売り上げ1.4倍。雑誌不況時代を勝ち抜いた『レタスクラブ』復活の真相

2019/10/14
あらゆる情報がネット上で無料で入手できるようになった現代。出版、とくに雑誌の不況は深刻で、各誌は生き残りをかけている。

生活情報の老舗雑誌『レタスクラブ』も例外ではなかったが、立て直しをミッションに編集長に就任した松田紀子氏のもと売り上げ1.4倍を達成。実売部数でも長年業界トップを誇っていたライバル紙を上回ったという。

編集長になるまで『レタスクラブ』を読んだことすらなかったという松田氏は、いかにして雑誌の復活を図ったか。

NewsPicksアカデミアで8月に開催した「出版業界における復活劇〜レタスクラブ、V字回復の舞台裏〜」で、その経緯と真相が明かされた。大反響を生んだイベントのレポートをお届けする。

「コミックエッセイの知見で、雑誌を立て直せ」!?

松田 元『レタスクラブ』編集長の松田紀子です。『レタスクラブ』は、1987年創刊で「料理、整理・整頓、美容・健康、お金」の4分野を柱にした雑誌です。今日は、私が『レタスクラブ』の編集長として駆け抜けた、2016年からの3年間についてお話しします。
まずプロフィール紹介ですが、女性からよく「〇〇のときは何歳でしたか」と聞かれるので、年齢とともに追っていきますね。
松田 紀子(まつだ・のりこ)/元レタスクラブ編集長
大学卒業後はリクルート九州で『じゃらん九州』の編集を担当し、27歳で上京してメディアファクトリーに入社します。そこで担当した『ダーリンは外国人』がシリーズ300万部のヒットを記録しました。
この作品は作者の身の回りで起きたことを漫画でつづる「コミックエッセイ」というジャンルで、これを機にコミックエッセイを主軸とした編集者になりました。
33歳で出産し、育児休業を経て復職。数年後にはコミックエッセイ部門の編集長になり、楽しく仕事をしていました。
しかし2012年、メディアファクトリーがKADOKAWAの傘下に入ることになったのです。『レタスクラブ』はもともとKADOKAWAの雑誌ですから、この青天の霹靂が後の私のキャリアにつながるわけですね。
そして42歳となった2016年、上司に突然呼び出されます。上司は「ゴルゴ13」に似ていて呼ばれるだけで迫力があるんですが(笑)、そこで言われたのが「部数の落ち込んでいる『レタスクラブ』の編集長になってほしい」でした。「コミックエッセイの知見を生かして立て直してくれ」と。