「勝つチーム」ではなく「勝ち続けるチーム」の条件とは

2019/9/19
2019年7月、最強チームを学ぶ世界最大級のカンファレンス「People × Team Experience」が開催された。「勝つチーム論」と題し、元サッカー選手で水戸ホーリーホック強化部長の西村卓朗氏を進行役に、日本代表としての監督経験やJリーグ・大学で連覇を果たしている岡田武史氏中竹竜二氏、B.LEAGUE 千葉ジェッツで様々な取り組みを行う島田慎二氏と共に、勝つチームの特徴、また勝つチームの作り方についてディスカッションが行われた。
西村卓朗 今回のテーマは「勝つチームとは?」ですが、一口に「勝つチーム」と言っても前提によって変わってきますよね。
1977年東京生まれ。現役中は浦和レッズ、大宮アルディージャ、コンサドーレ札幌、アメリカ2部チームでプレー。2009年にはFリーグの湘南ベルマーレでもプレーを経験。2004年(大宮)、2011年(札幌)では2度のJ1昇格に貢献。引退後は浦和レッズハートフルクラブで普及部コーチ、2013年~2015年は地域リーグのVONDS市原で監督兼GMを歴任。2016年よりJ2の水戸ホーリーホックで強化部長を務めている。
 例えば代表チームがワールドカップのような短期決戦で勝利するのと、クラブチームが年間を通じてリーグ戦で勝ち続けるのとでは話が違ってくる。その点について、岡田さんはどうお考えですか?
岡田武史 僕はもともとチームを引っ張るリーダータイプなんだけど、特に横浜F・マリノスで監督をしてた時期(2003-2006年)に、そのことでずいぶん悩んだんですよ。
1956年大阪府生まれ。ユース日本代表やユニバシアード日本代表などの経験を経て、日本サッカーリーグで幾度となく優勝を勝ち取る。現役引退後は、指導者の立場として複数のチームでコーチを務める。コンサドーレ札幌や、横浜F・マリノスなどで優勝を経験し、2004年にJリーグ史上初の3ステージ連続優勝を果たす。2007年には日本代表の監督に就任。2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会でベスト16の成績を残す。現在は株式会社今治.夢スポーツの代表取締役を務める。ほかに、デロイトトーマツコンサルティング株式会社 特任上級顧問や早稲田大学総長室参与など。著書に『勝負哲学』(サンマーク出版)など多数。
 シンプルに言えば、サッカーはゴールに向かってピッチの真ん中を最短距離で攻めるのがいいんだけど、無理して中央突破するとボールを奪われてカウンターを受ける。
 実はサッカーの得点のうち50%弱がカウンターアタックで、逆に言えばカウンターを受けなければ劇的に失点が減るの。だから僕はベンチから「サイドに出せ!」と叫ぶわけです。選手は心の中で「うるせーな」と思っただろうけど、指示通りに動けば勝つんですよ、短期的には。
 でもその結果、彼らはボールを持ったら自動的にサイドに出すようになってしまった。そこで「あれ? 俺はチームをちゃんと育てているのか?」と。
西村 つまり戦略を一方的に与えるだけじゃダメだと。
岡田 そう。今度はそこに理念や哲学が必要になる。なおかつ理念から戦略までが選手の中から自ずと出てきて、初めて勝ち続けるチームになるんじゃないかな。中竹さん、いかがですか?
中竹竜二 私は早稲田大学ラグビー蹴球部で初めて監督を経験したのですが、それ以前はサラリーマンだったんです。だから私は岡田さんと逆で、リーダーシップがまるでなくて。
1973年福岡県生まれ。早稲田大学卒業、レスター大学大学院修了。三菱総合研究所を経て、早稲田大学ラグビー蹴球部監督に就任し、自律支援型の指導法で大学選手権2連覇を果たす。2010年、日本ラグビーフットボール協会 の「コーチのコーチ」、指導者を指導する立場であるコーチングディレクターに就任。2012年より3期にわたりU20日本代表ヘッドコーチを務め、2016年には日本代表ヘッドコーチ代行も兼務。2014年、企業のリーダー育成トレーニングを行う株式会社チームボックスを設立。2018年、コーチの学びの場を創出し促進するための団体、スポーツコーチングJapanを設立、代表理事を務める。ほかに、一般社団法人日本ウィルチェアーラグビー連盟 副理事長など。最近の著書としては『FCバルセロナ 常勝の組織学』(解説担当)など多数。
 いわばフォロワーシップしかなかったので、とにかく選手を支えることに徹したんです。彼らとしては「この監督で大丈夫か?」と危機感を覚えただろうし、実際、ミーティング中に「おまえ、もう監督辞めろ!」と罵倒されたりもして。
 でも結局、それが「俺たちがチームを引っ張っていく」というモチベーションになった。そこに辿り着くまでにかなり時間はかかったんですけどね。
西村 島田さんも千葉ジェッツふなばしという「勝つチーム」を経営面から作り上げました。
島田慎二 7年前、僕が社長に就任した当時の千葉ジェッツの運営会社はひどい経営難に陥っていたので、まずマインドセットから始めたんです。
1970年新潟県生まれ。日本大学卒業後、1992年株式会社マップインターナショナル(現・株式会社エイチ・アイ・エス)入社。1995年に退職後、法人向け海外旅行を扱う株式会社ウエストシップを設立し、2001年に同社取締役を退任。同年、海外出張専門の旅行を扱う株式会社ハルインターナショナルを設立し、2010年に同社を売却。同年にコンサルティング事業を展開する株式会社リカオンを設立。2012年より現職。株式会社ジェッツ・インターナショナル代表取締役、特定非営利活動法人ドリームヴィレッジ理事長、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)理事、2017年9月より、Bリーグ副理事長(バイスチェアマン)就任。2018年3月15日をもって同職を退任。2018年3月19日、一般社団法人日本トップリーグ連携機構 理事に就任
 当時は田臥勇太選手を擁するリンク栃木ブレックス(現・宇都宮ブレックス)が日本一のクラブだったので「そこに追い付け!」と、僕も岡田さんと同じようにチームを引っ張っていた。でも5年で追い付いて自分たちが1番になってから、「勝ち続ける」のは難しかったですね。
 やっぱり「危機感を持て」と言い続けても、どこかで慢心するんです。
 だから下から這い上がるためのチームの作り方と、勝ち続けてトップをキープするためのチームの作り方はまったく別物で、うちは今まさに後者に挑んでいるところですね。

