【星﨑尚彦】ただのデブが独自に右脳を鍛えて早大法学部に合格

2020/1/6
プロ経営者と呼ばれる人たちがいる。職業=社長業。業種や規模に関係なく、経営の手腕を発揮する。メガネスーパー社長の星﨑尚彦氏はそんな1人だ。

三井物産、スイスのビジネススクールIMDを経て、初めて経営に携わったのは33歳のとき。すでに社長歴は21年になる。フラー・ジャコージャパン、ブルーノマリジャパンなど外資系企業のトップを務めたほか、2011年からはアパレルメーカー、クレッジの経営再建に力を尽くした。そして13年7月、メガネスーパー社長に就任。8年連続赤字で倒産寸前だった同社を奇跡的なV字回復へと導いた。

いじめられっ子だった少年時代、将来何をやりたいか分からなかった青春時代を経て、いかにプロ経営者という職業にたどり着いたのか。星﨑氏のこれまでを振り返りつつ、その哲学に迫る。(全7回)

ロンドンの小学校で人種差別

僕は小学2年生のとき父親の仕事の関係で、イギリスで2年半ほど暮らしました。ロンドン郊外の公立小学校に入学したのですが、僕は学校初の東洋人でした。言葉は分からず、ひどい人種差別を受けました。
それでも性格はひねくれることなく、渡英前に通っていた成蹊小学校に戻りました。成蹊には「国際学級」が設置されていて、帰国子女を数多く受け入れています。ただ、僕はそこではなく、前にいた普通学級に入りました。
帰国したばかりで、今度は日本語が不自由になっていました。勉強はできないし、ときどき会話の中に英語が交じっては、クラスメートから「かっこつけている」「イギリス帰りだと思いやがって」といじめられました。1970年代ですからね。
それで性格がどんどん暗くなっていきました。ストレスでぶくぶく太り、得意だった運動までできなくなりました。勉強はできない、運動もできない、ひどい状況でした。
今でも覚えていますが、小学校5、6年のとき、友達に「おまえなんかろくな人間にならない。勉強もできないし運動もできない、ただのデブだ」と。
そう言われて、「このままではメジャーになれない」と思い、ただのデブに何ができるだろうと考えました。