良い絵を見て「直観力」と「想像力」、 「大局と細部を見る力」を鍛える
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解説パネルを読まないで、観て感じる。
日本人の多くは、美術館で80%の時間を、観ることではなく、読むことに使う。解説を読み、大きくうなずいて、絵はチラッと見るだけ。
試験のように正解はない。だから、絵を観て、魅せられる。好奇心をふくらませ、自分が感じたことを信じましょう。アート話大好きなのでひとこと。
アートを鑑賞する時は知的な楽しみ方をしたいなら神話宗教的な背景や画家の意図を知っていた方が格段に面白い。
でも同時に『視覚』という感性をひらく効果もあって、あえて多くを知らない中で細部と大局を行ったりきたりしながら想像するというのも愉しいもの。普段私たちはモノを視ているようでぜんぜんみていないと気付かされます。ただ、全然知らないと思考が深まらないので、画家の背景と絵のタイトルだけ読んで、あとはただ観る、というのが好きです。
味覚も同じで、お茶やワインもある程度の知識のベースを持ちつつその上で想像力を駆使するとより面白いと思います。
余談ですが記事中に出てきたピカソの海辺の母子像は、先日偶然、ひろしま美術館でポーラ美術館コラボ展があり遭遇しましたが、凄い引力のある絵で身動きできないほどでした。アートは原画がひとつなので、出会いでもあるのが現代における面白みかと。「良い絵」とはなにか。
この記事ではピカソの具象画を例に挙げているが、一般に人間が絵画から得る直観(あるいは直観)は、具象画と抽象画とでは大きく意味や脳内での処理が異なる。
生理学者で物理学者のヘルマン・ヘルムホルツは、視覚情報の処理には、ボトムアップとトップダウンの2種あると考えた。ボトムアップとは、脳が生得的に持っている、顔、輪郭、位置、なとの基本的な情報処理を行うプロセスのことで、トップダウンとは、経験された関連づけや高次な推論を含む処理を指す。どちらも瞬時に処理されるという意味で、「システム1」に相当すると思われるが、後者は経験によって後天的に得られる「直観」というべきものだろう。
具象画(少なくとも具体的に現実の何が描かれているか分かるもの)の場合、コンテクストなしに描かれた背景を知らずただ画面から感じられるものは、脳のデフォルトモードネットワークに働きかけているボトムアップ的な処理と言える。
一方で、抽象画は、脳がまず何の情報なのかがわからず(一般にそれを狙っていることが多い)、必死で情報を補完したり関連付けたり意味付けを探そうとするので、トップダウン的な情報処理が行われる。
具象画でも、抽象画でも、もちろん両方の処理は行われるが、狙っている効果が大きく異なることは明らか。
全体と部分を眺めるトレーニング?なら、絵を見ずとも、世界は「全体と部分」にあふれている。
熱力学と統計力学、ネットワーク理論、凝縮系物理(物性物理)、社会的意思決定論、などはむしろ全体と部分の本質そのものを扱うもので、もしそれを絵の価値とするならば、むしろこれらの学問の方がより有効の様に思えてしまう。
まして、ロスコの「シーグラム壁画」の様に、部分を観ても何も得られないタイプの絵もあるわけで。逆にそういうタイプの抽象画は、「良い絵」とは言えないと言いたいのだろうか。