「勝て!」ではなく「ベストを尽くせ!」

岡田 うちの会社も今年で5年目なんだけど、時期によって組織やリーダーシップのあり方を変えていかなきゃいけないと実感してます。実は僕、会社を始めた当初、大失敗したんですよ。
 さっき島田さんが言った「危機感」じゃないけど、経営に必死になりすぎて。例えば雨が降って試合に900人しか来てもらえない。でも、この人たちにはリピーターになってもらわなきゃいけないから、試合が終わったら客席までダッシュして「また来てください!」と言いながらタオルを配ったの。今治ってタオルの町だから、いっぱいあるんですよ。体を拭き終わったら返してもらうんだけど。
西村 あげないんですね。
岡田 うん。ところがそのとき、社員はのんびり歩いてくる。それを見て「なんて危機感がないんだ」と頭にきたんだけど、それは自分が全部やっちゃうからだと気づいて、もう社員に丸投げするようにした。
 そしたらみんなオフィスで頭を抱えちゃって。そこでまた「そうか。必要な情報を公開したり、社員が自分で考えられる環境を整えずに、いきなり丸投げしたからダメだったんだ」と気づいたんですよね。
 でも、その失敗も無駄じゃなかった。みんなで苦境を乗り越える体験もチームには必要じゃない?
中竹 私のメインの仕事はコーチのコーチなのですが、コーチの中には「シリアルウィニングコーチ」、すなわち「連続的に勝ち続けるコーチ」と呼ばれる人たちがいるんですよ。彼らの特徴の一つとしてはっきり言えるのは、意外に思えるでしょうが、「勝て! 勝て!」と選手に言わないこと。会社でも、例えば上司が「売り上げを伸ばせ!」と言ってもそう簡単にはいかないじゃないですか。それと同じです。
西村 たしかに。
中竹 じゃあなんと言うのかというと「ベストを尽くせ」。これ、すごくシンプルな言葉なんですけど、実は脳の働き的にも大きな違いがあります。要は「勝つ」というのは結果論で、なおかつ相手がいるからコントロールできない。人間は自分でコントロールできないことを命令されると脳が委縮するようです。
 でも「ベストを尽くす」、つまり自分の力を最大限に出すのは自らがコントローラブルなことだから、パフォーマンスが上がると言われているんですよ。

