【佐々木紀彦】「編集」はビジネスでこそ価値を生む

2019/10/6

「縦割り」社会で、横串人材になれ

「佐々木さんは、なぜそんなにアイデアが次々と浮かぶのですか?」
大企業やベンチャーに勤める専門家の方々とお話しすると、よくそんなふうに言われることがあります。
私自身は、何の専門家でもありません。
「編集」のプロである編集者として17年間、ひたすらさまざまな業界や企業に首を突っ込んで話を聞いてきただけです。
しかし、最近になって感じるようになりました。
多様な情報を蓄え、それを自由自在につなげる編集のスキルは、気づけば自分の大きな強みになっていたのではないかと。
「縦割り」があふれる日本の組織文化の中で、分野を縦横無尽に越境する思考、つまり「編集思考」こそが今の日本には求められているのかもしれない――。
私は東洋経済新報社に入社して以来、編集者として働き続け、今はNewsPicksStudios CEOそしてNewsPicksの新規事業担当取締役としてビジネスを仕掛ける側に回っています。
私自身が日々感じるのは、「編集」の技術をメディア業界の人間だけで独占しておくのは大変もったいないということ。編集というスキルはとても汎用性が高く、むしろメディアの外、ビジネスの世界でこそ生きるものです。
多くの人が「縦割り」から抜け出し「横串」でさまざまなものをつなげる編集思考を身につければ、多様なキャリアがあふれ、多様なビジネスがあふれ、日本全体が、もっと活力にあふれていくはずです。

キャリアは「両極」に振れ

編集思考は個人のキャリアにも役立ちますが、その前提には時代の変化があります。
これからの世界では、生き方やキャリアに“唯一の正解”や“みなが憧れる花形”は存在しません。価値観や正解がどんどん多様化し、自分に合った仕事や人生をおのおのがカスタマイズしていかなければならなくなるのです。
カスタマイズにはさまざまなコツがありますが、ひとつだけ挙げるとすれば「両極に振る」ことです。
私自身、10年ほど紙の雑誌の世界で生きた後に、32歳のときに東洋経済オンラインの編集長に就任し、35歳からはデジタル経済メディアのNewsPicksで働いています。
佐々木紀彦 NewsPicksStudios CEO NewsPicks新規事業担当取締役/1979年福岡県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、スタンフォード大学大学院で修士号取得(国際政治経済専攻)。東洋経済新報社で自動車、IT業界などを担当。2012年11月、「東洋経済オンライン」編集長に就任。2014年7月にNewsPicksへ移籍。2018年より現職。最新著書に『異質なモノをかけ合わせ、新たなビジネスを生み出す 編集思考』ほかに『日本3.0』『米国製エリートは本当にすごいのか?』『5年後、メディアは稼げるか』
キャリアの前半10年をアナログの紙、過去7年をデジタルと、まさに両極に振りました。
過去7年間、デジタルにどっぷりつかって痛感したのは、紙とデジタルの溝は大きく、求められるマインドセットに大きな差があるということです。すでに染みついた仕事の作法から抜け出すのは、一苦労でした。
私は今でこそ偉そうにメディアの未来を語っていますが、基本的にはITリテラシーが極めて低いアナログ派の人間です。
大学時代のプログラミングの授業は、初回で挫折。NewsPicks加入までは、らくらくホンを愛用しており、今なおスマホのフリック入力ができません。Twitterをやり始めたのは2年前からですし、LINEは今も使いません。
そんなアナログ人間なのに、あえてデジタルにフィールドを移したことで自分のキャリアは一気に開けましたし、もし今後まったく違うキャリアを選べと言われても、十分つぶしは利くはずです。両極を渡ることは難易度が高いからこそ、実践できさえすれば希少性を高めることができます。
こんなITリテラシーの低い私でもデジタルメディアで働けているのですから、覚悟さえあれば、誰でも逆に振ることは可能だと思います。
より具体的に言えば、決断は早いに越したことはありません。
20代のうちは、1つのフィールドで自らの腕を磨き抜くのもお薦めですが、一度軸ができたと思えたら、好き嫌いと戦略に応じて、早めに逆展開していくほうがいいでしょう。
なぜなら、まったく自分の強みが通じない「アウェーへの遠征」こそが、正確な自己認識をもたらすからです。

