【上場】米国戦略撤退、社長交代、大量離職、技術的負債…Chatwork上場までの長い道のり

2019/9/24
 2019年9月24日、Chatwork社がついにマザーズ上場を迎えた。

 本記事では、同社経営者とリード投資家との対談を掲載するが、その前に上場までの19年の道のりを追ってみよう。
 2000年に創業し、2011年にビジネスコミュニケーションツール「Chatwork」のサービスをスタートして以来、急速に導入企業数を伸ばし、ビジネスチャット市場の中でも際立った成長を続けてきた同社。
 上場まで主力事業の数字を追うと堅調そのものである。現在、世界中で232,000社以上(2019年8月末日時点)がChatworkを導入している。
 その「順風満帆」な沿革は以下のようになる。
 一方その陰では、いくつもの経営におけるターニングポイントがあった。難局も含めた特異点を書き加えるとおおよそ以下のようになる。
 文字数の関係上、本稿ですべてのターニングポイントを追うことはできないが、受託のITサービスから、非連続成長を目指すベンチャー、グローバル進出と戦略的撤退、そして本日のマザーズ上場へと、紆余曲折の道程があったことが窺えるだろう。
 その19年にわたる軌跡のダイナミズムを、上場計画の舵取りを担うChatwork代表取締役CEO兼CTO山本正喜氏と、シリーズAラウンドのリード投資家として同社と伴走してきたGMOベンチャーパートナーズの宮坂友大氏に忌憚なく語ってもらった。
 上記の沿革では「?」とした、Chatworkの第3創業期のビジョンに期待して読まれたい。
自己資金で長らくやってきた会社が資金調達を決断
山本 2011年に僕らがChatworkをリリースした頃は「ビジネスチャット」という言葉すらなくて、競合がほとんどいなかったんです。
 あまりにいなくて、「この市場、大丈夫かな」って不安になるぐらいだったんですけど、Slack が登場して2014年あたりから一気に競合が増えだして、「ビジネスチャット」のカテゴリーが急にホットになったんですよね。
1980 年生まれ。電気通信大学情報工学科卒業。大学在学中より兄の山本敏行とともに、兄弟で株式会社 EC studio を2000 年に創業。以来、CTOとして多数のサービス開発に携わり、2011年3月にクラウド型ビジネスチャット「Chatwork」の提供を開始。Chatworkをビジネスコミュニケーションにおける世界のスタンダードにすべく、全社を挙げて取り組んでいる。2018年6月、同社の代表取締役CEO兼CTOに就任。
 僕らはファーストプレイヤーということもあり、かなり先行してはいたのですが、スタートアップというエコシステムで大きく資金調達した企業が、ものすごい勢いで追い上げてくるんですよ。
 それまでずっとこだわりを持って自己資金でやってきて、黒字経営を続けてきましたが、このあたりで我々も資金調達しないとビジネスとしても非常に厳しくなるし、Chatworkというプロダクトを選んでくれたユーザーに対しても報いることができないと思って、資金調達を決断しました。それが2015年の1月です。
宮坂 当時、Chatworkの事業の売上が1.8億ぐらいで、そのほかの事業を入れたトータルの売上が6億ぐらいでしたよね。
山本 恐る恐るベンチャーキャピタルさんにいろいろお話をしていくと、反応が非常によかったんです。自己資金があって、もともと30人ぐらいの会社でそれなりのチームがあって、プロダクトがあって、ユーザーがかなりの勢いで伸びていたというところがあるので、ベンチャーキャピタルさんのほうでも「なんかポンと大きなのが出てきたな」という感じで見てくれていたのかなと。
宮坂 借り入れもなく、利益も出ていたので、すごく健全な会社だなというのが我々の見方でした。
慶應義塾大学経済学部卒。ネット総合金融グループの金融持株会社SBIホールディングスを経て、2006年に住友信託銀行とSBIグループの出資による現住信SBIネット銀行の立ち上げに参画。2008年よりGMO VPに参画。現パートナー。
山本 当時僕らはCFOもいなくて、エクイティファイナンス(株式による資金調達)の文脈もわからないまま、「僕らっていくらぐらいですかね?」というフランクな感じのスタンスだったので、かなり厳しい意見も頂いたりしました。
