社会構造の変化やテクノロジーの進化にともない、個人や企業は、新しい考え方や成功モデルへの書き換えが求められている。サイエンスによる答えがコモディティ化した現代では、「正解を出す力」に価値はなく、資本主義社会で評価されてきた能力や資質は、急速に凡庸なものへと変わりつつあるのだ。
 では、私たちはどのようにして「オールドタイプ(旧型の価値観)」から「ニュータイプ(新型の価値観)」へシフトしていけばいいのか。『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(山口周〔著〕、ダイヤモンド社)より、4回連載でお届けする。(第2回)

なぜ大企業のネットビジネスは失敗するのか?

検索エンジンやEコマース、動画共有サイトなど、今現在ネット上で多くの人々が利用しているサービスのほとんどが30年前には存在しなかった新興企業によって提供されています。
この状況を多くの人が当たり前だと思って受け入れていますが、これは考えてみれば不思議なことではないでしょうか? なぜ、当時の大企業は莫大な富を生み出すことになるこういったビジネスの主要プレイヤーになれなかったのでしょう?
身もふたもない言い方ですが、結局のところそれは「能力がなかったから」ということになるのでしょう。多くの人がすでに忘れてしまっていますが、当時の大企業は検索エンジンも電子商取引の事業にも挑戦し、そして敗れていったのです。
たとえば、IBMは1996年に鳴り物入りでWorld Avenueなる電子商店街サービスを開始しましたが、莫大な損失を出して1997年に撤退しています。
1990年代の後半、なかなか黒字化しなかったアマゾンの将来に対して、多くの評論家が極めて悲観的だったのは、このIBMの失敗事例に基づいてのものでした。それはつまり「あのIBMですら失敗しているのに、資金も人材もテクノロジーも劣っている彼らがうまくいくわけがないよ」ということです。
しかし今日、我々は大企業によるネットビジネスのほとんどが失敗に終わっていることを知っています。
他にも、たとえば日本で最初に検索エンジンのサービスを開始したのはヤフーでもライコスでもなく、NTTでした。NTTは1995年に「NTT Directory」と名付けたロボット型の検索サービスを開始しています。
ヤフージャパンのサービス開始が1996年ですから、時期的にはそれに先んじていたわけですが、企業価値を数万倍に高めたヤフージャパンとは対照的に、このサービスが大きな商業的価値を生み出すことはありませんでした。
また、これは単一企業による取り組みではありませんが、経済産業省は2007年に「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」と銘打ち、グーグルを凌ぐ国産の検索エンジンを作るという壮大な計画をブチ上げました。
50社ほどの民間企業を巻き込み、300億円の国家予算を投入して3年以内にグローバルスタンダードに匹敵する検索エンジンを開発するという壮大な計画でしたが、下馬評通りと言うべきか、残念ながら150億円ほどのお金を投じた3年目の段階で中止となりました。

エリートがアントレプレナーに敗れる理由

イノベーションの歴史を振り返ると、この「命令を受けたエリート」vs.「好奇心に突き動かされた起業家」という戦いの構図がたびたび現れます。そして、多くの場合、本来であればより人的資源、物的資源、経済的資源に恵まれていたはずの前者が敗れています。
これはなぜなのでしょうか? もちろんさまざまな要因が作用しています。筆者が所属するコーン・フェリーのこれまでの研究から、一つ確実に指摘できると考えられるのは、「モチベーションが違う」ということです。
モチベーションの問題を考えるにあたって、非常に象徴的な示唆を与えてくれるのがアムンセンとスコットによって競われた南極点到達レースです。
20世紀の初頭において、どの国が極点に一番乗りするかは領土拡張を志向する多くの帝国主義国家にとって非常な関心事でした。そのような時代において、ノルウェイの探検家、ロアール・アムンセンは、幼少時より極点への一番乗りを夢見て、人生のすべての活動をその夢の実現のためにプログラムしていました。
たとえば、次のようなエピソードを読めばその徹底ぶりがうかがえるでしょう。自分の周りにいたらほとんど狂人です。
・子供の頃、極点での寒さに耐えられる体に鍛えようと、寒い冬に部屋の窓を全開にして薄着で寝ていた

・過去の探検の事例分析を行い、船長と探検隊長の不和が最大の失敗要因であると把握。同一人物が船長と隊長を兼ねれば失敗の最大要因を回避できると考え、探検家になる前にわざわざ船長の資格をとった

