ってたから(※ポスティングが認められず海外FA権で移籍)、「自分で(選んで)ジャイアンツに入ってきたんだからしょうがねぇだろ」って言ったよね。
上原 もう、正論言うから腹立つねん。何も言い返せないし(笑)。
高橋 まわりはみんな「そうだよな、行かせてほしいよな」って言ってただろうけど、そればっかりだとよくないだろうと思ってね。誰かが違う側面、事実をちゃんと伝えてあげないと(笑)。
上原 俺はすぐ口に出して言っちゃうからなぁ。いつもそれで損するタイプやねん。
高橋 でも、決められたルールの中で、権利を勝ち取ってメジャー行きが決まったときは、本当に心から応援する気持ちだったよ。日本を離れる寂しさはなかった?
上原 全然なかったわ。ジャイアンツもちょっとは引き留めてくれるんかなと思ったら、まったくやし(笑)。
高橋 アメリカ行ってからは、オフくらいかな、連絡してたのは。
上原 そうだね、俺が日本に帰ってきたときとか。
高橋 試合はたまに観てたけどね。2013年のワールドシリーズのとき、俺たちも日本シリーズに出ていて、試合前にロッカールームでみんなで観てたんだよ。「すげぇな、世界一のクローザーになっちゃったよ」って。若い選手はポカーンとしてた。
上原 アメリカから連絡したのって、由伸が引退したときくらいやろ。そっちから掛けて来るわけがないから、俺がわざわざ国際電話した。
高橋 いや、メジャーリーガーの都合がわからないから(笑)。
上原 わかるやろ、時差計算したら。
高橋 いや、やっぱりね、ユニフォームを着ている人には気を遣うんだよ。それぞれ自分のペースとかルーティンがあるから。そういうのを崩したくないから。だから、連絡したのは誕生日のときくらいでしょ。
上原 その連絡もいっつも絶対俺からや!「また一つおっさんになったな」って(笑)。
高橋 はははは。でも、たしかに引退のときは電話をくれたね。
上原 あのときは報道で引退と監督就任を知って、電話して「ほんとにいいの?」って。
高橋 俺、なんて言ったかな?
上原 覚えてるよ。「仕方ねぇだろ」って(笑)。
高橋 テープが回ってないところでは「松井(秀喜)さんのせいだ」って言ってる(笑)。
上原 俺も松井さんに言った!「松井さんが監督やらないからでしょ!」って。
高橋 はははは。それは冗談で、まじめな話、俺は「引き際」をずっと考えていたんだよね。辞めるタイミングってやっぱり難しいでしょ。もちろん現役としてやれるだけやりたい。その思いはあった。
 でも、一方でチームが「肩を叩きづらい存在になっていないか」って、いかに綺麗に身を引けるかを考えていた。だから、そのときが来たのかなって。

ジャイアンツ電撃復帰の裏側

上原 代打で活躍してたし、もう一年できると思ってたんよね。それがいきなりコーチもせず監督っていう話やったから、大丈夫かなって心配のほうが先に来たかな。見ての通り優柔不断やし(笑)。
高橋 おい(笑)。正直に言うと、自分としては現役としてやれることはずっとやってきたし、引退することへの未練も悔いもまったくなかった。それよりも、監督になることに対する不安のほうが大きかった。
 過去の例を見ても、選手からすぐに監督になって結果を残した人は決して多いとは言えないから。
上原 なかなか勝てていないのはアメリカでネットのニュース見てた。でも、連絡はできなかった。やっぱり監督になっちゃうと連絡しづらいよね。忙しくなるから。
高橋 忙しいね。選手とは違った忙しさがある。
上原 ジャイアンツがグラウンドの外でもいろいろあった時期(※)で、由伸はそれを全部引き受けてたからね。(※就任発表直後、野球賭博事件などが発覚した)
高橋 たしかに、いろんな難しさはあったかもな。
上原 でも、あの頃俺は、由伸が監督で自分が選手ってちょっと面白いかもなって思った。あのとき、メジャーからもいくつかオファーはあったけど、もう先も長くないしなぁって。由伸が監督じゃなかったらジャイアンツには戻ってなかったね。多分、由伸は「要らん」かったやろうけど。
高橋 要るかどうか以前に、まったく想像してなかった。報道で「日本球界復帰はない」って断言してたから。
上原 あのときは、GMとしか話してなかったからね。
高橋 もしかしたら上原がジャイアンツに入るかもしれないってGMから聞いて、「え?そんなことあるの?」って。だけど、若いピッチャーが多かったから、来てくれたら絶対いい刺激になるだろうって心強さはあったね。
上原 最初に「監督」って呼んだときは不思議な感じやったわ。二人だけのときは今まで通りやったけど。俺が結構打たれてたから、球場のサウナで「ごめんね」って謝ったな(笑)。
高橋 あったね。「大丈夫、一生懸命やってるのわかってるから」って(笑)。まぁ、俺にとっては、言いにくいことも言える仲というか。正直、監督をやっていると愚痴りたいことの一つや二つあるからね。二人でいると素の自分になれる部分はあったかな。
上原 そういう関係は、監督になっても変わらなかったね。
高橋 上原自身が、昔と全然変わってなかったからね。相変わらず球速もないし。
上原 それを言うな(笑)。
高橋 だって、もともとそういうピッチャーじゃないでしょ。
上原 最近の高校生みんな俺より球速いし、スピードガンコンテストで俳優とかが俺より速い球投げんねんで。
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マウンドに上がるということ