幅広い知見をインプットしてもらえる
宮坂 そのとき出資したファンドを、GMOVP内では4号ファンドと言っているんですけど、Chatworkさんがその第1号銘柄なんですね。第1号の出資先ってすごく大切で、もちろん失敗できません。でも、Chatworkさんは間違いないと思ったので、当時我々として過去最大規模の3億円を出資しました。
 Chatworkさんは、お会いしたときにチームの印象がすごくよかったんです。僕らは東京以外の会社に投資することってあまりなかったんですけど、Chatworkさんは大阪の吹田で生まれた会社で、当時、社長は山本さんのお兄さんで、今の副社長である山口(勝幸)さんと山本さんの3人が経営陣にいらっしゃって、その3人の関係が抜群によかった。
2015年当時のChatwork社 中央前左が現CEO兼CTO・山本正喜氏、中央右が前社長・山本敏行氏
 ビジネスとしても、Slackを筆頭にアメリカでもビジネスチャットが出てきて、これは伸びるなというふうには思っていました。しかも、アメリカのサービスが日本国内にそのままやって来るのではなく、日本は日本でサービスの発展があるのかなというふうに思っていたので、これはもう行くべきでしょうと。
 でも、僕ら以外にも出すというVCはいたし、もっとバリュエーションが高いところもあったんですよね。どうして僕らを選んでくれたんですか。
山本 GMOベンチャーパートナーズさんはやっぱりノリが合ったというのがいちばん大きいですね。
 他のベンチャーキャピタルさんだと探るというか、「値踏み」に来る感じのコミュニケーションが多かったんですが、GMOベンチャーパートナーズさんは第一声から「興味あります! 投資させてもらいたいです」っていう感じで、そういうところはほかになかったんです。
 投資家っていろんなタイプがあって、「リターン出してくれるんですよね」みたいな数字ばかりすごく見る人もいますし、ハンズオン(直接参画)でゴリゴリ干渉したい人もいます。でも、僕らってそれなりにマネジメントメンバーもちゃんといて、伸びている事業もあるので、支援はしてほしいけど、そんなゴリゴリはコントロールはされたくないところもあったりして、そのあたりの距離感をすごくよくわかってくれるなって。
 しかも、GMOベンチャーパートナーズさんはポートフォリオが凄まじくて、急成長してうまくいっているスタートアップにかなり初期から投資されているので、「こういった事業でこのタイミングなら、こういうことをこういうふうにやったほうがいいよ」という形で幅広い知見をインプットしていただけるのもよかったですね。
宮坂 8月26日時点でマザーズ上場している会社の時価総額ランキングで、上位20位のうち25%が弊社の投資先なんですよ。
  またネット系といっても狙っているビジネスモデルや、業界もB向け、C向け含め、色々な会社がありますが、幅広いタイプの会社を創業期から知っているというのはウチの強みかもしれないですね。
山本 実際にご紹介いただくこともあって、Sansanさんとか、ユーザベースさんとかも、「会いますか?」と言われて、「ぜひ!」という感じで(笑)。
宮坂 たしかにコミュニケーション・ハブみたいなところもありますね。上場企業・成長企業の経営陣や特定のスキルを持ったプロフェッショナルとお引き合わせすることを定期的に行っています。
2015年1月 シリーズA資金調達の交渉がまとまったときのChatwork Liveのスクリーンショット
あと3ヶ月でキャッシュが足りなくなるぞ
山本 それでシリーズAで3億円を資金調達して、こんな金額はとても使い切れないだろうと思っていたんですが、ビジネス系のプロモーションに3分の1、開発に3分の1、グローバルに3分の1という感じで使っていたら、いつの間にかすぐなくなりました(苦笑)。
 資金調達することによって急速に組織が変わって、お金の使い方も変わるので、統制が 利かなくなって、すごい勢いで赤字が膨らんでいきました。これはやばいなと。
宮坂 でも幸いにして、ユーザーは伸びていた。我々が出資したときも、広告宣伝費はそんなに掛けずに、口コミベースでユーザーが増えていたっていう状態があって、それがよかったですよね。
