教育最前線:「みんなの学校」と百ます計算に見た日本の没落
コメント
注目のコメント
日本の教育がどうしようもなく駄目な所は、エリート教育なのです。
庶民教育、つまり、"24時間戦えますか" みたいな兵士君は、立派に育ってるのです。
しかし、今のエリート君はどうみてもアホなのです。官僚や政治家や経営者見ればわかる事です。 (関電の経営者なんか見てどう思います?あんなじや、幕末の役人ですよ。)
筆者の考えてるのは、庶民教育なのか?エリート教育なのか?全然わからんのです。
そして、18歳の暗記中心の大学入試は容認してるわけです。AO入試は駄目とか言ってるのは何故なのでしょう?
大学入試を無くす事です。入りやすく、卒業しにくい大学を作る事です。しっかりしたエリート君を作る事です。
そうしないと、日本は没落どころか沈没するのですよ。で、結局何を言いたいか3回読んだがわからない。
反知性主義に日本の学校が陥っていると書いているが、とんでもない。
学校の先生はいかに子どもたちの知性、知識、学力を高めるかに腐心している。
少なくとも相当数の先生方に話を聞いていて、学校の先生で
「反知性だ」「反知識だ」「反学力だ」なんて言っている先生に
会ったことがない。(むしろそれが問題だとすら思う)
最前線のことを後方から見ているんじゃないでしょうか?僕にはむしろ初中等教育での「満遍なく平均点」を目指す教育が目につきますが。
一方、大学入試の質は問題であり、ここは落合陽一さんが仰られている様に「大学入試問題を作ること自体が求められている学力」であると考えます。
大学無償化の動きが著しい昨今において、誰でも入学出来る大学が増えることに意味は無いかと。
逆に初中等教育でエリートが量産されている事実があるのだとすれば、俗に言う「Fラン大学」は淘汰されるべきでなんの存在意義も無いはずです。
テクノロジーの進化によってこれ迄の「学歴格差」はあまり意味を成さない社会になるのではないでしょうか。
ともすれば、成績優秀な人材と同じ様に「何かひとつ」に秀でた人材がスポットを浴びる社会が実現すると思います。
その「何かひとつ」を見つける過程が初中等教育の役目であっても良いのではないでしょうか。