【村上臣】 「個の時代」に必要なのは「軽いフットワーク」と「面白がる力」

2019/9/26
 リモートワークを可能にするチャットツールやタスク管理アプリなど、テクノロジーの進化によって、人々の働き方は変わり続けている。働く場所も方法も多様化する現代において、ビジネスの最先端で活躍する先駆者たちは、これからの働き方にどんな可能性を見ているのだろうか。「Work Hack! Interview」では、そんな先駆者たちが考えるこれからの働き方を探る。
 最初に登場するのは、2017年末に「リンクトイン」日本代表に就任した村上臣だ。学生時代の「電脳隊」からインターネットの普及に貢献し、ヤフーのモバイルシフトを牽引した後、40歳でリンクトインへ転職。そんな彼は、これからの働き方をどう考えるのか?

インターネット黎明期に感じた「モビリティ」の可能性

── 村上さんのキャリアは、学生時代の「電脳隊」から始まっています。当時の起業環境は、今とはずいぶん違いますよね。
村上 僕は1990年代後半にIT系ベンチャーが急増した「ビットバレー世代」なんですが、1円から株式会社が始められる時代ではなかったので、起業に一定のハードルはありました。
 ただ、大きなビジョンを持って起業したのではなく、ホームページ制作ブームのなかで受託案件を受けているうち、大きな企業の案件を受けるためには法人格が必要だったというのが、電脳隊を設立した理由でした。
── 90年代というと、インターネット環境もハードウェアも今とは比べものにならないレベルでした。
 当時「電脳隊」のオフィスがあったマンションの2階に住んでいたのですが、6畳の部屋にタワー型のPCが10個くらいあって、UNIXのワークステーションやブラウン管のディスプレイ、キーボードもそれぞれ3つくらい置いていた。まともに寝ることもできませんでした(笑)。
 向かいのマンションには(現ヤフーCEOの)川邊さんが住んでいて、システム担当だった僕の部屋をサーバールームにして、1階のオフィスまでベランダづたいに有線を引いていましたね。あんまりやりすぎたものだから、怪しいと警察が訪ねてきたこともありました……。
── 当時、卒業後のキャリアや働き方をどう考えていましたか?
 全然考えてなかったです。はっきり覚えているのは、授業を全然受けていなかったということ(笑)。
「電脳隊」としては受託案件を一切やめて、モバイルに特化した自社サービスでやっていこうというタイミングでしたが、一方で僕にはエアラインパイロットになるという夢もありましたし、一通り就活もやりました。その結果、一度は就職したものの、10カ月で辞めて「電脳隊」へ戻ることになったのですが。
── その後、日本のモバイル環境の醸成に大きく寄与されたわけですが、なぜ当時モバイルに可能性を感じたのですか。
 電脳隊にいた頃、シリコンバレーに行ったんです。まだモバイルインターネットが始まったばかりで、端末も大きなトランシーバーサイズ、液晶はたった3行しかありませんでした。
 でも、今までデスクでしかできなかったデータのやりとりが、いつでもどこでもできるようになる。持ち運べるデバイスがインターネットにつながるのは、相当すごいことだと感じたんです。
 僕はパソコンでしかできなかったスケジュール管理などをモバイルと同期できるグループウェアを開発していたのですが、お客さんはびっくりしていましたね。今では信じられないかもしれませんが、当時はまだスケジュールを手帳で管理していましたから。
 特に、モバイルでメールが使えるようになった頃から、働き方に大きな変化が出てきたんだと思います。スマホやノートPCなどのデバイス性能も、通信環境も向上し、人々はオフィスやデスクに縛られる働き方から解放されたんです。

10年前、ノートパソコンは鎖でつながれていた

── 「電脳隊」がヤフーへと合併されてからも、村上さんはモバイルシフトを担ってこられました。
 当時のヤフーはまだベンチャー企業のようなもので、社員は300人くらい。サーバー監視も自前でやっていたので、夜勤もありました。それに、ヤフーモバイルの立ち上げにともなって、3カ月ごとに大きなサービスを3つずつローンチするくらい過酷な時代。労働環境はひどかったですよ(笑)。
 だけど、すでにパソコンで天下を取った企業と一緒になることで、さらに多くの人にモバイルサービスを届けられると思いました。自分が作ったサービスが、電車や街中などで使われているのを見ると、やはり嬉しかったですね。
── リモートワークのような働き方は当時もありましたか?
 いえ、全くですね。ヤフーでリモートワークがOKになったのは最近のことで、なによりそのインフラを作ったのは僕ですから(笑)。
 2000年代前半では、セキュリティの観点からノートパソコンの支給すら一部に限定されていたし、エンジニア用のパソコンなんてデスクに鎖でつながれていました。
 トータルのソリューションもいいものがなかったし、お金をかけてセキュリティを構築するくらいなら、安全のためにもリモートを認めない方が楽だったんでしょう。
── 今の働き方改革で言われているような、複業や時短勤務のような働き方は?
 当時のヤフーでは副業が禁止だったんです。ただ、2006年からはヤフーだけでなく(親会社の)ソフトバンクにも籍を置いていたので、グループ内でのパラレルワークは実践していました。
 兼業によってできた社内人脈から新しい案件へと発展したり、面白そうなプロジェクトには自発的に入ったり、やりたいことを自由にやれる環境ではありましたね。
── リモート環境が整うまでは、兼業に物理的な移動がともなったわけですよね?
 そうです。六本木と汐留を移動しまくっていました(笑)。だけど、僕は移動すること自体が好きだし、環境が変わるとモードも変わるので、その生活は性に合っていたと思います。
 複数のプロジェクトに関わる以上、それぞれにコミュニケーションが発生しますが、僕には適度な“スルー力”もありました。
 みんないい人でいようとするので早く返信しようとするけれど、すべてにリアルタイムで対応するのは絶対に無理。ある程度優先順位はつけながら、この時間は連絡しないと割り切って、まわりにも理解してもらっていました。
 そういうのって、プロジェクト内の立場にもよりますよね。上に立つ人が速く動けば全体のスピードが上がるわけだから。こうしたスキルは、みんなが常時ネットにつながって情報量が増えた今の方が、より必要になっているでしょうね。