・犬ゾリ、スキー、キャンプなどの「極地で付帯的に必要になる技術や知識」についても、子供のときから積極的に「実地」での経験をつみ、学習していった
一方、このレースをアムンセンと争うことになるイギリスのロバート・スコットは、軍人エリートの家系に生まれたイギリス海軍の少佐であり、自分もまた軍隊で出世することを夢見ていました。
当然ながらスコットには、アムンセンが抱いていたような極点に対する憧れはありません。彼はいわば、帝国主義にとって最後に残された大陸である南極への尖兵として、軍から命令を受けて南極へ赴いたに過ぎないのです。
したがって、極地での過去の探検隊の経験や、求められる訓練、知識についてもまったくの素人といっていいものでした。
さてこのレースの結果は、皆さんもご存知の通り、「圧倒的大差」でアムンセンの勝利に終わります。アムンセン隊は、犬ゾリを使って1日に50キロを進むような猛スピードであっという間に極点に到達し、スムーズに帰還しています。
当然ながら一人の犠牲者を出すこともなく、隊員の健康状態はすこぶる良好でした。一方のスコット隊はしかし、主力移動手段として期待して用意した動力ソリ、馬がまったく役に立たず、最終的には犬を乗せた重さ240キロのソリを人が引いて歩く、という意味不明な状況に陥り、ついに食料も燃料も尽きて全滅してしまいます。
一体何がマズかったのか。スコットの敗因についてはさまざまな分析が行われていますが、ここで筆者が取り上げて考察したいと思うのは、「探検そのものの準備と実行の巧拙」ではなく、もっと根源的な「人選の問題」という論点です。
先述した通り、このレースは軍人エリートの家系に生まれ、自らもそうありたいと願うスコットと、幼少時より極地探検への憧れを抱き続け、人生そのものを一流の極地探検家になるためにプログラムしたアムンセンのあいだで争われ、そしてアムンセンの圧倒的な勝利に終わりました。
ここで着目したいのが、この2人を駆り立てていた「モチベーション」です。同じ「南極点到達」という目標に向かって活動しながら、彼ら2人は大きく異なるモチベーションに駆動されていました。
スコットのモチベーションは、おそらく海軍から与えられたミッションを完遂し、高い評価を得て出世するという点にあったでしょう。
一方で、アムンセンのモチベーションは、おそらく南極点に最初に到達し、探検家として名を成したい、というただそれだけのものだったでしょう。
つまり、スコットが「上司から与えられた命令を完遂して評価されたい」という承認欲求に突き動かされていたのに対して、アムンセンは極めて内発的なモチベーションによって突き動かされていた、ということです。
この「上司からの命令で動くエリート」と「内発的動機に駆動されるアマチュア」という構図は、インターネット黎明期の頃から、たびたび見られた戦いの構図であり、多くの場合は「内発的動機に駆動されるアマチュア」に「上司からの命令で動くエリート」が完敗するという結果になっています。

なぜ好奇心が課題意識に勝つのか

インターネット黎明期から続いてきた一連の「大企業の専門家 vs. アマチュアのアントレプレナー」という戦いの構図、あるいはアムンセンとスコットによる南極点到達レースの物語を虚心坦懐に読み解けば、そこからわかるのは「内発的モチベーションを持った人が、上司の命令で動く人と戦えば、前者が勝つ公算が強い」ということです。
企業が保有する経営資源の中で、可変性が最も高いのが「人」という資源です。
つまり、ここに同じ潜在能力を持った2人がいたとして、内発的動機で駆動されているニュータイプと、上司からの命令で駆動しているオールドタイプとを比較すれば、前者が後者よりも高いパフォーマンスを発揮する公算が強い、ということです。
内発的モチベーションを持っているニュータイプというのは、自分で仕事の「意味」を形成することができる人材です。仕事における「意味」の有無は、人の能力を変えさせるほどの影響力があります。
さて、この示唆は私たちにどのような行動を促すことになるのでしょうか? マネジメントの立場と個人の立場の2つの視点から考察してみましょう。
まず、マネジメントの立場からすれば、これまでの実績や従順さに応じて、ポジションを与えるということが危険だという示唆が得られます。一般に、企業における大型のイノベーションプロジェクトでは、それまで高い実績を挙げてきたエースが投入されるケースが多いでしょう。
しかし、こういった「高い業績を継続的に挙げてきたエース」が、必ずしも内発的動機に駆動されているとは限りません。現在、企業における人材配置は、職務の重要性と発揮能力をリニアな関係に捉えて、より重要性の高い任務に、より高い能力を有する人材を当てる、という単純な考え方が主流になっています。
しかし、マクレランドおよびコーン・フェリーのこれまでの研究結果は、任務と能力の関係はそのように単純なものではなく、能力の背後にある「動機」が大きく職務のパフォーマンスに影響を与えること、動機のプロファイルによって、活躍できる仕事の種類は変わるということを示しています。
次に、個人の立場に対する要請について考えてみれば、ニュータイプが内発的動機によって駆動できるような場に身を置くことに腐心する一方で、オールドタイプは上司から与えられた命令を実直にこなすことに腐心します。
しかし、結果はすでに確認した通り、内発的モチベーションに駆動されているニュータイプと、上司からの指示命令にしたがって駆動しているオールドタイプが戦えば、必ずオールドタイプが敗れることになります。
結果をすでに知っている人に対して、アムンセンとスコットの立場を比較して、「どちらかを選べ」と言えば、スコットの立場を選ぶ人はいないでしょう。
前者が元から大好きだった探検を心底楽しみながら遂行し、無事に生還して探検家としての盛名を得たのに対して、後者はまったく興味のなかった探検を上司の命令だからということで仕方なく受け入れ、拷問のような苦労を積み重ねた末に、部下全員と自分の生命まで失っているのです。
探検隊の最後の一人となったスコットの日記には「残念だがこれ以上書くことができない」と記され絶筆となっています……何ともはや。
しかし、では今日、どれだけの人が自分の内発的動機とフィットする「場」に身を置けているかとあらためて考えてみれば、多くの人はスコットと同じように「上司の命令だから」ということで、モチベーションの湧かない仕事に身をやつしながら、内発的動機に駆動されて自由自在に高いモビリティを発揮しているニュータイプたちに翻弄され、きりきり舞いさせられているのではないでしょうか。
そのような場所に身を置いていれば、いずれ自身もまたスコットと同じような社会的結末へと至ることになる可能性があります。
(デザイン:月森恭助 写真:metamorworks / iStock)
※本記事は書籍『ニュータイプの時代』より抜粋して転載しています