目標は本気で目指せば大きな力になる

西村 今のお話のように、チームといえど、究極的にはそれを構成する個人にぶつかります。そのとき、一人ひとりとどのような関係を持たれていたのか。これまでの監督経験を踏まえて、岡田さんはいかがですか?
岡田 まず日本代表チームというのは僕が選手を選んで、機能しなかったら次は選ばないという、ある意味で突き放した関係なんですよね。
 そこで大事なのが、志の高い目標を共有すること。目標というのは、本気で目指せばものすごく大きな力になる。そのために僕は2010年のワールドカップの2年前に、三つのことを選手に要求したんです。
 一つはボール際で勝つこと。もう一つは、1人の選手が今より1km多く走ること。サッカーのフィールドプレーヤーは1試合で約10km走るので、10人が1kmずつ余計に走ったら、プレーヤーが1人増える計算になるでしょ。最後の一つは、中距離パスの精度を上げること。その練習方法を代表候補の選手に渡したんだけど、彼らはそれを自分の所属するクラブチームで、普段の練習にプラスしてやらなきゃいけないわけです。
西村 代表として練習できる期間はごく限られていますからね。
岡田 そう。2年先の、自分が選ばれるかわからないワールドカップに向けた練習をどうしたらやってくれるのか。それを考えて「俺は本気でベスト4を目指すやつとワールドカップに行く」と手紙を書いたり、選手に会うたびに言ってたんです。
 遠藤(保仁)って選手がいるじゃない。あいつの腹、ぶよぶよだったの。だから「お前、その腹でベスト4行けると思うか?」と言ったら必死になってトレーニングしてくるんですよ。もちろんその過程で選手との衝突とかも起こるんだけど、それを乗り越えて、ようやくみんなが本気でベスト4を目指すようになる。
西村 それが「志の高い目標を共有すること」だと。
岡田 ただ、僕は23人しかワールドカップに連れて行けないし、11人しかピッチに送り出せない。だから、選手との間に一線を引いているんです。選手の仲人は絶対やらないし、一緒に酒も飲まない。長谷部(誠)が代表を引退するとき「僕はもう岡田さんと仕事することはないと思うので、飲みませんか?」と言ってきたから、そのときは飲んだけど。
 他方でクラブチームとなると、やっぱり固定メンバーで1年間戦っていくわけだからコミュニケーションも重視しなきゃいけない。さらに会社になると、プロ選手は契約が満了したら「来年は契約しません」と言えるけど、社員はそうはいかない。だから組織のリーダーとしての個人との関わり具合にはグラデーションがありますね。