山本 そうですね。基本的には、KPIはいい感じで進捗していました。ただ、思った以上にキャッシュが早く融けてしまって。気が付いたときには、あと3ヶ月でキャッシュが足りなくなるぞっていう状態でした。それで、慌ててシリーズBの資金調達をすることになりました。
宮坂 2回目のシリーズBのラウンドも成立して、そのタイミングではジャフコさん、新生企業投資さん、SMBCベンチャーキャピタルさん、そして我々が入って、トータルで15億の資金調達が実現しました。
山本 シリーズBのほうが、調達金額で言うと5倍ぐらいで大きかったんですが、難易度はシリーズBのほうが簡単だったように思います。シリーズAのときの「この会社大丈夫か?」みたいに値踏みされている感じが、シリーズBでは劇的になくなりました。
 やっぱりGMOベンチャーパートナーズさんが入るような会社なんだっていうところで、ある種のお墨付きができたというのが大きいと思います。
アメリカ進出。そして戦略的撤退
宮坂 資金調達後は、グローバルにかなり力を注いでいましたよね。
山本 そうですね。グローバルで勝負するんだっていうのが前社長の創業の頃からの夢でした。そして、ITの世界ではシリコンバレーがメジャーリーグなので、「メジャーに行くんだ」っていう思いです。
宮坂 米国市場は今振り返るとどうでしたか。
山本 すごかったですよ。もう、「ビジネスチャット」っていうカテゴリーがホットだって認知された、2015年とかの時期というのは、毎週のように競合が出てきましたね。
 イケそうだという領域にスタートアップがぶわーって生まれて、ぶわーって資金が集まって、一時期は競合が、たぶん100社以上いたんじゃないですかね。一気に増えるんですよ。もう、ウォッチしきれないぐらい。シリコンバレーって、それぐらい資金と起業家たちが集まっているエコシステムなんですよね。それでスジが良さそうな会社に一気にお金がなだれ込む。
 シリコンバレーのコミュニティのおもしろいところは、2017年ぐらいですかね。もうSlackの1強っていうのがだんだん決まってきたんです。そうなるとサーッと潮が引くように、他の競合が早々にバイアウトしたり、やめたりして、今ではほとんどなくなっちゃいました。それはすごい勢いでしたよ。
宮坂 競合に対してどうすみ分けをしていくか、どうあるべきか。機能をフォーカスしたり、マーケティングをしたりしていくかという話は取締役会で結構しましたよね。
山本 そうですね。Slackって、結構テックよりのサービスだったので、僕らは全然すみ分けられるなと思っていたんです。一方で、僕らに近いようなITよりではない企業が利用するようなビジネスチャットで強いところもいくつかあって、実はそちらの競合のほうをすごい警戒してベンチマークしていたんですけど、いなくなっちゃいました(笑)。
宮坂 一方で、日本国内はそこまで熾烈な競合環境でもなく、順調にKPIが伸びていましたものね。米国からの撤退についてはかなり悩まれていましたね。
山本 そうなんです。前社長の当初からの志でやっていたところもありますし、今ここで撤退していいのかっていう論点もあったので、引き際の判断もとても難しかったですね。
宮坂 事業の撤退条件や時期について、取締役会で規律がある議論ができるかっていうのはすごく重要になってきます。
山本 僕らで言うと、やっぱり上場が近づいたっていうところが非常に大きかったですね。上場となると事業計画に対する蓋然性を強く求められるようになって、ガバナンスや予算の規律もしっかりと整えないといけません。全面的な撤退ということではなく、一旦縮小しようという判断をしました。
宮坂 まだ諦めていないわけですよね。
山本 もちろん、全然諦めていません。グローバルへの勝ち筋として、僕らはまずアジアに行くべきだという意思決定をしているので。シリコンバレーがどういう市場で、どうしないと勝てないのかっていうことを体感できたことは、会社として大きな学びでした。
急成長によって生じたカルチャーギャップ
宮坂 普通のスタートアップは、創業してすぐに調達しているところが多いのですが、Chatworkさんは12年やって、それなりの事業も持っていたうえで、あとから資金調達して大きくやるっていうやり方なので、とても珍しいケースといえます。今振り返ると、何が大変でした?
