看取りを「楽しんでしまう」という体験
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私は医療のソフトウェア開発をするスタートアップを経営しています。そもそも医療を関わるきっかけとなったのは、2009年に地元福島県いわき市で父親の看取りプロセスを経験したからでした。当時も私は東京に住んでいたのですが、毎週末に高速バスで東京といわき市を往復する生活を通じた遠隔地の家族を看取ることの強烈な原体験が、2011年の東日本大震災・福島第一原発事故後のプロボノ活動や起業などの現在の私の活動の原動力となっています。
ところで、日本語には「言霊」というものがあるとされています。人生の大きな目標を自分に言い聞かせるために言葉にして発することで実現に近づけるというポジティブに使われることがあります。一方で、忌み嫌うことに関しても同様で、例えば「死」について言葉にしてしまうと「縁起が悪い」とか、「親を早く殺したいのか?」と言われてしまいます。
去る8/31〜9/1に「地域包括ケアの祭典・Igokuフェス」がいわき市地域包括ケア推進課主催で開催されました。「igoku(いごく)」とは地元の方言で「動く」こと。老いを楽しんでしまおうという高齢者福祉自体をメディア化する取り組みで、これを行政が主導でやっているということで全国の自治体・福祉関係者から注目されています。そのigokuフェスでは「看取りを楽しんでしまう」という「VR看取り体験会」がありました。
家族が自宅で死にゆく姿を目の当たりにすることも現代では少なくなっていますが、調査によると70%超は最期を自宅で過ごしたいと答えているのです。「死」について話すこともタブー視され、いざというときに対応できずに不本意な終末期を迎える(迎えさせてしまう)ことになってしまうのは本当に不幸なことです。福祉・医療・介護といった同じ分野のようで財源(社会保険など)が異なることを楽しくやってしまおうといわき市の仲間たちと取り組めていることは、地道に活動してきて嬉しいことです。