アウェーに遠征せよ

環境を変えれば変えるほど、人はクリエイティブになれます。
それを誰よりも実証しているのが、葛飾北斎です。
彼は90年の生涯の中で3万点もの作品を残していますが、実に93回も引っ越しています。しかも、当時ではタブーであった流派の移動も頻繁に行い、異なるスタイルを習得していきました。雅号(名前)も30回も変えるなど、自分のアイデンティティ、売り出し方も変えていったのです。
葛飾北斎の肖像(寄稿者:Raphael GAILLARDE/gettyimages)
普段とは違う場所、自分がマイノリティになる場所に行くと、神経が鋭敏になります。
とくにお薦めなのは、地元を出ることと、日本を出ることです。私自身、大学進学のために故郷の福岡を出て、東京で1人暮らしをしたこと、そして28歳からの2年間米国に留学したことが、大きな人生の糧となりました。
海外への留学など大げさなものでなくとも、少し普段の環境から抜け出してみれば、アウェーはどこにでも見つけることができます。
私が最近、アウェー感を強烈に感じたのは、経済同友会の懇談パーティーです。
経済同友会は錚々(そうそう)たる企業のトップが集まる場なのですが、今年から若手のノミネートメンバーとして私も参加できることになりました。
ただし、会員の中で、30~40代のメンバーは1割もいません。数百人はいようかというメンバーの中心は60代。父親と同じくらいの年齢の方も多い中で、所在なくウロウロしてしまいました。日本で味わう久しぶりのアウェー感でした。
ただ、その場に立ち会って、たくさんのチャンスが見えてきました。
上の世代の中でも、若い発想が欲しい、若い人を生かしたいと本気で思っている人は多くいます。しかしながら、若い人が萎縮したり、異世代がフラットに交ざり合う場がないため、世代間の融合が起きにくくなっているのです。
そこに、自分の存在価値があるかもしれない。自分が率先して世代の融合をプロデュースしていこうと思えました。これも、アウェーに身を置いたから生まれてきた発想に他なりません。
普段の自分では想像もつかないアウェーに身を置き、正しい自己認識を身につけたうえで、両極に振ったキャリアを身につける。自分自身を編集する素材として捉えてみればいいのです。

経済×テクノロジー×文化を越境せよ

本書では、編集を「セレクト(選ぶ)」「コネクト(つなげる)」「プロモート(届ける)」「エンゲージ(深める)」という4つのステップで体系化しましたが、やはりカギとなるのは、「コネクト」、組み合わせです。
自分自身の中に、またはビジネスを立ち上げるときに、あるいは組織の内部にどんな「軸」で素材を組み合わせるといいのか。さまざまな軸がありますが、私は「経済×テクノロジー×文化」が大きなカギになると考えています。
落合陽一さんはまさにその象徴です。
【9/11配信】WEEKLY OCHIAI シーズン3
あるときは筑波大学の研究者として学生を育てながらテクノロジーを深掘りし、あるときはスタートアップ企業の経営者として会社を切り盛りし、あるときはメディアアーティストとして創作に打ち込む。
彼は、経営者(経済)と研究者(テクノロジー)とアーティスト(文化)という3つの顔を持っています。
ただ、落合さんほど高いレベルで3つのバランスを実現している人はまれです。
経済に寄りすぎる人、テクノロジーに寄りすぎる人、文化に寄りすぎる人ばかりで、トライアングルを編集する人が枯渇しているがゆえに、さまざまなきしみが生じています。
テクノロジーについて語る人は、大体、ユートピア的なテック至上主義に染まりがちです。
「AIで人間がいらなくなる」「テクノロジーがあれば働かなくてよくなる」「テクノロジーが貧困問題を解決する」といった意見は、未来予測としてはインパクトがあるのですが、人間理解に欠けており、どこかのっぺりしています。
私自身、28~30歳の2年間、スタンフォード大学の大学院に留学し、テクノロジーの聖地であるシリコンバレーの風を浴びました。スタンフォードという場所は、雄大な自然に恵まれて、天気もよく、家も広く、快適至極。そこに集う学生たちは、頭がいいだけでなく、オープンマインドでいい人ばかりでした。
しかし、2年の日々を過ごして痛感したのは、「シリコンバレーは文化的につまらない」ということです。
休日には、アウトドアやパーティーやDVD鑑賞ぐらいしかやることがありません。歴史が浅く、しがらみが緩いのがシリコンバレーの強みですが、それは、裏を返せば「文化的な蓄積が浅い」ということです。
日本のスタートアップ業界もシリコンバレーと似たところがあります。
テクノロジーをテコにビジネスを拡張し、稼ぐのはそこそこうまい。しかし、文化的な奥行きや、思想的な深さに乏しいため、人間や社会を本当に豊かにするような事業がなかなか生まれません。
ソーシャルゲームがその典型例でしょう。ビジネスやテクノロジーについて抜群の切れ味を見せる論客や起業家も、文化や思想やアートには疎いことが多い。
翻って、日本の伝統的な企業は、資金も豊富で、長い歴史から生まれる文化もふんだんに蓄えています(それに縛られすぎている面もありますが)。
「経済×文化」のかけ合わせは、ある程度できているのですが、テクノロジーへの適応があまりにも遅すぎるため、世界の競争から大きく取り残されてしまっています。
ならば文化を扱う企業やアーティストはどうかというと、経済音痴、テック音痴がはびこっている状況です。日本のアーティストの多くは経済やテクノロジーと縁遠い生活をしてしまっている状況です。
ここに、今の日本の不調の原因があるのではないでしょうか。