選手に謝り続けてよかった

中竹 私は早稲田の監督に就任した1年目に、大学選手権の決勝戦で負けたんです。そのとき「負けたのは私のせいだ」と気づきまして。
 私は「1on1」、つまり選手との一対一のミーティングをかなり早い段階から取り入れていたんですが、1年目はそれがチームの文化として定着しきらなかったんですね。しかも前年までは清宮克幸さんという素晴らしい戦略を持った監督のもと、統制のとれたチームに仕上がっていた。そこにいきなり何も教えられない私が来て「自分たちで考えて」と言っても無理な話で。
 そのためのお膳立てができてなかったことに思い至り、決勝で負けたときに、私は選手に泣いて謝って……。
岡田 一緒や。俺もさっき話した失敗談のとき、初めて人前で、社員の前で泣いたの。なんでそれ、はよ教えてくれなかったの? 前に会ったとき、教えといてよ(笑)。
中竹 いや、実は私、監督をやる少し前に、たまたま岡田さんのトークイベントを客として聞いていたことがあるんです。
 そこで、やはり監督は覚悟を持って、ときには中心選手であっても外さなきゃいけないと頭ではわかっていたつもりが、1年目はできなかった。でも、2年目でやっと覚悟を決められて、1on1も、以前は話を聞くほうに重きを置いていたのですが、私からの要望も伝えるようにして。「私は監督として未熟だけど、チームの一員として頑張って成長するから、みんなも頑張ってくれ!」とひたすら言い続けた感じです。
 まあ、試合に勝っても選手からはガンガン悪口を言われ、私はひたすら謝り続けたんですけど。
岡田 なるほどね。
中竹 で、2年目に大学選手権で優勝して、3年目の関東大会の最終戦でまた負けたんです。そのとき面白かったのが、私はメディアから「素人監督」とか「サラリーマン上がり」とかめちゃくちゃ叩かれたんですけど、選手たちが「いやいや、俺たちが監督を悪く言うのはいいけど、メディアに文句を言われる筋合いはない」と。
 「じゃあ、かわいそうだから勝たせてあげようぜ」みたいな妙な同情がチーム内に生まれて、これでチームになったなと。そのとき「謝り続けてよかった」と思いましたね。

会社もクラブも理念がなければ勝てない

島田 経営者としてチーム作りに関わった経験から話をさせてもらうと、うちは5年ぐらい前から少し経営が上向いて、選手や監督に投資できるようになったんです。
 つまり実績のある選手や監督をチームに招き入れたんですけど、全然勝てなくて、費用対効果の悪いチーム作りと言われていた。なぜ勝てないのかと考えたとき、私は会社では自ら経営理念を掲げ、勝つ確率を上げるためのアプローチをいろいろと試みていたけれど、クラブチームに関しては、会社が稼いだお金で雇った監督に丸投げしていたんですよ。
 それじゃダメで、会社と同じようにチームも理念や哲学、カルチャーを持っていないと勝てない。それに気づいてから、我々の理念に共鳴してくれそうな監督に声をかけて、その中で一番はっきりビジョンを示してくれたのが、現ヘッドコーチの大野篤史さんなんです。
中竹 へええ。
島田 彼以外にも何人かの経験豊富な監督にオファーを出していたのですが、最終的に大野篤史という監督経験がない若い監督に、初めて指揮を執らせるという選択をしました。
 そして、彼にチームの理念にふさわしい選手を集めてもらった結果、運営会社、チーム、ヘッドコーチ、そして個々の選手を、一つの理念で貫通させることができた。その瞬間から歯車が噛み合い出し、2017年に天皇杯で初優勝、さらに3連覇を果たしたんです。
 やはり1年やそこらではチームのスタイルは確立できなくて、それこそ大野監督が指揮を執る前は、監督が替わるたびにスタイルが変わっていたんです。でも今は「千葉ジェッツといえばこういうバスケをするチームだね」と言われるようになったと同時に、着実にチームが強化されているという実感もあります。
岡田 僕はそれ、逆のアプローチから同じことに気づいたんですよ。というのも、あるときバイエルン・ミュンヘンのスタッフに「きみのチームのフィロソフィはなんだ?」と聞かれて、そこで初めて「サッカーチームにもフィロソフィが要るんだ」と気づいたんです。それからは代表でもクラブでもチームに応じたフィロソフィを作って、FC今治にもそれを適用してたんだけど、ふと「そういえば会社も、企業理念を持ってるな」と。
島田 運営会社よりもチームの理念が先んじてあったんですね。
岡田 だからうちの会社にも理念が必要だろうと思って、ミッションステートメントやプロミスを作ったんですよ。で、僕も島田さんと同じように、チーム作りも会社作りも一緒だなと思ったの。どっちも理念がないとうまく回らないという意味でね。

