介護利用料、高所得の高齢者は負担増へ
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2000年にこの制度が出来た時、年齢別人口構成の将来の変化をみれば将来的に維持できないことは直感的にも分かっていたことです。長く維持するために必要な保険料をその時点できっちり計算して集めることをせず、時の高齢者が喜び国民も反発しない低い保険料で取り敢えず入れてしまえば後はなんとかなるという厚生官僚と政治家の無責任さに憤りを覚えたものでした。
財源不足で支え切れない以上誰かに負担を求めざるのは当然で、今となっては高所得者に負担を求めるのもやむを得ないところではあるでしょう。しかし、高所得者はもともと高い介護保険料を負担しています。高い介護保険料を負担する一方、サービスを受ける時もまた高い負担を求められるというのでは、もはや“保険”の体をなしていなんじゃないのかな (・・?
所得再分配は、国会で毎年きっちり審議される税金の役割です。厚労省が差配する“保険”がそこまで極端な所得再分配を担って良いものか。税金では難しいからこども保険を作って財源を賄おうという発想もあったけど、この際、税と社会保険の役割分担をきっちり分けて考えておかないと、無責任な制度設計が今後もいろんなところで蔓延るような気がして仕方がありません (・。・;社会保障費改革という名の給付抑制や負担割合増はやむを得ないのですが、一般国民にもう少し多様なシュミレーションを明示することが必要と思います。
例えば災害などではハザードマップや被害のCGなど、一般国民がイメージしやすい、身近に感じやすい表現が少なからずあります。
しかし、社会保障費に関しては数字ばかり。これが一般国民にとってはハードルになってしまっていると思います。
社会保障費が膨れ上がるとはどういう未来がどの世代にどのように起きうるのか。このままだと何がどうなってしまうのか?だから負担や給付制限をやむなく断行せざるを得ない。
という政党を支持するか、具体的な対案を持つ政党を支持するか、など初めて国民に選択権が渡る。
情報の透明化ではなくて、情報の浸透化が必要。負担割合の2割、3割の基準を変える動きも出ています。
2割負担が増えることになります。
最初から一律3割にしておけば感情的な反発はなかったでしょうが、今言ってもしょうがない。
在宅介護の現場の肌感覚だと、生活保護者の可処分所得がデカすぎますね。低所得者よりもいい暮らし、財布に札束、保護切られるから自費使って欲しいという依頼(その為にやることはないですが)などなどなどなど。