山本 やはり2015年から資金調達をして、そこからスタートアップに生まれ変わって急成長で拡大していく中で、カルチャーギャップが想像以上に激しかったですね。求められるスピード感がまったく違うんですよ。
 それまでは特に急カーブな売上成長なんて求めていなかったし、事業計画というものをまともに引いたこともなく、売上に対してのプレッシャーをかけられたこともなかったような会社だったので。そこに急激な変化が起きて、既存のメンバーと新しく入ってきた人たちとの間にカルチャーの分断が起きたんですよね。
 だから、失敗は結構あります。人と組織の面がいちばん苦労しましたね。多いときだと月に10人とか入ってきたんですけど、半年後にはほとんど辞めちゃうとか、そういうこともありました。50人の壁とか100人の壁とかいわれますが、まさにそれに激しくぶつかったような形でしたね。
 今までは社長1人がイエスって言えばよかったところから、権限委譲していろいろな機関決定をする組織に新しく変えていく中で、中途で新しく入ってきた人たちは前職で培った自分たちの成功パターンを持ち込むんですよね。
 ただ、それを全部持ち込んでもうまくかみ合わない。みんな自分のやり方でやりたいと思っていて、でも自社のカルチャーに合った型というかやり方がまだないので、僕たちも意見ができない。何が正しくて何が正しくないのかとか、自分たちのこれまでの経験も生かせなくて、資金調達してこれでいけるだろうって調子に乗っていたところをそれで完全に鼻をへし折られました。
 「守りながら攻める」みたいな感じで、既存のカルチャーを維持しながら引っ張るという舵取りが非常に難しかったんです。
負の遺産の整理とエンタープライズプランの開発
宮坂 社内組織の整備に加えて、負の遺産の整理にも取り掛かりましたよね。
山本 2011年に私がChatworkをつくった頃は、社内システムベースでのプロダクトだったんですよね。それがすごい勢いで普及していたので、システムアーキテクチャやインフラ基盤が限界に来ていて、つくり直さないといつサービスが死んでもおかしくないという状況でした。
宮坂 もうビジネスインフラになっていましたよね。
山本 ビジネスチャットって、即時のレスポンスと安定稼働が命なんです。あのままいったら、おそらく1ヶ月ぐらいサービスが動かなくなるということがありえた。そうなったらもう終了ですよね。
 それで実装しているプログラム言語すら変えてシステムをリプレイスすることにしたんですが、1年かけてつくったものがうまくいかず失敗して、もう1年かけてやり直してようやく成功させたので、プロジェクトでいうと2年がかり。これはほんとに大変でした。
 一定規模のプロダクトだと、だいたい3年ぐらいすると技術的負債が溜まってもう無理ってなってくるんですよね。そこから成長に合わせてどうつくり変えていくか、みたいなハードルがある感じです。
宮坂 米国からの撤退もあり、負の遺産の整理もしましたけど、KPIは順調に伸びたいちばんの理由はどう振り返りますか。
山本 それは新しくエンタープライズ向けのプランをつくったのが大きかったですね。それまでは個人事業主向けのパーソナルプランから中小企業向けのビジネスプランが主力のプランだったんですが、大規模企業向けのエンタープライズプランをつくったのが大きなターニングポイントでした。
 なぜそれをつくったかと言うと、セールスチームを組織して企業セールスをしても、単価が低いとなかなか割に合わないんです。営業して売るからにはある程度単価が高くならなくてはいけない。
 そういう商品をつくりましょうということでエンタープライズプランというものをつくって、セールスチームは基本はそっちを売るという形に変えたら、結果的にこれまでの個人向けと中小企業のプランの上に綺麗にエンタープライズプランが乗ったんですよね。
