【ハワード・シュルツ】巨大帝国スターバックスを築いた男の原点

2019/11/3
コーヒーといえば、カップの底が見えるような薄いコーヒーが主流だった米国に、飲料店としてのスターバックスが登場したのは1987年のこと。それから30年で、店舗数は世界76カ国2万8000店舗に拡大。客単価500円程度で年間売上高2.5兆円を記録する巨大帝国に成長した。

利用者は、お洒落な店構えとカスタマイズできる飲み物に意識が集中しがちだが、ハワード・シュルツCEO(2019年6月に退任)は、働く人と客が誇らしく思えるためのイノベーションに力を入れてきたという。

シュルツはインタビューが行われる数日前に、2020年米大統領選への出馬意欲を表明したが、今年9月、正式に出馬取りやめを発表している(インタビューが行われたのは18年1月31日)。
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リード・ホフマン 今日はスターバックスのハワード・シュルツCEOをお迎えしています。ブルックリン育ちだそうですね。幼少時代の出来事がスターバックスという会社のあり方に大きな影響を与えたとか。
ハワード・シュルツ ブルックリンのカナーシー地区で育ちました。貧しい団地です。残念ながら、子ども時代の思い出は、自分の家が貧しいことを実感し、それを恥ずかしいと思う経験でいっぱいです。
(写真:SUART ISETT/The New York Times)
7歳のとき、学校から帰ると、父が腰から足首までギプスをつけてソファに横たわっていました。1960年のことです。
父は高校を中退し、第2次世界大戦で戦い、デング熱と黄熱病にかかりました。帰国後は、いくつもの仕事を転々として、肉体労働者となって、アメリカンドリームを実現する野心を失ってしまいました。
私が7歳のときに父がしていたのは、布オムツを回収・配達する仕事で、おそらくそれまで父がしてきたなかでも最悪の仕事でした。使い捨てオムツが発明される前のことです。
1960年3月、父は布オムツを配達するとき、地面の薄氷に足を取られて転倒し、足首の骨にひびが入り、腰の骨を折りました。私はそんな父を通して、アメリカンドリームが砕け散るのを目にしました。
父は仕事をクビになりました。労災も、もちろん医療保険もありません。残ったのは絶望感でした。7歳の私にどんな影響を与えたかは明言できませんが、両親の苦労を見るのは本当につらいものでした。