勝つチームには非公式のリーダーがいる

岡田 これはどちらかというと失敗談なんだけど、うちの会社は中国にコーチを6人派遣して、しっかり稼いでるんです。秘密なんだけどね。
島田 思いっきりバラしてるじゃないですか。
岡田 そのコーチのうち1人が結果を出せなくて、先方から「この人だけ替えてくれ」と言われたんです。だけど契約はまだ残ってるし、交代要員を出すにしてもコーチの誰かにいきなり「中国に行け」とは言えない。
 そのとき、僕はさっき「情報公開すればよかった」と言ったけど、まだ自分が窮地に立たされていることを明かす勇気がなかったんですよ。
 ところがうちの会社は隙間だらけで、僕の「誰を中国に送ればいいんだ」という悩みが執行役員に筒抜けだったらしく、あるコーチから電話がかかってきて「岡田さんが困っていると、なんとなく聞きました」と。さらに「うちのフィロソフィを読み直したら、“Our team”とあります。それに則るなら、つまりこの会社を自分の会社だと考えたら、僕が行くべきだと思います」と言ってくれたんです。
一同 おおー。
岡田 そのときは彼にすがりたい一心だったんだけど、一方で「本当にそれでいいのか?」と思ってたんです。そしたらまた別のコーチから「待ってください。彼は今のチームにとってなくてはならない人です。だから、僕が行きます」と。
 そこでようやく僕も腹をくくって、みんなに洗いざらい話したんですよ。するとコーチ全員が集まって話し合って、最終的に、最初に名乗り出た人を中国に行かせることになったの。そのとき、ほかのコーチたちが「彼の抜けた穴は僕ら全員でカバーします」と言ってくれて、「あ、これか!」と。
中竹 チームですね。本当に。
岡田 うん。たぶんフィロソフィがなかったら、そうはいかなかった。だから、単にフラットな組織にして、権限委譲しただけじゃ足りないんですよね。必要な情報を揃えて、経営状況も社長の失態も全部明らかにしたときに、初めて組織として動き出したんですよ。
 それを経て、僕が心に留めていることは「俺だけが正義じゃない」ということ。今までは常に自分が正しいと思ってたし、今でも部下の仕事を見て「俺がやったほうが早い」とか思っちゃうんだけど、そこで「いや、違うやろ」と自分に言い聞かせてます。
中竹 私は、誰もがリーダーになれると思っているんですよ。私の中のリーダーの定義は、組織に対して責任ではなく“責任感”を持っていること。
 その意味では、岡田さんの会社のコーチのみなさんはリーダーの資質を備えていますし、もっと言えば、勝つチームには非公式なリーダーが必ずいる。キャプテンや副キャプテンといった役職はないけど、確実にリーダーとしての役割を担っている人が。
 そう考えると、私は組織のメンバー全員がリーダーであることが、一つの理想かなと思うんです。
島田 そのうえで、全員がチームの理念を共有し、その理念のもとで何を実現するかという目標を明確にする。それを達成するためにどう行動すべきか各々で突き詰めることで、自ずとチームとしてのクオリティも上がってくるんですよね。
(編集:中島洋一 構成:須藤輝 デザイン:九喜洋介)