 だから、事業的な面で言うと、エンタープライズプランをきっちりつくり、セールスチームによる販売チャネルが機能するようになったのがいちばん大きなところですね。
宮坂 SaaSの値付けって難しくて、一発じゃなかなか決まらないですよね。
 いくらで売りたいかという、サービスの保守改善にかかるコストと、営業にかかるコストは売ってみないとわからない。いくらで買ってくれそうかという、お客さんのニーズと予算に合っているかという面もやはり売ってみないとわからない。その両側からすり合わせないと、結局ベストな値段はわからない。
山本 そうなんです。だから、プラン内容の見直しや、価格改定も長年にわたり何回もやってきました。SaaSって一定額の料金でサービスを提供し続けるのですが、プロダクトの機能開発はどんどん進んでいき、プロダクトバリューって上がっていくものなんです。
 プロダクトが出しているバリューと価格とのギャップを踏まえて、その時のマーケット価格も見ながら慎重に価格改定の判断をするのですが、過去には2倍以上の大幅な価格改定を行ったこともあります。大きなクレームとなって解約が多発することも覚悟しました。
 でも、結局恐れていた顧客の大量離脱は起こらなかったんです。もしシステム開発会社にゼロから開発してもらえば何千万、何億とかかるようなシステムが、SaaSであれば月に1ユーザーあたり500円とか1000円とかで済むのって、本当にリーズナブルだと思うんです。
 それでも、値上げをイヤだと思う人間心理的なものはどうしてもあるので、感情面をどうケアするかというコミュニケーションには非常に気を使う必要があります。
急成長には必ず痛みがある。異例の社長交代
宮坂 さらに、昨年6月には社長交代という出来事もありました。
山本 はい。前社長である兄に代わって私が社長になりました。グローバルで勝負すると決めたとき、前社長は家族ごとシリコンバレーに移住して、現地で5年ほど暮らしていました。もともとChatworkをリリースした時からグローバルを視野に入れてプロダクトを開発していたため、社長自ら現地に拠点を移し、グローバル展開に本気でチャレンジするという判断は間違っていなかったとは考えています。ですが、先程お話ししたとおり、結果が出ずにアメリカでの事業を縮小するとなって帰国することとなりました。なかなか思うような結果を残せませんでしたが、やはり現地に拠点がなければわからないこと、現地にいるからこそ見えてくることがあったので、学んだことはたくさんありました。
 ただ、その5年の間に時差の関係もあってどうしても日本とのコミュニケーションが少なくなってしまい、日本は日本で回して、アメリカはアメリカで回すという状況になっていたんです。
 僕が日本の担当役員だったんですけど、日本だけでも基本回るような状況で、さらに前社長がアメリカに行った頃は30人ほどの社員数だったのが、戻ってきた頃には100人近くになっていて、上場も視野に入っているタイミングでした。
 しっかりと予算管理がされ、事業計画も引かれているという状態で戻ってきたのですが、彼のマインドは起業家なので、もうすでに回っているものに対してあまり興味がないわけです。
 それで自分が得意なゼロイチ、つまりまったく別の新規事業にチャレンジしたんですが、そうしていくと日本にいながらも社内と前社長の間で距離ができてしまった。少しずつお互いにしんどくなってきたなっていうところで、前社長がオーバーワークで体を壊したんです。
 これをきっかけに「もうおまえがやったほうがいいんじゃないのか」と言われ、私が社長を引き継ぐことになったんです。
宮坂 急成長には必ず痛みがある。外から見ると、堅調に進んでいるように見える事業も、得てして中は大変ですよね。
