【衝撃】経営者「稲盛和夫」はこうして生まれた

2019/10/26
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稲盛和夫(以下、稲盛)は、1932(昭和7)年1月、鹿児島市薬師町に生まれた。
子どもの頃は甘えん坊で、四六時中母親のキミのあとを追いかけ回していた。一度泣き出したらなかなか止まらず、“3時間泣き”とも言われていたほどだ。
恵まれていたのは、周囲に“一生懸命知恵を絞り汗をかいて働く”人がたくさんいたことだ。
祖父の七郎は年をとっても行商をしていたし、父の畩市(けさいち)は独立して「稲盛調進堂」という印刷会社を経営していた。
自宅の隣にあった印刷所は、稲盛にとって格好の遊び場であった。だが、忙しく働く父親の手伝いはしなかった。
将来、仕事の虫になることなど想像もできないくらい、家の手伝いもろくにしない、やんちゃな甘えん坊だったという。

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