高橋 ただね、経験値はやっぱりすごいよ。勝負どころは経験に勝るものはないって俺もわかってるから、どうしても頼りたくなる。CSでは大活躍してくれて。山田哲人も空振り三振に抑えてね。
上原 貢献できたの、あれだけやったなぁ。
高橋 あそこで上原というのは決めてたんだよ。膝が痛いというのは知ってたけど。我々の時代のプロって、痛かろうがなんだろうが「グラウンドに来たらやる」というスタンスでずっとやってきたでしょ。そこにいる以上はどんな状況でもやるんだっていう。
上原 そうグラウンドに行く、と決めたらやるというね。むしろ投げさせてもらえて有難いという気持ちもあった。
高橋 それに良い悪いはある。だけど、選手には「使われ方が悪いから結果を残せない」とかそういうカッコ悪いことは言わないで欲しい。「そこにいた(グラウンド)らプロとして何がなんでもやるんだ」っていう強い気持ちを持ってくれると、もっと変われるんじゃないかなと思うね。

宿命に導かれた二人の「これから」

上原 俺は、首脳陣に気を遣われているなってわかっちゃって、それが引退の理由の一つでもあったんよね。
高橋 俺自身は気を遣ったことはなかったけどね。でも、ほかのみんなと一緒かというとそうじゃない。配慮する部分は当然ある。それは上原だけじゃなくて、どの選手にもそれぞれ配慮はするものだけど。
上原 引退のとき、俺なんて言ったっけ。
高橋 電話で、「やめるわ」って。
上原 そんな感じやったか。
高橋 「なんで?」って聞いたら「もういっぱいいっぱいや」みたいな。もうちょっと頑張れよって言ったけど、もう腹を決めたから電話してきたことはこちらもわかってたからね。ちなみに、今何もしてないみたいだけど、これから何やるの?
上原 うーん、何しよかなぁ……最近、息子は野球始めたけど。そういえば、日本で議論になってる球数制限、アメリカはすでにルールが決まっているからそこまで厳しくはないんだよね。
高橋 球数制限かぁ。俺はどっちも正解で結局は結果論だと思う。投げさせて怪我しても、投げさせなくて負けても文句言われるから、現場で教えている人はたまらないよね。まわりが少し騒ぎすぎなんだよ。管理者がしっかりするしかないと俺は思うけど。
上原 アメリカの指導って基本怒らない。でも、だからダメなんだというところもある。集合時間になっても二、三人しかいなくて、挙句の果てにコーチが来ないこともあるし(笑)。
高橋 日本の指導法のよさもたくさんあるんだよね。
上原 日本とアメリカのいいところ取りをすればいいんだけど、アメリカを知っている人が日本には少ないよね。俺は両方知ってるけど。
高橋 じゃあ、ちゃんと日本球界に還元してよ。
上原 そんな気はまったくないです(笑)。
高橋 いいんだよ、そこは「そうですね」って言っとけば!
上原 それは冗談で。誘われればね。日本では、俺みたいにハッキリ物を言うヤツは嫌われるから。ノーと言う人を省くでしょ。でも、ノーと言えるほうが一流やと俺は思うけどね。
高橋 実際に現場を離れてみてわかったけど、現場にいないからこそできることもたくさんあるから、上原も現役時代と同じように思いのままにやっていけばいいんじゃない。
上原 やっぱり自由人だな。
高橋 やりたいことを存分にやって、引退後は自由っていうのも夢があっていい。影響力があるだけに、今後のことが気にはなるけど。
上原 ポジションは違うけど、俺は由伸のことをライバルと言い続けてきたからね。生年月日が一緒なのもあるし。由伸は外見がコレやから、これからも負けたくない!
高橋 また、そればっかり言ってる。
上原 思い出した……誕生日に遠征から帰京して、羽田空港で女の子たちにプレゼントもらうのは由伸ばっかりで、俺はいつも素通りやった。もうそんなんばっか。また由伸が監督になったら解説やってボロクソ言うたるわ(笑)
高橋 それが世界一のクローザーのモチベーションだったわけでしょ(笑)。
上原 まさに原点だね。
高橋 雑草魂の原点(笑)。
上原 これが同じ生年月日の宿命かぁ。
高橋 そういう人と出会えるってのも、お互い運があるよ。
NewsPicksでは、上原浩治氏が「自分への投資」について語るトークイベントを12月4日(水)16時〜17時にて開催いたします。詳細は以下の画像からご覧ください。
(写真:杉田裕一、対談構成:岡田真理)