山本 たくさんのスタートアップを見てきた宮坂さんが言うと説得力がありますね(笑)。そういえば、うちも社長交代というのはかなりの一大事で、「大丈夫なんですか?」と不安がられた株主さんもいらっしゃったんですが、GMOベンチャーパートナーズさんはまったく動揺していなかったんですよ。
 「こういう考えで社長をやっていきます」とお話をさせていただいたときも、「わかりました」という形で、すんなり受け入れてくださった。むしろ「Chatworkは大きくなる。信じているから、大丈夫」と一緒になって善後策を考えてくれました。これは心強かったですね。
宮坂 僕たちから見ても、社長が交代するのはレアケースではあるんですが、社長になる人が、創業時からいて、プロダクトの生みの親でもあって、日本のマネジメントをずっとしてきた正喜さんなので、それであればうまくいくだろうとは信じていました。
ビジネスコミュニケーションを支えるインフラ企業になる
宮坂 結果的に、プロダクトとマネジメントの両方ができる人が社長になりましたが、珍しいケースですよね。
山本 もともと技術屋でものづくりの人間だったところに、経営者になるっていうのを突然言われたので、正直、腹をくくる時間は少しかかりましたけどね(笑)。
 いちばん初めに社長になってやった仕事はコーポレートミッションのアップデートでした。「Make Happiness」という経営理念が創業の頃からあったんですが、創業初期の事業がまだ固まっていないタイミングでは、かなり抽象的な言葉にならざるを得なかったんです。
 でも、Chatworkというプロダクトができて、それが社名になって、会社の形もある程度できてきた中で、あらためて何を目指す会社かを示すためにミッションを再定義したいと思い、「働くをもっと楽しく、創造的に」という言葉にしました。
 ミッションも変えて、ロゴも変えたことで僕の中でまっすぐ芯が通ったという感じがします。自分の生き方と、会社と、プロダクトが目指すべきラインが揃ったというところから、それに合わせてどういう組織をつくっていったらいいか、どう事業をやっていたらいいかっていうところも自然と出てくるようになりました。
 まだ経営者としては新人なんですけど、CTOの頃よりも視点が高くなって、今まで手が付けられていなかったカルチャーや組織の制度設計のことや、5年後、10年後といったずっと先の将来までを描けるようになったのは単純におもしろいですね。
 大学生で起業し、そこから大きな資金調達をしてスタートアップとなり、さらに社長が代わって上場もすることになるので、言ってしまえば今は第3創業というタイミングだと捉えています。
宮坂 第3創業期のビジョンはなんでしょう?
山本 中期目標的な話をすると、まずはなくてはならない社会インフラになることを目指しています。ビジネスチャットって、電気、ガス、水道みたいなもので、社会のビジネスコミュニケーションを支えるインフラ企業になるというところが、まず目指すべき第1フェーズかなと思っています。
 そうやって社会のインフラになった後は、ビジネスチャットを使って社内だけじゃなくて社外でも商取引するのを当たり前にしていきたいなと考えています。今だと社内はビジネスチャット、社外ではメールや電話というパターンが多いのですが、Chatworkって社外とのやり取りがしやすいのが他社サービスと決定的に違う特徴なんです。ビジネスチャットでの商取引を一般的にするというのが第2フェーズです。
 そして、社内外ともビジネスチャット中心の商取引があって、そこをマーケットプレイスのようにしたビジネスプラットフォームにするというのが第3フェーズの構想になります。
 Chatworkを大きなプラットフォームとして、そこでいろいろな仕事や出会いが生まれたりするような世界観をつくっていきたいなと思っています。
2019年3月取締役会にて役員集合写真
(編集:中島洋一 構成:澤田真幸 写真:吉澤健太 デザイン:砂田優花)