フィンランドの教育と比べ、ファシズム的な日本の教育の問題点
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ここで述べる「ファシズム(fascism)」の定義は何か?
ファシズムとは、端的に言えば「強力な指導者が統率する、伝統的ではない価値観での国家主義」のような感じで定義されると思う。
確かに、現状、多くの日本の学びの場は「全体主義(Totalitarianism)」を生じさせやすく、ある中央値向けの要素が強く、そこから外れた人も含めた個別最適がなされていないという問題があると感じる。
例えば、イエナプランや江戸時代の寺子屋システムの多くではこれが解消されているように思えるので、「フィンランドでは」ではなく、フレームワークという意味で参考にして積極導入されるべきだと思う。
一方で「全体主義」とは「その場を形成する空気により、個々の自由に制約が生じ、例えばマジョリティと異なる意見が封殺される現象」なのだから、ファシズムとは内容が異なるように思える。
本記事では「ファシズム的な日本の教育」について何の解説もない。
「ファシズム」「リベラル」など、何となく善悪を判断するような、特にカタカナ雰囲気ワードを使う時や読むときは、慎重になりたいものだ。
「ナショナリズム」等は主に左巻きな勢力から反戦の文脈で忌避される言葉だが、「ナショナリズム(国民主義)」などは「同胞やご近所さんへのお互いさまの精神」に他ならず、例えば福島での震災について被災者を心配し、想いを馳せて「何とか支援したい」という気持ちこそはナショナリズムなのであって、これを否定する意味がわからない。
また、特に地方議員も含めた政治家がナショナリズムを否定している意味もわからない。
当該自治体の議員をやる理由は、当該自治体の住民が互いに良くなるためを思って務めるわけで、これはローカル・ナショナリズムに他ならず、この否定は当該自治体の住民のためじゃない事をやるぞ!っていう主張に等しいと思うのですが。屋号をフィンランド語にしたくらい大好きな国。
街並みがおしゃれで、自然が雄大で。
美意識は、競走社会では生まれづらいと思う。
便利さばかりが追求、強調されるのと
文化を大切にするのとでは視点が異なる。
旨みサプリメントが開発されても味気ないのと同じ。
せっかく日本にいるのだから、
教育の問題だけにしないで
日本文化大切にしたいな。この間偶然フィンランド教育についての動画を見ました。
宿題もないことや選択問題(正確に覚えるため)がないことなどいろいろ違いがありましたが、詩や美術など文化も時間を削ることなく教え日本とは大きく違うなと思いました。
明治時代の学校は画期的ではありますが今の時代に合った教育が求められます。