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「感性を磨け」のウソ——我々はアートをどう見るべきか?

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  • マーケター

    アートに対して抱く感情とは「感性」からくるものであり、「知識や教養、経験」ではないというご指摘。 
    そして何故その時自分の心が動いたのか、その理由を探ることで新たな自分を発見できるという内容ですね。

    たしかに。
    作品の背景がわかった瞬間にその作品を好きになることもあるので、「背景を知ること」それ自体が感性を磨くことに繋がると思いがちですが、しかし「背景が分かったから好きになる」という構造の因果関係そのものが「感性」そのものであるならば、いくら背景(知識や経験)を知ったところで「感性」を磨くことはできないように思います。
    非常に鋭い指摘で、面白かったです。


  • GLAYLIFE.com ギタリスト

    うーん。私は美術のことはわかりませんが、私の身近なアートで考えてみます。

    たとえば料理。というか食事。無知識でも美味しい料理には感動します。ただ、知識があると更に深い感動があります。美味しい寿司、口にいれた瞬間にシャリがハラリとほどけるような寿司。それを食べた時に技術の難しさを知っている人の方が、ありがたみや感動が深いと思う。

    音楽。音楽理論を知っていたり、経験者の方が、感動する。「うわ、ここでナインスいれるか!やられた!ぐはっ!」みたいな感動は知識ないと無理でしょう。他にも、ある曲を聞いたときに、その曲が生まれた背景などを知っている人の方が感動する。

    GLAYに「君に会えたら」という曲がある。東日本対震災で多くの人が大切な人を亡くした、その悲しさなど様々な感情を歌う、とても重たい曲。TERUがレコーディングは1発で録り、2度と歌えないといってライブで演奏されることのなかった曲。GLAYのメンバー、特にTERUは震災にとても心をいためていた。

    そんな背景を知っていて、仙台で行われたライブで「皆と一緒なら、歌えると思う」といって演奏されたのを聴く私と、GLAYファンでもないのに仙台まで連れていかれて初めて聴いた彼女(後の妻)では、当然感動の度合いは違うと思う。


  • バッテリー スペシャリスト

    「シミュレーショニズム」の椹木さんは今や大学の先生ですか。

    ボードリヤールの「シミュラークルとシミュレーション」のような消費社会の商品の本質である差異を取り出してみたところで、美術作品は面白くなる訳ではない。そこを椹木さんは「剽窃」だと言い切ったところに新しさがあった。

    ウォーホールに留まらず、ピカソも横尾忠則も剽窃の作家で、モダン時代の作家はベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」さながら、敢えて言えば「継承」として美術を壮大なストーリーとして語る、技術オリエンテッドではない、ある種の前世代からの「継承」を乗り越える歴史絵巻を織り成す行為の1つとして「剽窃」を取り上げた。

    つまり時代によって視覚的価値も変わっていくことと、その歴史を組み込まざるを得なくなったところに現代美術の解りにくさがあると思う。そしてモノに対する視覚的認識に革命を起こし続けてきた美術も今やサイエンスに取って代わられつつあり、美術界の独我論に陥ってしまったとも言えるのではないか。

    スナップショットとしてモダンアートを振り返った時に、歴史を組み込んだがために振り返られることのない作品を生み出してしまった稀有な時代の烙印を押される可能性もある。

    だからこそ現代人のエステティックで美術作品を選ぶという行為は、作家の「剽窃」以上に美術を再生産する役割を果たすのではないだろうか。


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