「自分は発達障害じゃない」と言い切れますか
東洋経済オンライン
17Picks
コメント
注目のコメント
ダイバーシティを高らかに歌うのなら、第一歩は、発達障害を全て受け入れる社会になること。「障害」と言う言葉も改めたほうがいい。
発達障害という言葉が扱う意味があまりにも広範囲で、また曖昧な面も含んでおり、かといって全てが個別の事例として細分化可能という訳でもありません。
それでもやはり障害という用語は多くの人に心理的にも受け入れられ難いと思うので、何か新しい表現は必須、そして周囲の人も障害として扱わないといった配慮や社会的合意形成も必要です。成人の発達障害の診断は難しいと聞きます。幼少期でないと確定診断がしづらい、と。
この記事は ADHD ですが、自閉症スペクトラムの場合、便宜上「みなし」として診断する、なんて情報もあります。
https://synodos.jp/society/22846/2 (「成人の自閉スペクトラム症の診断をめぐる問題」の項参照)
というわけで育成者への幼少期エピソード聴取が重要になるようでして、実際この記事でも親の申告が要点です。
ここで自分自身を顧みて思うこと。大学期に引きこもり、当時外部に助けを求めることをしなかったのですが…この記事の女性のようにしていたら?
母子家庭、高校で母が他界、祖父母に 1 年半引き取られた後進学して一人暮らし。もし私が障害をもっていたとして、判断がついたでしょうか?
私は当時の自分を自己責任ということで納得して人生を築いてるので障害の有無はどうでもいいです。たぶん定型発達。
ただ、今まさに困難を抱えている人の中には家族の不備を抱えている人も多いんじゃないかなあ、と気になってます。
結論めいたものは持ち合わせていなので、診断がないとだめですか? と問題提起して終了。