「個」の時代にコラボレーションを生む力

── 村上さんは2017年、40歳のときにヤフー執行役員の座を捨ててリンクトインへと転職されました。そのままヤフーで上へ行く道もあったと思いますが、なぜ外へ出たんですか。
 もちろん、ヤフーだっていい会社だし、大きいビジネスをしているし、そのまま歩むという選択肢はありました。ただ、50代になって自分が何をしているかを考えたときに、日本だけのビジネスをしている感じがしなかったんです。
 せっかくインターネットを扱っているんだから、グローバルプロダクトに携わりたいという思いはずっとありました。たまたまリンクトインからお話をいただき、よくよく聞いたら時流にも合っているし、面白そうだなと思って。
── どんなところに時流を感じましたか。
 リンクトインは2011年10月に日本へ進出したのですが、ユーザーはおもに英語圏の文化に馴染みのある日本人で、ほかのSNSほど爆発的には普及していなかった。でも、働き方が多様化し、個の時代となった今なら状況が大きく変わるんじゃないかと感じたんです。
 かつては、日本でソーシャルメディアといえばプライベートな印象が強く、仕事で使うという概念がなかなか理解されづらかった。特に終身雇用を前提とすれば、外に向かって個を発信する必要もなかったんですね。
 ところが、副業や転職、フリーランスの増加に加え、社内だけでなく、社外とのコラボレーションもカジュアルになりつつあります。さまざまな個人が組織を越えて有機的につながり、プロジェクトベースでチームを作る時代が来ています。
 スケジュールの共有やドキュメントの共同作業、チャットツールでのコミュニケーションなど、ビジネスのツールも、どんどんソーシャルっぽくなってきて、組織ではなく個人を中心とした仕事の進め方が普及してきたんです。
 その時代に、ビジネスに特化して人と人をつなげるサービスとして、ど真ん中にあるのがリンクトインだと思いました。
── 多様化の時代において、働き方やキャリアを考えるうえで大切なことってなんでしょうか。
 組織から個人へという明確な流れがあるなかで、会社員であっても自分自身のキャリアは自分で描かなければいけません。これからの時代、セルフブランディングとまではいかなくても、自分のスキルや人となりをある程度発信し、ネットワークを築いていかないと、市場で埋もれてしまうわけです。
 ただ、日本人はオフラインで人とのつながりを作ることには慣れていますが、オンラインでつながり、協業するためのスキルが少ない。
 狭い範囲に企業や人が集中している日本では、ミーティングといえば会うものだという商習慣がありますが、欧米ではそもそも距離がありすぎて、リモートでのコミュニケーションが当たり前だったわけです。
 リンクトインのアカウントはまさにそのツールですが、個として発信することで、オンラインでのつながりから予期せぬ声がかかるなど、オープンイノベーションも起こりやすくなります。
 最近、ビジョン・ミッションの策定に注力する会社が多いのも、個々の社員が社を代表して語れるようになってほしいという思いがあるわけで、組織における「個」の重要性はどんどん大きくなっていくでしょう。
── 個がつながる時代に合った組織とは、どんなものでしょう?
 プロジェクトを支えるさまざまなコラボレーションツールが存在するなかで、チームに合ったサービスを適切に選べるかどうか。社内外の多様なメンバーと協業し、パフォーマンスを最大化するためのツールの選択能力は、これからの経営者やリーダーに求められるのではないでしょうか。
── では、変化の激しい時代に働き方や生き方を“軽く”するために、村上さん個人が心がけていることは?
「フットワークを軽くする」ことですね。考え込むより先に会いに行ったり、わからないことを聞いてみたりすることで、自分だけでは気がつかなかったような視点が持てて、議論が膨らむ。お互いが理解し合ったうえで、「何をどう面白くできるのか」と考えるスタンスは、業種や職種を問わず、これからのオープンイノベーションの時代では絶対に求められるようになります。
 そういう意味では、フットワークを軽くするための「面白がり力」みたいな力も必要ですよね。これが簡単そうで、実は難しい。身につけるためには、身体的にも精神的にも、筋トレが必要です。
 動き回るための体力と、自分の専門領域の外の話を面白いと感じるために、常に情報をアップデートし、教養を身につけること。
 ビジネスの領域でもリベラルアーツの重要性が叫ばれていますが、それって要するに多様な人の感性を「面白がる」ためだと思うんです。
 自分自身の強みを知り、発信し、その領域の外へと軽やかに行き来することができれば、これからのビジネスにつながるアイデアや人脈を引き寄せられるんじゃないでしょうか。
(編集:宇野浩志 構成:角田貴広 撮影:大橋友樹 デザイン:砂田優花)