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うちの息子もモンテッソーリの保育園行って「お仕事」してました。
人数も少なく年下が多かったので食事からトイレまでお世話していた様です。赤ちゃんのおしめを袋に入れたり、結ぶのもある意味お仕事。
そういえば、わざと紐で結ぶスニーカーを履かせてました。
(小学校に上がり、もっぱらマジックテープに変わりましたが…笑)

大人(私も…)はスケジュールをあれこれ入れたり、子供にそろそろ次の事をさせたがりますが、時にぐっと堪えて、「集中を中断させずに本人がやりたいまでやらせる体験」も大切だなと思います。

モンテッソーリといっても玉石混交で、色んな所があるので、流行りワードとしてではなく、やはりきちんと現場、そして子供を見るが一番。
別に天才ではないけどね、私もモンテッソーリの「こどもの家」に通ってたYO!お仕事は、甘かったり酸っぱかったりする水を舐めるのと、アイロンが好きだったYO!興味がない地図の色塗りは一人だけ全く進んでなかったYO!
そんでもって出来上がるのはこんな人間だYO!たまに集中し過ぎて他人の話聞いてないって言われることがあるYO!
ミーちゃんがモンテッソーリの保育園に行っていますが、

LA近辺には石を投げれば当たるほどモンテッソーリの保育園や学校があります。ミーちゃんの保育園選びで何件も行ってみた感想。「モンテッソーリ」と一口に言っても、保育園ごとに教育方針は千差万別。もちろんある程度の一貫性はありますが、モンテッソーリかどうかよりも結局、それぞれの保育園ごとのカラーの方が強いなと思いました。結果的にモンテッソーリの保育園を選んだけど、モンテッソーリだからというよりもその保育園自体をミーちゃんと僕と妻が気に入ったからです。

アメリカでいいなと思ったのは、保育園も学校も多様性が非常に高いこと。公立学校も「イマージョン」といって二か国語教育をしているところがあったり。だから、自分の子供に真にあった教育を選ぶ自由があります。

結局、モンテッソーリが良いか、普通のがいいか、ちょっと議論は表層的に感じる。天才を産む?どうでもいいです。大事なのは、子供はそれぞれものすごく個性がある。ゆとり教育が合っている子もいれば、詰め込み教育が合っている子もいる。モンテッソーリがあっている子もいれば、スパルタ軍隊式教育があっている子もいる。

僕もミーちゃんもモンテッソーリを非常に気に入っています。ですが万人に効く処方箋ではありませんし、みんなが天才になるわけでももちろんありません。

日本はなにかと全員が同じ方向を向きますね。AがいいかBがいいか、一般論を議論する。AがいいとなったらみんなA。教育指導要領がその最たる例です。堀江さんが逮捕されたらみんなでフルボッコ、スティーブ・ジョブスをみんなで崇拝。この記事のアイキャッチも相変わらず大金持ち起業家崇拝。なんとなく似ていますね。みんなと一緒だと気持ち良い社会。僕はちょっと居心地が悪いな。

どの教育法が一般的に良いか悪いか、無意味とは言いませんが、それよりも重要なのはもっと多様性を認めること、そしてそれぞれの子にあった学校や教育施設を選べるようにすることだと思います。教育指導要領の縛りをもっと緩めてはどうかと思います。(一方で、カリキュラムを自分で設計する能力と意欲のある先生がどれほどいるかという問題もありますが・・・・)
モンテッソーリの本は何冊かよんだし、素敵な考え方だと思うし、こういう「発想」を親側が持っておくことは大事と思う一方で、こういう取り上げられ方をすることが増えたこともあり、都心のモンテッソーリ式の幼稚園には「意識の高い」家庭の子が集まり、従って小学校受験予備校のようになっている印象があります(調査したわけではないのであくまで個人的な感覚です)
純粋に「個性を伸ばしたい」という感じで入れると面食らってしまうこともありそうです
100年以上前から続く「モンテッソーリ教育」。日本でも注目が高まっています。今回取材した幼児教育施設では、1時間以上も「お仕事」に集中する子供たちの姿がありました。

本特集でも再三にわたり言及している「好き」をみつけることの重要性。モンテッソーリの教えには、その原点があります。
シンガポールの幼稚園はモンテッソーリだらけ。コモディティ化しちゃって珍しくも何のありがたみも無いという状況です。天才とはある意味で相対的なもの、皆が通って同じ環境で育てばどうなるかという話。それは中等、高等教育におけるIB(インターナショナルバカロレア)にも通底するように思います。
”自ら考え、選び、行動する力”、現在、日本人が一番不足している力だと思います。
いまだに個が強くなることに否定的な組織が大きいですが、個が強くなければ、組織は強くならず、組織戦で戦えるようにはなりません。

企業も同様、負け癖はつきます。ここぞというときに踏ん張れるかどうかは、成功体験の積み重ねでしか発揮できない力だと思います。。
>自分の好奇心や興味のために挑戦し、小さな成功体験を積んでいくこと
私の子供もモンテッソーリ教育の幼稚園に通っていましたが、集中力が高くなったと思います。
好きなことを始めたら、数時間ひとりで没頭できる集中力は素直に羨ましいですね。
大人になると、一気にゾーンに入ることができる能力がある人とない人で、アウトプットの量が変わってくると思うので集中力を養うためにもいいのかなと思います。
出羽守的なコメントになってしまいますが・・・モンテソーリに行っている娘の先生たちをみて、一番思うことは、先生たちが大きな声を出さないこと。子供たちに聞いてもらいたいときにむしろ小さな声で語りかける。「あれしましょう」「これをしましょう」と言わない。「何をしたらよいと思う?」と問いかけるアプローチを常にとっています。
また、カリキュラムの説明会である保護者が「家ではどのように遊具を揃えたらいいか」と先生に質問したところ、先生は「どうしたらいいと思いますか?」と皆に問いかけていて、親にも聞いかけをしている!!と笑ってしまいました。また、この記事に書かれていない大きな要素の一つとして、一つのクラスにいる年齢の幅が広い、ということがあると思います(娘は、2歳半から5歳までのクラスに一緒にいます)。

と、良さを書きつなれましたが、こうしたアプローチを娘に対して実践していると、自分の親からすると、「しつけがなっていない」とみられがちです。
また、たまたまその保育園の経営者の娘が同じクラスなので、よく話すのですが、「俺が言うのもなんだけど、モンテソーリって宗教染みているところあるよな」って言っていました。果たして信じるものは救われるのでしょうか!?
モンテッソーリもシュタイナーにも共通して言える事は、大まかに言えば、「詰め込み教育をやらない」「子供の個性・創造性を尊重する」こと。

これらの教育を子供に受けさせるには、「親の理解と信念」が重要です。
何故なら、どこかの才能が尖っていて創造性豊な個性ある子供が、今の学校教育の中で優等生になれる確率は高くないから。

決して、流行りや塾の延長で子供を送り込んではいけない。教育機関にとっても迷惑です。
家庭も含めた子供に対する教育哲学への一貫性が求められます。