ウォール街×シリコンバレー×ハリウッド

落合さんのような人材は稀有(けう)ですが、せめて「経済×テクノロジー×文化」を高次に融合する人間がもっとたくさんいれば、日本はここまでの惨状には陥らなかったでしょう。
さまざまな問題を抱えているとはいえ、米国がすごいのは、経済(金融)の中心である「ウォール街」、テクノロジーの最先端を突き進む「シリコンバレー」、文化(コンテンツ)の聖地たる「ハリウッド」を国内に持っている点です。
産業の変遷を振り返ると、1990年代から2000年代前半の世界を席巻したのは、金融でした。
私自身、2001年に就職活動をしましたが、当時は、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーといった投資銀行で働くことが、野心ある若者の憧れでした。
金融の次に一世を風靡(ふうび)したのは、テクノロジー産業です。
21世紀に入り、Google(1998年創業)やAmazon(1994年創業)の存在感が拡大。2004年にはフェイスブックも誕生しました。2007年にはAppleが初代iPhoneを発売し、モバイル時代が幕を開けました。
今なお、Google、Apple、Facebook、AmazonからなるGAFAを中心とするテック企業の天下は続いています。ただし、データ寡占への反発、中国のBAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)の躍進などもあり、GAFAの勢いもピークを越えた感があります。今はテクノロジーの影響が高まりすぎて、ユーザーの「テクノロジー疲れ」も深刻化しています。
では、金融、テクノロジーの後に来るのは何でしょうか? 
それは「文化」だ、というのが私の読みです。
テクノロジーはあくまで手段であり、能力増幅器のようなもの。金融もあくまで手段であり、血液のようなものです。テクノロジーも金融も強力なネタがあってこそ、威力が発揮されます。テクノロジー、金融に対する失望の後、主役の座を射止めるのは文化でしょう。
「経済×テクノロジー×文化」は「社会科学×自然科学×人文科学」とも置き換えられます。ここ数十年、世界では、社会科学、自然科学のウェイトが高まってきましたが、退潮気味だった人文科学、文化、アートの復権はすでに始まりつつあります。

「編集思考」は日本を救う切り札に

平成の30年間は、日本経済にとって喪失の日々でした。ただし、より文化が重宝される時代、日本には、大きなアドバンテージがあります。
以前、新日本プロレスを買収し話題となったブシロード創業者の木谷高明さんと、イベントでご一緒したことがあります。
【新】ブシロード木谷高明「商売より、勝負がしたい」
その頃、シンガポールに住んでいた木谷さんに「シンガポールは、コンテンツ産業も強くなってきているのですか? 日本は勝てないのでしょうか」と聞いたところ、こんな答えが返ってきました。
「いや、シンガポールにはいいコンテンツがなくて、外から買っています。なぜかというと、シンガポールには歴史がないからです。歴史とはストーリーそのもの。歴史がない国ではコンテンツを創るのが大変なのです」
歴史に乏しいのは、シンガポールだけではありません。東南アジアは若い国々が多く、同じくアメリカも歴史は長くありません。
米国では未来を描いたSFが多いですが、それは米国の歴史が浅いことの裏返しでもあります。
中国は3000年の長い歴史を持ちますが、王朝が替わるたびに、過去の歴史を上書きしていくリセット型の国です。表現の自由に制限もあるため、歴史のストックを生かして、自由に表現するのは容易ではありません。
その意味でも、歴史と表現の自由がある日本は、文化の面でも有利です。
私は、「経済×テクノロジー×文化」を軸に、横串で多彩な価値を生み出す編集思考を駆使する個人が増えることが、日本の希望になると確信しています。
編集思考は、日本を救う切り札になりうるのです。
(デザイン:岩城ユリエ)